カウント8.

◆早朝より勉強開始。仕事、母の見舞い。また夜勉強。本を熟読しながら、他の資料を参照し、テキストの内容確認で熟読。

<今日の読書>
・江戸博覧強記 ⑫ 読書中
・天下大変   ⑨ 読書中

<今日の江戸学>
桜田火事について
 桜田火事は、寛政6年正月10日に麹町から出火した火事である。「武江年表」の記述をみると、「正月十日未申刻、椛町五丁目秋田屋何某といへる酒屋より出火、烈風にて山王御社・永田馬場・霞が関・虎御門外・桜田辺諸侯藩邸数字類焼、幸橋御門焼、愛宕下・日蔭町・新橋・芝新銭座、仙台・会津家等一円、焼亡せり。」と書かれており、麹町5丁目の秋田屋という酒屋から出火し、永田町、虎ノ門、新橋あたりに燃え広がっているようである。桜田門外の大名の屋敷を中心に焼失していることから、桜田火事と呼ばれているのであろう。
天明5年(1785)10月26日、熊本藩主細川家6代細川重賢(しげかた)が亡くなりました。66歳。兄の宗孝が5代を継ぎ、嗣子がないため、兄の養子に入りました。宗孝は江戸城内で人違いにより斬殺され、第6代藩主に。その際将軍徳川家重の一字をもらって、重賢と改名しました。藩財政は困窮を極めていましたが、積極的な改革を断行。刑法草書を編纂、藩校時習館、医学寮再春館などを開設、櫨(はぜ)・繭の統制、隠田畑の摘発、定免制の実施を企図するなどの改革を行ないました。紀州徳川治貞、米沢の上杉治憲とともに、名君と呼ばれました。


封建社会支えた年貢米にスポット 大商大で企画展。
 封建社会を支えた租税としての米にスポットを当てた企画展「江戸廻米−庄屋勘左衛門、年貢米一万俵を納めに江戸へ参上!」が、大阪府東大阪市御厨栄町の大阪商業大学内「商業史博物館」で行われている。同大がある御厨地域は、江戸時代に幕府領だった地として知られる。企画展では、安政4(1857)年に年貢米を江戸に運ぶ際の責任者を務めた庄屋・勘左衛門に関する史料など約70点を展示している。年貢を納めたことを示す受領証「巳年皆済目録」をはじめ、米の運搬に使った船舶の模型などもあり、中には年貢米を納めた一行が江戸からの帰りに善光寺(長野県)に立ち寄り、観光を楽しんでいたことも紹介している。同博物館は「年貢米を通じ、多くの人の間でさまざまなやりとりがあったことを知ってほしい」と話している。
 11月30日まで。午前10時〜午後4時半。日曜、祝日は休館だが、11月3日と20日は開館。観覧料無料。

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<今日の小池劇場>
パラリンピック リオ大会の経験を東京へ
 2020年東京五輪に向けての催しが開かれ、パラリンピックサポートセンターと連携し、団体の支援を行うと小池知事は都の意向を表明。催しにはリオパラリンピックのメダリスト杉村英孝選手・廣瀬誠選手が登場し、選手目線からリオ大会を振り返った。またリオに視察にいったチームは東京五輪に向け、健常者と障がい者がお互いに理解を深めていく必要性を訴えた。パラリンピックサポートセンターでは来月から障がい者への理解を深めてもらうための講座を始めることにしている。講座は障がい者が講師となって、2020年までに10万人の受講を目指す。
◆五輪・バレー会場 見直し撤回を要望。
 東京五輪のバレーボール会場見直しについて、競技団体の代表者らが会合を開いた。東京都の調査チームが計画の変更を検討していることについて、日本トップリーグ連携機構の川淵会長は、計画通り有明アリーナの建設、開催を強く求めた。競技団体などは、先週21日に小池都知事などに有明アリーナでの開催を求める嘆願書を郵送、アリーナ施設の必要性を訴えた。
豊洲「記憶にない…」石原元知事“ゼロ回答”に小池知事は。
 小池知事が石原元知事に求めていた、豊洲市場の盛土問題などに対する回答が公開された。石原元知事は、豊洲移転の経緯や盛土が行われなかったことについて、「記憶にない」「分からない」を繰り返している。小池知事が今月7日付で送付した質問書に対し、石原慎太郎元知事から14日付で回答書が届いた。東京都はきのう小池知事の指示でそれらを公開した。「「建物地下も盛土をする」という専門家会議の報告に従った対策を講じるものと認識されていたか」という質問に石原元知事は、「全く記憶がありません」と回答。「移転整備先を豊洲として東京ガスに打診した理由は何か」という質問には、「少なくとも豊洲という土地への移転は規定の路線のような話であり、そのことは当時の資料をお調べいただけば分かるものと思います」と回答した。石原元知事の回答には、記憶がないとされるものも目立った。その理由について石原元知事は、「13年半という在任期間中に私が都知事として決裁をした案件数は膨大であることもあり、本書のご回答以上の記憶はございません」と述べた。さらに当時の知事としての道義的については、「結果としてこのような事態に立ち至っていることについてまことに申し訳なく思っております」とした。これについて小池知事は、「石原元知事にはさらに伺いたいことがありますので、それはどういう形にするか、本人がどういう対応をされるのか、伺いつつ進めたい」とした。