2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

昨日からG・Wスタートですね。

◆いつもの週末と変わらず、昨日から実家へ。今日は天気も良く、朝から草取りそして水撒き。水不足の成果、若干、成長に陰りが見える。例年のこととはいえ、週末農業の欠点かもしれない。これから陽気が良くなると週末だけではどうにもならないのかな?<今日…

今日から特別展「真田丸」開催。

◆江戸東京博物館では今日29日から6月19日(日)まで、特別展「真田丸」を開催。2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田信繁(幸村)。彼は、「大坂の陣」において、大坂城東南に出丸「真田丸」を築き奮戦した勇将である。信濃国上田城主真田昌幸の次男…

上野国小幡藩と織田信長の次男・信雄。「京都迎賓館」試験公開

◆上野国小幡藩(おばたはん)は、織田信長の次男・信雄を初代藩主とする2万石の小藩。小幡藩は、上野甘楽郡小幡に存在した藩。小田原征伐後、小幡には徳川家康の娘婿・奥平信昌が3万石で入った。慶長6年(1601年)3月、前年の関ヶ原の戦いの戦功により、信昌…

佐賀市・願正寺。熊本地震の復興願う こいのぼり。

(今日の江戸学) ◆佐賀市にある願正寺は、西本願寺を開いた准如が開山。のちの初代佐賀藩主・鍋島勝茂は、関ケ原の戦いでは豊臣方についたが、戦後、危機に瀕した鍋島家を救ったのが准如。このため、勝茂は願正寺を寄進し、藩内の浄土真宗寺院はすべて西本願…

稲葉正則と箱根神社

◆芦ノ湖畔にある箱根権現(箱根神社)の鳳輦(ほうれん)(鳳輦とは、「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」を意味する言葉で、日本においては、古くから、天皇の正式な乗り物を意味する)ほかは、同社の社殿造営奉行を務めた小田原藩主で老中の稲葉正則が、寛文7年…

今日は4月25日

<今日のニュース> ◆五輪新エンブレムは「市松模様」も… 個展やネットで発信”落選作”にも光を 東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムが決定。4つの案のうち、市松模様をイメージしたものが選ばれた。エンブレム委員会の宮田亮平委員長は「公明正大…

週末農業、そして週末介護で週末も終わる。

◆午前中、雨天の中、草取り。そしてトウモロコシの苗、ねぎ、さやえんどうの種をまく、大根、ふき、こかぶ、おおば、キャベ。ジャガイモツは十町に成長。ふき、じゃがいもが来月末ぐらいにはあたりから収穫できそうかな* 朝食、昼食のしたく、部屋の掃除、…

御宿稲荷神社。

<今日の江戸学> ◆大手町駅から北上し鎌倉橋を渡ると、そこには御宿稲荷神社がある。まさにJR神田駅近くである。天正18年(1590)、徳川家康が豊臣秀吉の命により関東移封されて江戸入りした際に、投宿した郷士の家がここである。郷士宅に宇迦之魂命が祀ら…

千光山清澄寺

<今日の江戸学> ◆千葉県南房総の千光山清澄寺はおよそ1200年の昔、"不思議法師"と名付けられた僧侶が千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り、その仏像の前で21日間修行をしたことに始まる。承和3年(836)、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁…

「唐津くんち」

<今日の江戸学> ◆佐賀唐津の曳山展示場にある、江戸時代から続く唐津神社秋季例大祭「唐津くんち」の曳山。いずれも和紙を200枚以上貼り重ねて何層もの漆で塗り固めたものである。現存14基のうち9基が江戸時代のもの。記録が残る「鳳凰丸」は何と製作費1750両。…

恋川春町。

<今日の江戸学> ◆黄表紙は絵と台詞で読ませる江戸時代の漫画本。写真は新宿区の成覚寺にある、黄表紙の創始者で江戸中期の浮世絵師・戯作者・狂歌師、恋川春町こと倉橋格(くらはし いたる)の墓。格は小島藩松平家の重臣で、小石川春日町の同藩邸に居住したこ…

小谷城大広間跡

◆別名「千畳敷」とも呼ばれる大広間跡は、小谷城内でもっとも広い曲輪跡です。平時においては、奥方(お市の方)や姫たちは通常、麓の清水谷の屋敷で暮らし、戦時などの非常時にかぎって、この本丸の一段下にある大広間に移動したそうである。(ちなみにその…

羽村取水堰(玉川上水取水堰)

<今日の江戸学> ◆東京羽村の多摩川河畔にある、承応2年(1653)通水の羽村取水堰(玉川上水取水堰)は、東京都羽村市にある多摩川の堰。玉川上水の取水口(水源)である。正式名称は東京都水道局羽村取水堰。東京都水道局が管理している。1654年(承応3年)…

鍋島藩窯

<今日の江戸学> ◆藩士に他藩との交流を禁じ、徹底的に余所者を排除したことから「鎖国の中の鎖国」と呼ばれる佐賀藩。なかでも伊万里の大川内山にあった鍋島藩窯は、最高級磁器の技法を盗まれぬよう、関所を作って藩士の出入りまで厳重に監視した。 ・江戸時…

九州「同時多発地震」これからどうなるのか。

◆九州「同時多発地震」これからどうなるのか。 九州中部で続いている強い地震は、熊本から阿蘇へと広がり、大分を震源とする地震も起こって群発の様相だ。震度1以上の余震は18日(2016年4月)午前0時までに508回にのぼっている。死者は42人、負傷1000人以上…

熊本・大分 地震相次ぐ 17万人余 避難。週末農業。

<今日のニュース> ・熊本・大分 地震相次ぐ 17万人余 避難 多くの人達が避難所での生活を余儀なくされている。益城町の体育館に避難した人たちは、限られたスペースの中で一夜を明かした。午前0時現在、少なくとも41の市町村で16万5千5百人余りが避難所な…

