週末農業、そして週末介護で週末も終わる。

◆午前中、雨天の中、草取り。そしてトウモロコシの苗、ねぎ、さやえんどうの種をまく、大根、ふき、こかぶ、おおば、キャベ。ジャガイモツは十町に成長。ふき、じゃがいもが来月末ぐらいにはあたりから収穫できそうかな*
 朝食、昼食のしたく、部屋の掃除、洗濯で一日追われる。

田中角栄とはいかなる政治家だったのだろうか。
●『田中角栄の昭和』で紹介されている政治家のコメントから、その人物像を探ってみると、
 田中さんは天才的な発想ができる人だった。役人出身の私たちとは発想が違っていた。どの登山口から登ろうが、富士山の頂上に行ってしまうようなところがあった。(元首相・自民党 宮澤喜一
 戦後日本をリードした保守政治家の代表で、社会党にとっては大きな政敵だったが、日中国交回復に尽力するなど共感できるところもあった。一方で、金権腐敗を拡大した人物であり、戦後日本の“光と影”を象徴している人物だった。(元首相・社会党委員長 村山富市
 そして、評価は二分している。宮澤氏が指摘するように、田中は記憶力・発想力・行動力ともずば抜けた、天才的な政治家であった。日中国交正常化を実現させた点は、異なる立場である社会党の村山氏からも高く評価された。
 一方で、“金権政治”の象徴とされることも多く、戦後最大規模の汚職事件とされるロッキード事件は大きな衝撃を与えた。大規模な公共事業を多く手がけ、特に選挙区であった新潟には上越新幹線関越自動車道を建設した。もちろん有益な事業も多かったものの、現在につながるハコモノ行政を推進し、今日の新幹線網を築いた。(まさに、「日本列島改造論」)
 反面、「今太閤」と称され、田中ほど大衆に愛された政治家もまた、いなかったのではないだろうか。一度会った人の名前は決して忘れず、気遣いの達人であった。そして、大衆の心を鷲掴みにしてしまう演説と、人間味あふれるキャラクターが最大の魅力だった。決断力、実行力が並外れたものであり、「やる」と言ったことは絶対にやり遂げる。そのかわり、できないことは最初からできないと言う。約束を必ず守ることで信頼を勝ち取る。それが田中の流儀なのだ。
 現代日本に「強いリーダー」が求められていることは間違いない。そうした風潮の中で、田中の再評価が進んでいる印象を受ける。『田中角栄の昭和』は2014年8月に出版された本だが、書店には、田中角栄を取り上げたムックや書籍がずいぶんと並んでいる。伝説的なスピーチをまとめたものなど、肯定的な内容のものが多い。今こそ、混迷の時代だからこそ、人々は強烈なリーダーの出現を望んでいる。“田中角栄ブーム”は、そんな世相を反映しているのかもしれない。
田中角栄金権政治を批判する急先鋒だった石原慎太郎氏が、『天才』というタイトルで上梓した新刊は、田中角栄の人生を一人称で書くというまさかの“霊言”だった。金権を批判したが、しかし政治家として田中角栄は天才で本当のインテリだと評価している。そして、石原氏は、角栄アメリカに頼らない資源外交を展開したことが、ロッキード事件につながると見る。作中で角栄は、こう述懐する。『無念ながらこの国は未だにアメリカの属国ということを何とこの俺自身が証してしまったのかもしれない』
 そして、石原氏は次のようにも語った。「角さんが総裁になって初めての国政選挙で使った金が300億円だよ。ロッキード事件で授受したとされたのが5億円。300億の中の5億なんていうのははした金なんだよ。どこから出た金かなんて、角さんにわかるわけがない。つまり田中内閣というのは、アメリカの策略でやられたんだよ。その結果、田中角栄を否定することで、私たちは歴史を改竄してしまったんだ。それは後世にとって本当によくない。」「歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい」「そんなバカ話を含めて、角さんみたいにひらめきがあって、国民の琴線に触れる言葉を持つ政治家は、もういないね。」と。
*「今の政治から・・・再び田中角栄期待論」(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131220#p1
 「田中角栄流「生き抜くための智恵」全伝授」(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130415/p1