紫雲山瑞聖寺。嬉野大チャノキ。

東京港区の瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗寺院。黄檗宗臨済禅の一派で、江戸初期に中国明僧・隠元隆蒅が伝えた新仏教。インゲン豆や普茶料理・煎茶などもこのとき伝来。大雄宝殿の本尊釈迦如来・阿難・迦葉像は、寛文11年(1671)造立。
黄檗宗(おうばくしゅう)は、日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派(三禅宗は他に臨済宗曹洞宗)。日本における仏教の宗派であり、臨済宗曹洞宗に次ぐ禅宗の一つである。唐の僧・黄檗希運(? - 850年)の名に由来する。黄檗臨済義玄(?−867年)の師である。臨済宗曹洞宗が日本風に姿を変えた現在でも、黄檗宗は明朝風様式を伝えている。本山は隠元隆蒅(1592 - 1673年)の開いた、京都府宇治市黄檗山(おうばくさん)萬福寺である。
紫雲山瑞聖寺は、東京都港区白金台3−2−19に所在し、宇治萬福寺を本山とする黄檗宗寺院であった。当寺は、「本山の光景を模擬する所にして、其経営頗る他に異なり、江戸黄檗宗寺院最初創建の伽藍」(『江戸名所図会』)として注目されたものである。
 本尊は釈迦如来であり、脇士として阿難・迦葉が安置されている。また大雄宝殿の南方には寺務所が建ち、北方には民家が建っている。また大雄宝殿正面北側に布袋間が設けられていた(本尊間北側に移設)が、これは瑞聖寺布袋尊が山手七福神(滝泉寺恵比寿尊、蟠龍寺弁財天、大円寺大黒天、妙円寺福禄寿・寿老人、瑞聖寺布袋尊、覚林寺毘沙門天)の一つである。
 紫雲山瑞聖寺は、本山である黄檗萬福寺の開山隠元の弟子木庵和尚(萬福寺第ニ世)を開山として、寛文10年(1670)に創立された。伽藍は青木甲斐守によって寛文10年5月より建立が開始され、翌11年4月には山門・大殿・方丈・左右大小寮舎が落成し、同年6月15日に木庵を請じて開山とした。延宝8年(1680)には下谷池端瑞錦袋円の元祖了翁僧都により経蔵が建立され、唐本の一切経が納められた。また同年冬には僧堂が落成している。(紫雲山瑞聖寺HPより引用)

◆樹齢340年以上、樹高4m、枝張直径12m。嬉野茶で有名な佐賀嬉野市にある「嬉野大チャノキ」は日本最大・最古ともいわれる茶の木で、国の天然記念物。嬉野茶は江戸初期に佐賀藩士・吉村新兵衛が栽培に尽力、この木も新兵衛が植えたものとも言われている。
・嬉野の大チャノキ(うれしののおおチャノキ)は、佐賀県嬉野市嬉野町不動山地区にある茶の大木。大茶樹(だいちゃじゅ)とも呼ばれ、国の天然記念物に指定されている。
・吉村新兵衛  慶長8年(1603)〜明暦3年(1657)
 江戸時代初期の白石南郷(有明地域西部)の大庄屋。佐賀初代藩主鍋島勝茂(なべしまかつしげ)に仕え、彼杵(そのぎ)・松浦他西口通路の警備の任を命ぜられ、嬉野へ移住した。落度(おちど)があって慶安3年(1650)に切腹と決まったが、父の戦功・親子三人の恭順・神文などによって一命を助けられた。以後、志を茶業にたて、茶樹の栽培・製法を研究し、今日の全国有数の嬉野茶の基礎を築いた。明暦3年(1657)3月24日に勝茂が逝去(せいきょ)した後、その重恩を感じ、4月11日に追腹(おいばら)を切った。稲佐神社境内南の駐車場脇に、新兵衛夫妻の供養碑がある。(佐賀県白石町HPより引用)

<今日のニュース>
◆新宿から全国へ “巨大”高速バスターミナルがオープン。
 新宿駅南口に高速バスターミナル「バスタ新宿」オープンした。これまで、新宿駅周辺に点在していた19箇所の高速バスの発着所が1箇所に集約された。4階にある出発ロビーには、広々とした待合室にチケット売り場も併設されている。青森から福岡まで全国39都府県300都市を結び、ピーク時には1日1600便以上が発着する。新宿駅と直結しているため、乗り換えもスムーズになる。さらに、3階では英語、中国語、韓国語による観光案内のほか、外貨両替や宅配もできる。もう一つの狙いが、客待ちタクシーによる渋滞の緩和。駅前のタクシー乗り場をバスタ新宿に移動し、タクシーが原因で起きていた駅周辺の渋滞解消が期待できる。バスタ新宿では1日約4万人の利用者が見込まれている。
◆各地で研修 新入社員は“ドローン型”
 新年度になり、新入社員の研修が各地で始まっている。企業の研修を手掛ける日本生産性本部客員研究員の岩間夏樹さんは、 今年の新入社員を「ドローン型」(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20160324#p1)と名付けたと話す。就職活動の日程の変化等にもめげず自律飛行を保ち希望の内定を確保した社員が多いからだという。また、逆風下で内定を確保したものの、操縦ミスに注意が必要とのこと。