要石

<今日の江戸学> ・千葉県の香取神宮本殿は元禄13年(1700) の造営。境内にある「要石」は地震を起こす地下の大鯰を押さえているとされ、茨城の鹿島神宮の要石が頭を、香取神宮の要石が尾を押さえているともいわれる。ちなみに両要石の距離は直線で約13km。 …

続く「余震」いつまで

<今日のニュース> ・続く「余震」いつまで 熊本で震度7の地震から一夜。今回の地震は余震が多く、震度1以上の余震は午後9時の段階で 148回起こっている。気象庁は震源の深さが11kmと浅いことが余震の原因とみている。気象庁は会見で「浅い所で発生すると規…

佐藤彦五郎。大昌寺。熊本で震度7の地震発生。

<今日の江戸学> ◆日野地区の大名主で、天然理心流・新選組の支援者であった佐藤彦五郎が眠る大昌寺。本堂の屋根に三つ葉葵を戴くのは、将軍家菩提寺・芝増上寺の末寺だから。彦五郎は土方歳三の従兄弟で義兄。免許皆伝の腕前で、近藤勇らの上洛後は自ら門弟…

皇居東御苑にみる江戸城。三味線。

◆皇居東御苑にみる江戸城 ・大手三之門 大手三之門は、別名下乗門と呼ばれる門で、此処で御三家・日光門主以外のは駕籠を降りなくてならなった。現在は、三之門前の堀は埋め立てられてしまっている。 ・富士見櫓 富士見櫓は、高さ16メートルの櫓です。どこか…

大阪城公園

◆大阪城公園は、大阪市中央区にある大坂城特別史跡地に所在する広大な都市公園である。敷地内には大阪城ホール、多目的グラウンドである太陽の広場、軟式野球場、野外音楽堂などが設けられている。公園のほぼ中央に聳える大阪城天守閣は展望台と歴史博物館を…

旧中山道板鼻宿本陣の木嶋家書院

◆群馬県安中市に残る旧中山道板鼻宿本陣の木嶋家書院は、寛永期(1624〜44)建築とも寛政期(1789〜1801)建築とも。公武合体の象徴として14代将軍家茂に降嫁した孝明天皇の妹・和宮は、文久元年(1861)、下向の途上ここに一泊。 ・板鼻本陣跡(皇女和宮御仮泊所)…

来年1月スタート「おんな城主直虎」。浜松のゆるキャラ「出世大名家康くん」から「うなも」へ。

◆来年1月スタート「おんな城主 直虎」。 ドラマは同市北区引佐町井伊谷(いいのや)ゆかりの遠江・井伊家で戦国期に男の名前で家督を継いだ女性城主、井伊直虎が主人公。柴咲コウが直虎を演じる。浜松駅、そして浜松城址公園に来年の大河ドラマの幟が立って…

いつもの週末ですが。桜満開の浜松城(天守閣)。

◆朝夕はともかく日中の陽気はまさに春ですね。明日も天気は良さそうですね。いままで、寒い、寒いと言っていたが、陽気も「春」と「初夏」のせめぎ合いが始まってくるのでしょうか。 ◆桜満開の浜松城(天守閣) 浜松城(はままつじょう。近代以前は旧字体で…

長い夜

「長い夜」(松山千春、作詞・作曲:松山千春)(https://www.youtube.com/watch?v=n-T-AFcAQDQ&nohtml5=False) ●恋にゆれる 心ひとつ お前だけを 追いかけているよ おいでここへ ぼくのそばに 燃えるような くちづけをあげる 長い夜を 飛びこえてみたい お…

小倉城(通算1550日 (1550日間継続中))

<今日の江戸学> ◆小倉城は、関ケ原戦後に豊前・豊後40万石の太守となった細川忠興が築城。同家の熊本転封後は、江戸時代を通じて徳川家外戚の小笠原家の居城に。慶応2年(1866)、第2次長州戦争の敗勢で撤退する際に火を放ち、城は焼失。現天守は昭和の再建。…

江戸城天守閣

<今日の江戸学> ◆江戸城の天守閣は、慶長12年(1607)家康、元和9年(1622)秀忠、寛永15年(1637)家光と3回建築されている。特に三代将軍家光の代に江戸幕府の権威を象徴するわが国最大の寛永天守閣が完成した。 ・寛永天守閣 その天守は地上から高さ58m…

イタリア人宣教師・シドッチとみられる遺骨を発見。

<今日の江戸学> 東京文京区の遺跡「切支丹屋敷跡」の発掘調査でこのほど、1708年に捕らえられたイタリア人宣教師・シドッチとみられる遺骨を発見。DNA鑑定によりイタリア男性と確認され、文献とも一致。日本人世話役2名の遺骨も。シドッチ尋問に当たった新井…

清見寺。八坂神社。

<江戸学トピック> ◆静岡興津の清見寺は、外交使節団である朝鮮通信使や琉球慶賀使が、江戸参府の途上で宿舎とした名刹。名勝・美保の松原を遠望する文政11年(1828)建立の大方丈には、歴代の通信使や慶賀使が遺した典雅な書体の扁額が多数掲げられている。 ◆…

紫雲山瑞聖寺。嬉野大チャノキ。

◆東京港区の瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗寺院。黄檗宗は臨済禅の一派で、江戸初期に中国明僧・隠元隆蒅が伝えた新仏教。インゲン豆や普茶料理・煎茶などもこのとき伝来。大雄宝殿の本尊釈迦如来・阿難・迦葉像は、寛文11年(1671)造立。 ・黄檗宗(おうばくしゅ…