武家諸法度の改定

<江戸学トピック>
寛永12年(1635)6月21日、江戸城で3代将軍徳川家光が6年ぶりに大改定された武家諸法度を発布。中でも大きな改定点は大名の参勤交代の義務化。これまでも参勤交代は行なわれていましたが、在府の期間や交代時期がまちまちだったので、この発布により、在府1年、交代期は毎年4月と定めました。またこのとき参勤交代を命じられた大名はすべて外様大名。これにより薩摩の島津氏ら西国大名61名が在府と決まり、加賀の前田氏ら38名は翌年の参勤になりました。

◆北条藩屋代家(1万石)の重税に反発した農民は正徳元年、一揆を結成し藩へ門訴。藩は年貢減免を約束しながら名主3名を処刑。一揆は幕府老中への駕籠訴に発展、北条藩は改易に。事件は「万石騒動」と呼ばれる。