2030年 どうなる日本の将来。未来予想図は。

◆出典「2030年、経済的地位低下が決定的な日本は、生き残れるのか」
・「人口の1/3が高齢者」はなにを意味するのか
 2030年問題とは「2030年には人口の1/3が高齢者になる」ともいわれる超高齢化により引き起こされます。「国立社会保障・人口問題研究所」によると、2010年には約1億2800万人だった人口は2030年には約1億1600万人に減少し、さらに2024年には日本の高齢者は人口の30%にも達すると予測されている。
・2030年、実に人口の1/3近くが65歳以上の高齢者になる
 2030年の「働く」を考えるにあたって、まず初めに、日本国内の人口推移予測が労働環境にどのように影響するかを考えてみたい。人口推移は、中長期の未来を考える際、最も予測が立てやすく、予測幅の小さい事象の1つである。しかも、経済環境や労働環境への影響は大きい。2030年の「働く」を考える上で欠かせない要素である。
・ローン破綻、年金破綻、医療費破綻が続出
 住宅ローン市場も転換期を迎えた。日銀による金融緩和は出口が見い出せず、国債格付けは悪化。そのため国債価格が下落し金利は上昇しつつある。史上最低金利を更新した2014年と比べると、住宅ローンの金利は3%も上昇した。当時の金利の安さに飛びつき変動金利型で家を買った世帯は返済苦にあえぎ、住宅ローン破綻者の続出が社会問題になっている。
・2030年の日本の電源構成見通し(Bloomberg New Energy Finance)
 ブルームバーグ・ニュー・エナジーファイナンスのアナリストは、日本政府の「長期エネルギー需給見通し(案)」について検証を行いました。その結果、政府の出した2030年の全発電量に占める各電源の割合は、市場動向や現在の政策に沿ったものではないという結論に至りました。政府の数値と比べ、弊社が予測する全発電量に占める再生可能エネルギーとガス火力発電の割合はより高く、原子力発電と石炭火力発電の占める割合はより低くなっております
・2030年のロボット 日本の技術が世界を席巻
 政府がサービスロボット普及のターゲットにする2020年。対話ロボットや家事支援ロボットがこの1年で続々と生活シーンに登場し、20年のロボット社会の絵姿が見えてきた。では、30年はロボットがどんな形で社会に役立つのか。いま見える課題を技術で“克服”できれば、日本のサービスロボット産業は世界を席巻できる。
・2030年、「貧困男子」が社会問題に!? “ひとり暮らし”急増で貧困リスクが上がる理由
 総務省国勢調査によると、単身世帯の割合は、1970年は5.9%だったのが、2010年には13.1%と2倍以上になった。この勢いで伸びていくと、いったいどうなっちゃうんだろう?国立社会保障・人口問題研究所では、「2030年には15.8%になる」と予測しているよ。つまり、「6人に1人がひとり暮らしという時代」が17年後にはやって来る。

浅草案内④

浅草花やしき
1853年(嘉永6年)開園で、日本最古の遊園地とされる。1853年(嘉永6年)に千駄木の植木商、森田六三郎により牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。当時の敷地面積は約80000m2だった。江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用され、ブランコが唯一の遊具だった。明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に木場の材木商・山本徳治郎(長谷川如是閑の父)とその長男・松之助が経営を引き継ぐ。翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。
この頃でも利用者は主に上流階級者であり、園内は和洋折衷の自然庭園の雰囲気を呈していた。しかし、徐々に庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示などを開始したり、五階建てのランドマーク奥山閣を建設し、建物内に種々の展示物を展示したりした。浅草が流行の地となるにつれて、この傾向は強まり、動物、見世物(活人形、マリオネット、ヤマガラの芸など)の展示、遊戯機器の設置を行うようになった。大正から昭和初期には全国有数の動物園としても知られ、トラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。関東大震災の際は罹災民が集ったため、多くの動物を薬殺した。ただし、一度取り壊された後、1947年(昭和22年)に復活した経緯があるため、断絶のない歴史としては前身も含めて1912年(大正元年)開業とされるひらかたパークの方が長い。敷地面積5800m²。国産初、日本で現存最古のローラーコースターがある。
1947年(昭和22年)、「浅草花屋敷」と改名。2年後には「浅草花やしき」と改名。のちの花やしきの園長を務めた高井初恵の夫である高井清が支配人に就任した。そして1953年(昭和28年)のローラーコースター、1950年(昭和25年)のBeeタワーなど現在あるアトラクションが登場し始めた。長らく入園料を取らず、利用する施設ごとに回数券などで料金を支払う形を取っていた。1996年(平成8年)3月、日本初となるタワー型垂直打ち上げ式アトラクション「スペースショット」がオープンした。
2007年(平成19年)3月10日には、10年ぶりの大型アトラクション「DISK-O」がオープンした。バンプレストの事業再編に伴い、2008年(平成20年)4月1日をもって直接の親会社がナムコに移行した。同年3月には、花やしき通り沿いに、遊園地に入らなくてもショーが楽しめる「大江戸ステージ」がオープンした。現在はナムコの子会社である株式会社花やしきが運営している。

・「六区ブロードウェイ」・・・浅草六区
東京の下町を代表する街、浅草。ここにある、すしや通りとひさご通りを結ぶ全長約300mの商店街が、浅草六区ブロードウェイです。浅草演芸ホールや浅草中映劇場、浅草ボウルなどがあり、かつては「浅草六区興行街」と呼ばれていました。それだけに、ここから生まれた有名人は数知れず。寅さんこと渥美清さん、萩本欽一さん、ビートたけしさんもこの街で芸を磨きました。街中には奏神、唄神、戯神など6種の芸能の神様が祀られているので、その姿を探しながらの散策も楽しそうです。
 一区観音堂、二区仲見世、三区伝法院、四区木馬館付近、五区花やしき、六区興行街