盲人の音楽家、生田検校

<江戸学トピック>
◆正徳5年(1715)6月14日、箏曲家で盲人の音楽家生田検校が亡くなりました。60歳。近世の箏曲の祖、八橋検校の弟子の北島検校に箏曲を学びました。生田流の祖とされていますが、『新八橋流伝授書』には、北島が手法を改めたものを生田一人に教えて亡くなったため、北島検校以来の伝承を生田流と呼ぶようになったといわれています。生田流ではそれまで別々に演奏されていた三味線音楽の地歌箏曲をあわせて演奏されました。