今日は「桜桃忌」。

◆今日は「桜桃忌」と言われている。文学忌(ぶんがくき)の一つであり、これは、作家の命日をその雅号やペンネーム、代表作などにちなんで、その文学的な業績を偲ぶ日としたものである。「桜桃忌」は太宰治を偲ぶ日であるが、太宰治は入水自殺したことで有名であるが、実は誕生日も6月19日であった。<おとなり日記から抜粋>
●消光の日々、されど<前の日 2013-06-19 「きょう、66回桜桃忌」
 きょうは太宰治の「桜桃忌」である。生まれたのは1909年(明治42年)6月19日。1948年(昭和23年)6月13日、玉川上水に入水し、遺体が発見されたのは奇しくも誕生日と同じ6月19日であった。太宰はその直前に「桜桃」という小説を書いていたことから、19日が「桜桃忌」と呼ばれるようになった。命日は13日。その「桜桃忌」は66回目を迎えた。新宿で50年来バーを経営している林聖子さんは、少女の頃から太宰をよく知っている人の一人。実は、「桜桃忌」の今朝4時台のNHKラジオ深夜便」に林さんが出演して、太宰について話した。
 戦前、太宰も林さん母娘も三鷹に住んでいたが、昭和20年の空襲で焼きだされ、それぞれ疎開したが、終戦三鷹で再会する。その時のことを太宰が書いた「メリイクリスマス」という小説の少女のモデルが林さんだったという。太宰36歳、林さんは18歳の頃だが、太宰は林さんをよく可愛がっていた。しかし、太宰は、男女というややこしい感情なしで安心して付き合っていた。
 林さんは今、80歳代半ば。声に張りがあり、記憶も正確で、若々しい。林さんが、「太宰が行方不明になった」と聞いたのが6月14日。「玉川上水に入水したのではないか」という噂により、行ってみると警察官たちが大勢きて探していた。入水したと思われる場所に行ってみると、太宰がよく使っていたお皿と瓶が置いてあったので、林さんは間違いなくそこから入水したと確信した。
 6月19日、遺体が発見されて、むしろのようなものがかけられていた。残念ながら遺体は太宰と愛人と言われる女性であることが判明した。林さんは、生前、太宰が「自殺するのではないか」といううわさを耳にしている。それに対して太宰は「あの子を残して自殺はできない」と否定した、という。よって、自殺は謎に包まれ、いろんな自殺説が飛び交うことになる。

◆この文学忌を調べてみると主なものは下記のとおりである。
・1月2日:夾竹桃忌:檀一雄、 1月11日:一一一忌:山本有三、 1月21日:久女忌:杉田久女、 1月24日:葦平忌:火野葦平、 1月26日:寒梅忌:藤沢周平、 1月27日:雨情忌:野口雨情、
・2月1日:碧梧桐忌:河東碧梧桐、2月3日:雪池忌:福澤諭吉、2月8日:節忌:長塚節、2月12日:菜の花忌:司馬遼太郎、2月14日:周五郎忌:山本周五郎、2月17日:安吾忌:坂口安吾、2月18日:かの子忌:岡本かの子、2月19日:瓢々忌:尾崎士郎、2月19日:アンドロメダ忌 埴谷雄高、2月20日:多喜二忌:小林多喜二、2月24日:南国忌:直木三十五、2月25日:茂吉忌:斎藤茂吉、2月26日:周遊忌:宮脇俊三、2月28日:逍遙忌:坪内逍遙、2月29日:三汀忌:久米正雄
・3月2日:亡羊忌:村野四郎、3月6日:寛忌:菊池寛、3月26日:犀星忌:室生犀星、3月26日:冬柏忌:与謝野鉄幹、3月29日 : 風信子忌 : 立原道造
・4月2日:連翹忌:高村光太郎、4月5日:達治忌:三好達治、4月7日:放哉忌:尾崎放哉、4月8日:虚子忌:高浜虚子、4月13日:啄木忌:石川啄木、4月16日:康成忌:川端康成、4月30日:荷風忌:永井荷風
・5月6日:万太郎忌:久保田万太郎、5月6日:春夫忌:佐藤春夫、5月10日:四迷忌:二葉亭四迷、5月11日:朔太郎忌:萩原朔太郎、5月11日:梶葉忌:梶山季之、5月13日:花袋忌:田山花袋、5月16日:透谷忌:北村透谷、5月20日:井泉水忌:荻原井泉水、5月24日:らいてう忌:平塚雷鳥、5月28日:辰雄忌:堀辰雄、5月29日:白桜忌:与謝野晶子、月3日:紅緑忌:佐藤紅緑
・6月7日:寸心忌:西田幾多郎、6月9日:武郎忌:有島武郎、6月10日:薄桜忌:宇野千代、6月19日:桜桃忌:太宰治、6月23日:独歩忌:国木田独歩、6月28日:芙美子忌:林芙美子
6月30日:光晴忌:金子光晴
・7月2日:零余子忌:長谷川零余子、7月9日:鴎外忌:森鴎外、7月10日:鱒二忌:井伏鱒二、7月19日:幻化忌:梅崎春生、7月24日:河童忌:芥川龍之介、7月25日:不死男忌:秋元不死男、7月28日:石榴忌:江戸川乱歩、7月30日:蝸牛忌:幸田露伴、7月30日:左千夫忌:伊藤左千夫、7月30日:谷崎忌:谷崎潤一郎
・8月8日:國男忌:柳田國男、8月17日:荒磯忌:高見順、8月22日:藤村忌:島崎藤村、8月24日:くちなし忌:中野重治
・9月3日:迢空忌:折口信夫、9月7日:鏡花忌:泉鏡花、9月7日:英治忌:吉川英治、9月8日:帰雁忌:水上勉、9月17日:牧水忌若山牧水、9月18日:蘆花忌:徳冨蘆花、9月19日:糸瓜忌正岡子規、9月21日:賢治忌:宮澤賢治、9月26日:八雲忌:小泉八雲
・10月3日:蛇笏忌:飯田蛇笏、10月4日:素十忌:高野素十、10月11日:一草忌:種田山頭火、10月21日:直哉忌:志賀直哉、10月26日:茶の花忌:八木重吉、10月30日:紅葉忌:尾崎紅葉
・11月2日:白秋忌:北原白秋、11月6日:含羞忌:石川桂郎、11月18日:秋声忌:徳田秋声、11月21日:惜命忌:石田波郷、11月23日:一葉忌:樋口一葉、11月25日:憂国忌三島由紀夫
・12月8日:暮鳥忌:山村暮鳥、12月9日:漱石忌夏目漱石、12月13日:瓠堂忌:安岡正篤、12月15日:青邨忌:山口青邨、12月22日:青畝忌:阿波野青畝、12月27日:夕焼忌:椋鳩十
12月30日:横光忌:横光利一、12月30日:ホシヅル忌:星新一、12月31日:寅彦忌:寺田寅彦
 こうしてみると、名前から命日を示している日もあれば、作風等思われる部分もあり、その由来を調べてみると何か発見できるかな?太宰治の「桜桃忌」は、名作「桜桃忌」からとったものである。桜桃とはサクランボのことである。「生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、すこしでも動くと、血が噴き出す。」という言葉が、この本の中にでてくる。生きにくかった太宰の心情が読み取れる言葉であり、そこから太宰を偲ぶ日を「桜桃忌」としたようである。

