2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

今日で6月も終わり。

◆江戸検まであと4カ月。まさに追い込みの時期を迎える。この7月にどれだけ本がよめるかが大きな課題。直前3カ月がまさに運命を判断するものであり、これからの暑い戦いを乗り切っていこう。◆「池上線」について 来なくなった理由は、恋愛が破綻したからで…

今日はお休み

◆亡くなった母親の残務整理のため、今日は実家へ。一日休む。<今日の江戸学トピック> ◆天保12年(1841)6月29日、平戸藩主9代の松浦静山が亡くなりました。82歳。藩の統治体制を整備し、財政再建、新田開発、殖産興業に業績をあげました。また文武を奨励し…

2代彦根藩主井伊直孝なくなる

<江戸学トピック> ◆万治2年(1659)6月28日、2代彦根藩主井伊直孝が亡くなりました。70歳。井伊直政の子。兄直勝が病弱なため、代わって彦根15万石を相続。大坂冬・夏の陣で戦功をあげ、30万石に。徳川家の信頼が厚く、秀忠、家光、家綱の三代に仕えました…

まもなく6月も終わる。江戸検まで129日。

◆いよいよあと4カ月に迫る。あれもあこれもしなければという気持ちが強い。ないても直前三カ月は、博覧強記、お題、過去問の絞り切るしか仕方がない。そのためにもこれからの1か月が勝負であろう。やるべきこと、理解すべきことは多い。でも、最後まであきら…

『目白通り』

◆西島三重子さんの名曲『目白通り』です。名曲の『池上線』、『千登勢橋』と同一線上にある青春時の失恋がテーマとなっている。『池上線』の作詞者の佐藤順英さんの恋人が、学習院大学の同じサークルの後輩ではないかと思わせる内容であるが、ネット検索では…

種痘館誕生。江戸検まで130日。

<江戸学トピック> ◆文久元年(1861)6月26日、幕府は江戸の町々に種痘(1796年ジェンナーが発明した疱瘡の予防接種)券を配布、種痘接種をすすめました。江戸時代、疱瘡(天然痘)はしばしば流行していましたが、嘉永元年(1848)に長崎にもたらされ、江戸…

徳川家茂将軍へ。

<江戸学トピック> ◆安政5年(1858)6月25日、幕府は紀州藩主の徳川慶福(よしとみ、のちの家茂)(13)を将軍継嗣とすることを決定。13代将軍家定には子がいなかったため、将軍の甥慶福を推す南紀派と、徳川斉昭の子一橋慶喜(22)を推す一橋派の対立が深…

江戸博覧強記をよむ⑪

◆江戸博覧強記をよむ⑪ ● 解体新書を刊行した版元は・・・須原屋市兵衛 ● 解体新書の翻訳に最年少で参加したのは誰・・・桂川甫周(4代目) ● 蘭学事始は明治になってから出版されました それは誰によって・・・福沢諭吉 ● 日本最初の蘭日辞典ハルマ和解を編纂…

江戸検まで あと 132日   

◆いよいよまもなく7月ですね。あと4カ月です。読書量を増やすとともに知識力の大幅な増大が不可欠です。

江戸博覧強記をよむ⑩

◆江戸博覧強記をよむ⑩ ● 寺子屋で月並銭といえば月謝のこと では束脩(そくしゅう)とは・・・入学金 ● 寺子屋で使用された往来物は(7000)以上あった。● 江戸で寺子屋に入学する日は何時・・・二月の初午の日 ● 罪として水を張った鉢と火のついた線香をも…

都議選告示

<今日のニュース> ◆審判 小池都政の評価問う 都議選告示 国政にも影響(2017年6月23日放送 18:10 - 18:15 TBS「Nスタ」より) 都議選がきょう、告示された。焦点は小池知事支持勢力が過半数を獲得するかどうかだ。小池氏は自民党との対決姿勢を鮮明にして…

12代家慶が亡くなる。

<嘉永江戸学トピック> ◆6年(1853)6月22日、12代将軍徳川家慶が亡くなりました。61歳。11代将軍家斉の長男。45歳で将軍職に就いたものの、家斉が大御所として実権を握り続けました。家斉没後、老中水野忠邦に天保の改革を進めさせましたが、改革の不人気…

武家諸法度の改定

<江戸学トピック> ◆寛永12年(1635)6月21日、江戸城で3代将軍徳川家光が6年ぶりに大改定された武家諸法度を発布。中でも大きな改定点は大名の参勤交代の義務化。これまでも参勤交代は行なわれていましたが、在府の期間や交代時期がまちまちだったので、こ…

江戸博覧強記をよむ(大奥の生活)

◆江戸博覧強記をよむ(大奥の生活) ● 奥女中の下働きで 城外で必要な物を買い整える役目の男性を何という・・・五菜 ● 御台所が朝食の前に行なったことはどんなこと・・・うがい 鉄奬(かね)つけ 入浴 ● 御台所が将軍と御寝のときに出向いた部屋はどこ・・・御…

初代酒井田柿右衛門

<江戸学トピック> ◆寛文6年(1666)6月19日、初代酒井田柿右衛門が亡くなりました。71歳。酒井田円西の子。父とともに肥前有田南川原で磁器を手がけていました。色絵磁器を始め、のちオランダに輸出され、伊万里焼興隆の基礎を作りました。

江戸博覧強記をよむ(将軍の一日)

