徳川家茂将軍へ。

<江戸学トピック>
安政5年(1858)6月25日、幕府は紀州藩主の徳川慶福(よしとみ、のちの家茂)(13)を将軍継嗣とすることを決定。13代将軍家定には子がいなかったため、将軍の甥慶福を推す南紀派と、徳川斉昭の子一橋慶喜(22)を推す一橋派の対立が深刻化。南紀派は大老井伊直弼、一橋派は島津斉彬松平慶永ら。結局、直弼が大老という権力を手にしていたため、この決定となりました。