「運・鈍・根」
◆模擬試験の採点
●10月17日の模擬試験(http://wheatbaku.exblog.jp/)に答える。果たして正解は。http://wheatbaku.exblog.jp/24830381/
私の回答は、
1 ③ × 正解は④
①山王権現の神領は、合計で600石でしたので間違いです。参考図書参照P14
②山王祭の行列が初めて江戸城内に入ったのは寛永12年で将軍家光の時ですので間違っています。参考図書参照P16
③山王祭の行列は山車行列の最後に神輿3基が渡りましたので間違っています。参考図書参照P26
④御雇祭についての説明は正しいので、答えはこれとなります。参考図書参照P33
2 ④ ○
①説明文の通りです。参考図書参照P30
②説明文の通りです。参考図書参照P36
③説明文の通りです。参考図書参照P37
④天下祭の行列の江戸城内への繰り入れには、徒目付と小人目付が立ち会うと参考図書に書いてあります。徒目付・小人目付は目付の下僚で、目付 とは異なる役職です。これが間違いです。 参考図書参照P37
3 ④ 〇
浅草蔵前牛頭天王は、「団子天王」と呼ばれていました。参考図書参照P52
4 ① ○
①江戸で富くじが最初に行われたのは牛込戸塚の宝泉寺でしたので間違いです。参考図書参照P60
②説明文の通りです。参考図書参照P60
③説明文の通りです。参考図書参照P61
④説明文の通りです。参考図書参照P62
5 ④ 〇
①説明文の通りです。参考図書参照P66
②説明文の通りです。参考図書参照P66
③説明文の通りです。参考図書参照P67
④同じ藩の抱え力士同志の取り組みはありませんでしたが、同部屋対決はありましたので、この説明文は間違っています。参考図書参照P68
6 ② ○
①説明文の通りです。参考図書参照P73
②天保の改革で、演じるのが許された出し物は神道・心学・軍書講釈・昔噺でした。軍書講釈が漏れていますので、これが間違っています。参考図 書参照P73
③説明文の通りです。参考図書参照P73
④説明文の通りです。参考図書参照P74
7 ③ ○
「聖と俗の空間」は、浅草と吉原・猿若町の関係について今まであまり触れられていない視点で書かれていると思います。ちょっと注目です。
①説明文の通りです。参考図書参照P81
②説明文の通りです。参考図書参照P82
③浅草寺は、浅草に三座が移転してくることに当初は反対していたので、この説明が間違いです。参考図書参照P82
④説明文の通りです。参考図書参照P82
8 ③ ○
「江戸神仏願懸重宝記」は、これまで馴染みのない書物ですので、結構難しい項目です。
①「錐大明神」− 説明文の通りです。参考図書参照P86
②「源覚寺」− 説明文の通りです。参考図書参照P86
③「笠森稲荷」− 疱瘡平癒を願う際には土の団子を供えますので、これが間違いです。P87
④「高尾稲荷」− 説明文の通りです。参考図書参照P88
9 ② ○
「稲荷信仰と稲荷社」について夏検では出題されていませんが、江戸では「伊勢屋・稲荷に犬の糞」と呼ばれるほど多い神社です。(参考図書参照 P91)
選択肢①三囲稲荷は東之方大関で、過去何度も出題されています。
選択肢②鉄砲洲稲荷が西之方の大関です。
選択肢③能勢稲荷は鷗稲荷とも呼ばれる稲荷です。
選択肢④下谷稲荷は現在下谷神社と名前を変えています。
10 ① ○
「流行神」というのは、あまり馴染みのない項目ですので、理解しにくい項目ですが、この項目は要注意です。
嘉永2年の流行神は②翁稲荷 ③正受院の奪衣婆 ④お竹大日如来です。選択肢①半田稲荷は麻疹流行のたびに人々が群参しましたが、嘉永2年の流行神ではありません。参考図書参照P96
11 ① ○
①伊勢御師の最大の収入源だったものは、檀家の人々を伊勢神宮へ導き、自分が経営する宿坊に宿泊させることでした。参考図書参照P103
②説明文の通りです。参考図書参照P103
③説明文の通りです。参考図書参照P104
④説明文の通りです。参考図書参照P105
12 ④ ○
富士講は、江戸で非常に盛んでした。そこで、富士山信仰についても復習しておいてください。
①説明文の通りです。参考図書参照P107
②説明文の通りです。参考図書参照P108
③説明文の通りです。参考図書参照P109
④富士山の山開きは、現在は7月1日ですが、江戸時代には6月1日でした。富士講の部分だけでなく年中行事の方にも書かれていますので覚えて おいてください。参考図書参照P109、P134
13 ① ○
「厄災と慰霊」もあまりなじみのない項目です。
①惣五郎が直訴したのは4代将軍家綱です。参考図書参照P114
②説明文の通りです。参考図書参照P114
③説明文の通りです。参考図書参照P114
④説明文の通りです。参考図書参照P115
14 ③ ○
①水天宮参り 説明文の通りです。参考図書参照P151
②湯島天神祭礼 説明文の通りです。参考図書参照P153
③佃島住吉明神祭礼では龍虎の頭が巡行しました。24日に開催する「鬼平散歩in佃島」では、これをご案内します。その前に右の写真でご案内で す。参考図書参照P156
④王子権現祭礼 説明文の通りです。参考図書参照P157
15 ③ ○
①和歌祭 説明文の通りです。参考図書参照P167
②津和野の鷺祭 説明文の通りです。参考図書参照P167
③小倉祇園太鼓 八坂神社に参籠した小倉藩主は細川忠興です。小笠原忠真は細川家が熊本に転封された後に入封した小倉藩小笠原家の初代藩主で す。参考図書参照P169
④長崎くんち 説明文の通りです。参考図書参照P169
*15問中14問正解。でも、安心は疑問。正確な知識にするためには、これからの2週間が勝負です。
<10月20日生まれの先人の言葉>
●杉田玄白(蘭学者・医師)
・昨日の非は悔恨すべからず。明日、これを念慮すべし。
・一滴の油、これを広き池水のうちに点ずれば、散じて満池に及ぶとや。
●野中広務(政治家)
・自分以外の人たちへの愛情も、成功を得るのに必要だと、この頃つくづく考えるようになりました。私は40年近く無報酬で障害者施設の理事長を務めています。ある意味で余技ですが、いまとなっては休息の場であり、愛情と情熱を注いだ私の人生最後のよりどころになっています。
・これまでの人生を振り返って思うのは、運命が私を政治の世界に引きずり込んだということです。「地域を変えたい」と思ってできる努力はしたけれども、チャンスや偶然がなければ町会議員から町長になることもなかったし、京都府議会議員、副知事になることもなかったでしょう。
・昔の日本は汗を流せばその分、報われる社会でしたが、いまは先行き不透明でストレスも多い時代です。しかし、そんな中でも、「運・鈍・根」、つまり、運を得ることと、それを焦らず活かすための不断の努力、そして根性が、人間の進み方として一番必要じゃないかと思っています。
●渡辺崋山(蘭学者)
・大功は緩にあり、機会は急にあり。
●茂木健一郎(脳科学者)
・自分の中に静かな水をたたえていれば、どこにいっても、何に巻き込まれても大丈夫。