◆『発言を撤回すれば良いのか。情けない政治家である。そして、高市のクビ一つ取れないようでは脱原発などとてもできないはず。情けない野党。』
 原発事故の処理が行き詰まっているというのに、そしてそんな状況にも関わらず安倍自民党政権は原発輸出を進め、電力会社は原発再稼動の準備を進めているというのに、脱原発の声はどんどん弱くなっていり、原発事故以前の如く、自民党政権原発を推進している。
 その象徴的な出来事が、高市自民党政調会長原発事故で死人はでていない発言である。かつて民主党政権の時に鉢呂という大臣が「死の街」「放射能つけちゃうぞ」発言でクビになった事があった。あの時の自民党、メディア、世論のバッシングは凄まじかった。今度の高市発言はそれをはるかに凌ぐ暴言だ。発言を撤回すれば済むのか。そして、高市のクビ一つとれないようで野党はどうする。これからの参院選に向けた野党の奮起が必要な時だが、圧倒的な自民党優勢か。

(主な業務)
・職員提案検討
・職務論文検討 ほか

(6月19日生まれの偉人)
◆太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)とは、日本の小説家。1936年(昭和11年)に最初の作品集『晩年』を刊行した。1948年(昭和23年)に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺を完遂させた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。その作風から坂口安吾織田作之助石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。
 2009年に、立川からの帰りに三鷹に立ちより、「太宰治文学サロン」を訪ねる。生誕100年を記念して、三鷹市が、太宰が通った「伊勢元酒店」の跡地のマンションの一階にオープンしたものである。1939年から死までの9年間を三鷹下連雀に住み、「走れメロス」「斜陽」「人間失格」など代表作の大半をこの地で書いた。三鷹から井の頭公園までの間には、太宰以外にも、山本有三三木露風武者小路実篤などの文人が多く住んでいた。また、吉村昭は妻の津村節子とともにこの地に住んでいたから、文学にゆかりの土地柄である。1939年に石原美智子と見合い結婚をした太宰は、9月に東京府北多摩郡三鷹下連雀に転居し、6畳・4畳半・3畳に縁側と風呂場という貸家に家族で住んだ。12坪というから筆名の高さの割にはずいぶんと狭い。この家が終生の住まいとなった。1947年に太宰のもとに原稿を取りにいった編集者は「あたり一面がヒバリのさえずる麦畑だった」と言ったようにこの当時は田舎だった。太宰の遺体が発見された6月19日は誕生日だった。この日は「桜桃忌」(おうとうき)と名付けられ太宰を偲ぶ会が今も墓のある禅林寺で催されている。この名前は名作「桜桃忌」からとったものである。桜桃とはサクランボのこと。「生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、すこしでも動くと、血が噴き出す。」という言葉が、この本の中にでてくる。生きにくかった太宰の心情が読み取れる言葉である。
1948年1月に喀血。3月頃から山崎富栄が付き添い栄養剤を注射しながら「人間失格」を執筆。「新潮」紙上で志賀直哉らを痛烈に批判。5月、「桜桃」を発表。6月から「人間失格」を「展望」に連載。6月13日夜半、「グッド・バイ」(未完の絶筆)の草稿、遺書数通を机辺に残し、山崎富栄とともに玉川上水に身を投じる。19日に「二人の遺体が発見された。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120619