南禅寺について

③◆京都五山の上位に位置した南禅寺はどのように称されたか。

ア、声明面  イ、学問面  ウ、武家面  エ、算盤面

<解答>  ウ、武家面 
<解説> 南禅寺は、正応4 ( 1291 ) 年、宋から帰国した無関普門 ( むかんふもん ) を開山とし、亀山天皇が東山の離宮を禅寺に改めたことが起こり。翌年より伽藍建立が開始され、仏殿の落成から最後の法堂の完成まで15年を費やした。建武元 ( 1334 ) 年、鎌倉幕府を倒して政権を握った後醍醐天皇によって京都五山の第一位となり、その後足利義満によって五山のさらに上位に位置づけられた。その後武家の信仰が篤く 「 南禅寺武家面 ( ぶけづら ) 」 と称された。 声明面 ( しょうみょうづら ) と称されたのは相国寺であり、学問面 ( がくもんづら ) と称されたのは建仁寺であり、算盤面 ( そろばんづら ) と称されたのは妙心寺である。(3級)