池田屋事件

<今日の江戸学トピック>
◆元治元年(1864)6月5日夜10時過ぎ、京都三条河原町の宿、池田屋京都守護職配下の新選組が襲撃。集合していた尊攘派志士と斬り合いになりました。激闘は約1時間におよび尊攘派7人が即死、残る20数名の志士は逮捕。新選組の被害は死者3名、重軽傷者多数。長州の吉田稔麿(としまろ)、肥後の宮部鼎蔵(ていぞう)は死亡しましたが、桂小五郎対馬藩邸を訪ねていたため難を逃れました。

<江戸博覧強記をよむ⑥>
● 谷時中,野中兼山,山崎闇斎らを輩出した南学(海南学派)を創始したのは誰・・・南村梅軒
荻生徂徠が「政談」で社会の問題点としてあげた三点は・・・旅宿の境界、制度ナキ、セワシナキ風俗
赤穂浪士大石良雄,小野寺十内らは伊藤仁斎に学びました。その学派は・・・古義学
山鹿素行が提唱した学問は・・・聖学
● 崎門学派の祖は・・・山崎闇斎
● 家宣の治世に重用された二人の名前は・・・新井白石 間部詮房
● 後に和学講談所を設立することになる塙保己一ですが、24歳の時にある国学者に入門します。それは誰ですか。賀茂真淵
● 加藤千蔭,村田春海らは何派の歌人ですか・・・江戸派
● 「もののあわれ」をといた国学者は誰ですか。35年の歳月をかけて「古事記伝」を著わしました。本居宣長
国学の四大人と呼ばれている人は・・・荷田春満 賀茂真淵 本居宣長 平田篤胤

<今日の勉強>
・ 過去問ノート

<今日の読書>
・一外交官からみた明治維新