茶人古田織部が自刃

<江戸学トピック>
◆慶長20年(1615)6月11日、茶人古田織部が自刃。72歳。もともとは織田信長豊臣秀吉に仕えた武将。茶を千利休に学んだ利休七哲の一人。関ヶ原の戦いで東軍についてからは2代将軍徳川秀忠の茶道師範になりました。罪状は大坂夏の陣織部の子、重広が二条城に放火して、豊臣方に呼応しようと企てたため。大名茶を確立する一方、やきものや茶室にも才能を発揮した、利休亡き後の最大の茶人でした。