佐賀市・願正寺。熊本地震の復興願う こいのぼり。

(今日の江戸学)
佐賀市にある願正寺は、西本願寺を開いた准如が開山。のちの初代佐賀藩主・鍋島勝茂は、関ケ原の戦いでは豊臣方についたが、戦後、危機に瀕した鍋島家を救ったのが准如。このため、勝茂は願正寺を寄進し、藩内の浄土真宗寺院はすべて西本願寺派と定め、反対派の首謀者をとらえた。関ケ原の戦い鍋島勝茂は西軍の豊臣方に加わり、伏見城を攻め下し伊勢の阿濃津城を攻めている間に、東軍の徳川方が勝利し西軍は敗北した。このため鍋島勝茂はたちまち進退に窮してしまった。このとき、西本願寺准如らが、中にたち斡旋につとめたので、鍋島家も危機を脱することができた。これによって鍋島家では、西本願寺のために、佐賀に願正寺を建立して報うることにした。願正寺には鍋島家から四百石の寺領を与えた。願正寺は、鍋島家のためによく勤めた。寛永2年洪水のため千栗堤防が2ヶ所決壊したときは、国内の門徒を集め、その一手だけで天建寺前の660米を修復した。費用も門徒で負担したのでこれを御馳走土井と云うようになった。また、天明年間には、杵島干拓の潮止め工事に人夫を延べ3万6千人を出し完成を助けた。愛宕神社前の川を『新堀川』又は『真宗堀』と呼んでいるが、これは願正寺建立後、鍋島家が領内の真宗僧侶門徒はすべて西本願寺派の願正寺に所属するようお触れを出した折り、それに従わなかった他派の人々がいて、首謀者が捕らわれ鎮静し、首謀者は許されたがその罪を償うために掘らされた堀である。願正寺の鐘が佐賀城本丸の時太鼓とならんで、佐賀城下の時鐘として用いられたのは、元禄9年(1696)からで佐賀城本丸の時太鼓は、藩役人の出勤時刻を知らせていたが、願正寺の時鐘は佐賀城下の市民一般に時刻を報じていた。
 境内には、淡いピンクの衣をまとったような2本のしだれ桜があります。本道の左が八重、右が一重の紅しだれ桜である。そして、創建416年の願正寺で、4月から11月、コンサート「てらおん」が、毎月第4土曜日に行われているらしい。

<今日のニュース>
熊本地震の復興願う こいのぼり。
 端午の節句を前に、石川県穴水町熊本地震の被災地の復興を願う「こいのぼり」が掲げられた。9年前の能登半島地震で大きな被害を受けた穴水町では、住民たちが地域の復興を願って、県内各地から寄せられたこいのぼりを飾っている。穴水町の住宅地を流れる真名井川には川沿いにあるポールや、家の壁にロープをつないで、合わせて50余りのこいのぼりや吹き流しが掲げられている。
◆今日から東京・六本木で「ルノワール展」
 今日から「ルノワール展」が国立新美術館で開かれる。最高傑作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が日本で初公開し「田舎のダンス」「都会のダンス」が45年ぶりにそろって来日する。デッサンなども展示され初期から晩年まで展示される。8月22日まで開催される。
熊本地震 死者49人 不明1人 住宅被害は1万棟超。“今回の地震を「特定非常災害」指定”。
 避難生活で体に変調をきたす等して亡くなった人は16人にのぼっている。また、住宅の被害は1万2130棟あまりで、他にも被害を受けた可能性がある家屋が1万5千余りあるという。また、損壊家屋の危険性を調べる応急危険度判定の結果は8417棟で、阪神淡路大震災を上回り、東日本大震災に次いで多い結果となった。
 政府は今回の地震を「激甚災害」と指定したが、本日の非常対策会議で安倍総理大臣は、運転免許証等の有効期限を延長できる「特定非常災害」にも指定する考えを示した。