◆江戸博覧強記をよむ(将軍の一日) ● 中奥にあった将軍の茶室の名は・・・双飛亭 ● 中奥で将軍の居間,寝室,執務室として使用された部屋はどこ・・・御休息之間 ● では 中奥における表役人との応接所にあてられていたところは・・・ 御座之間 ● 医師が毎朝将…

江戸博覧強記をよむ(将軍の一年)

◆江戸博覧強記をよむ(将軍の一年) ● 正月11日に家康所用のある物を黒書院に飾りました それは何・・・歯朶具足(家康が関ヶ原の戦いで着用した具足の複製を1月11日に飾りました。)● 日光社参した将軍のなかで回数が一番多いのは誰・・・家光 10回● 日光社参…

旧暦6月16日は嘉祥

<江戸学トピック> ◆旧暦6月16日は嘉祥。厄払いとして神に供えたお菓子やお餅をたべた宮中儀式を踏襲した習わし。室町末期ころからのもので、江戸時代では江戸城で、将軍から大名に菓子を配ったりしたそう。明治以降、嘉祥は廃れてしまいましたが、いまは和…

浮世絵師鈴木晴信

<江戸学トピック> ◆明和7年(1770)6月15日、浮世絵師鈴木春信が亡くなりました。46歳。江戸出身。明和2年当時流行の絵暦の制作を機に、錦絵(多色刷り木版画)を創出。没年までの5年間で約1000点の作品を制作しました。美人画も遊女ばかりではなく、笠森…

盲人の音楽家、生田検校

<江戸学トピック> ◆正徳5年(1715)6月14日、箏曲家で盲人の音楽家、生田検校が亡くなりました。60歳。近世の箏曲の祖、八橋検校の弟子の北島検校に箏曲を学びました。生田流の祖とされていますが、『新八橋流伝授書』には、北島が手法を改めたものを生田…

『古事記伝』完成

<江戸学トピック> ◆寛政10年(1798)6月13日、国学者の本居宣長が『古事記伝』全44巻の執筆を終えました。完成までにはなんと30年以上もかかったという『古事記』の注釈書。「私古事記伝も、当月十三日全部四十四巻卒業、草稿本書立申候、明和四年より書は…

徳川9代将軍家重なくなる

<江戸学トピック> ◆宝暦11年(1761)6月12日、徳川9代将軍家重が亡くなりました。51歳。8代将軍吉宗の長男。体が弱く、言語も不明瞭で、意思の疎通ができるのは側用人の大岡忠光のみだったそう。大奥に入り浸り、酒宴にふけるようになり、35歳の時に将軍職…

茶人古田織部が自刃

<江戸学トピック> ◆慶長20年(1615)6月11日、茶人古田織部が自刃。72歳。もともとは織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将。茶を千利休に学んだ利休七哲の一人。関ヶ原の戦いで東軍についてからは2代将軍徳川秀忠の茶道師範になりました。罪状は大坂夏の陣で織…

江戸博覧強記をよむ(将軍の一生)

江戸博覧強記をよむ(将軍の一生)● 7代将軍が死去したため わずか5歳で未亡人となった皇女は誰・・・八十宮● 家茂は(3)回上洛しました 家光以来(230)年ぶりのことです。● 将軍宣下の式で 告使が二度唱える言葉は何・・・御昇進(庭から) ● 将軍就任前に 徳…

ブログ中断宣言

◆『しばらく勉強に専念するためにブログを中断します。』宣言します。再開は未定です。

江戸博覧強記をよむ⑨

<江戸博覧強記をよむ⑨> ● 解体新書を刊行した版元は・・・須原屋市兵衛 ● 解体新書の翻訳に最年少で参加したのは誰・・・桂川甫周(4代目) ● 蘭学事始は明治になってから出版されました それは誰によって・・・福沢諭吉 ● 日本最初の蘭日辞典ハルマ和解を編…

<江戸博覧強記をよむ⑧>

<江戸博覧強記をよむ⑧> ● 洋学者たちが「新元会」と称して行なったことは何・・・オランダ正月 (大槻玄沢) ● 岡山藩の藩校「花畠教場」は 名前を変更していますが その名前は・・・花畠教場(寛永18) → 石山仮学館 (寛文6) → 岡山藩校(寛文9) ● 水練地のあ…

江戸博覧強記

<江戸博覧強記をよむ⑦> ● 本多利明が四大急務を主張した著書は・・・経世秘策 ● 倹約,正直,堪忍といった商人に必要な倫理を教え、人の心に訴えて実践を教化したのは誰・・・石田梅岩 ● 江戸時代最初の殉死は誰の時・・・松平忠吉(家康の4男) ● 徳川家光が…

池田屋事件

<今日の江戸学トピック> ◆元治元年(1864)6月5日夜10時過ぎ、京都三条河原町の宿、池田屋へ京都守護職配下の新選組が襲撃。集合していた尊攘派志士と斬り合いになりました。激闘は約1時間におよび尊攘派7人が即死、残る20数名の志士は逮捕。新選組の被害…

今日一日頑張って勉強しました。

◆早朝より、過去問ノートの作成。午前中久しぶりにシティガイドクラブ行事に参加。午後から再び勉強。◆明和8年(1771)6月4日、8代将軍徳川吉宗の次男、田安宗武が亡くなりました。57歳。享保16年三卿の田安家初代に。幼少から学問を好み、荷田在満(ありま…