社会保障制度について

賦課方式、積立方式とも、それぞれ長所・短所があるが、賦課方式の場合は、人口構成が高齢世代より、常に若い人の方が多いピラミッド型になっていないと、問題が噴出する。社会保険方式は保険加入者がみなでリスク(年金の場合は長生きのリスク)をカバーし合うもので、対象は加入者で保険料を払った人だけ。負担と給付の対応関係が明確で、自己責任型ともいえる。
 税方式は、何らかの事情(年金の場合は老齢)で所得がなくなったか、低くなった人に対して、税を財源に所得を補助する。つまり、所得の再配分であり、税を納めているかどうかは関係がない。言い換えれば、保険方式と違い、受益と負担は対応していない。
 現在、日本の公的年金は、賦課方式でかつ社会保険方式である。これが現在の問題を生みだしている根源である。
主に民間のサラリーマンなどが加入する厚生年金の場合、年金受給者は現役時代の給与の約60%の年金を受け取っている。今から約50年前の1965年には、9.1人の現役世代で1人の高齢者を支えていたので、単純計算すれば60÷9.1=6.6%の保険料率でよいことになる。これに対して、2012年では現役世代2.4人で一人を支えなくてはならないから、60÷2.4=25%の保険料率になるはずだが、実際は約16%なので、保険料だけでは年金の支給金額を賄いきれない。その不足分を「国庫負担」という名の税金(国債による収入かもしれないが)を投入して、補っているという構図だ(実際はもっと複雑)。
 こうした構図が二つの問題を引き起こしている。現在の年金受給者も、現役時代には年金保険料を支払っており、一般の保険や貯金の感覚からすれば、支払ったおカネは年金支払いの原資として積み立てられていると思っていても、何ら不思議ではない(正確に言うと一部は積み立てられている)。だから、年金を減額しようとすると激しい反発が起こる。二つ目は、受益と負担の関係が明確な保険方式に、それが明確でない税金を相当金額つぎ込んでしまったということだ。国民からすれば、保険料の引き上げに加えて、なぜ増税まで行われなくてはいけないのか、増税を認めたとして、どんな受益があるのか理解しづらい。
 賦課方式は現役世代の保険料で高齢世代を養う仕組みだから、収支をバランスさせる方策は、①経済成長率を上げるか、②年金の給付額を減らすか、③保険料をあげるかの三つしかなく、実際にはこれらを組み合わせるしかない。
 第1の論点は、我が国の「名目」成長率をあげることができるのか、できないのかということである。名目成長率が上がれば、税収も増えて増税も少なくてすむし、給与が増えれば保険料の負担感も小さくなる。日銀の金融緩和が欧米に比べて小さいため、物価の持続的な下落であるデフレから脱却できず、円高も続くという根強い意見がある。これに対して、国会で徹底した議論が行われたとは言えず、自公民がどのような経済見通し、経済政策を前提としているかが分からない。
 第2の論点は、現状の年金制度について、抜本的な改革が必要なのか、現状の制度を前提にした調整でよいのかが、うやむやにされたということだ(3党合意では社会保障制度改革国民会議で議論するとされている)。実は、自公政権下で「100年安心」を謳った2004年の年金改革の柱は、給付金額を抑制し、保険料率に上限を設けるということだった。最終的には、年金の給付を現役時代の約50%まで引き下げ、保険料率は約18%で頭打ちにするといものだ。だが、2050年に現役世代1.2人で1人の高齢者を支えなくてはならないとすると、保険料だけでは大幅に財源が不足する。自公両党は年金に関して現行制度を前提に考えるとしているが、保険料が大幅に不足することを考えると、消費税率がどこまで上がるのか、国民には長期的な展望が不明なままだ。
 一方、民主党が掲げていた税財源による最低保障年金と社会保険方式による所得比例年金の導入は、抜本的な改革に近いが、これも消費税引き上げのために棚上げされてしまった。そもそも、長期的な負担と受益の関係すら示されなかった。
 国民が知りたいのは、今後、ますます労働力人口が減り、高齢人口が増える中で、現状の社会保障制度のままでよいのか、それとも抜本的な改革が必要なのか、それぞれの場合に、長期的な負担と受給の関係はどうなるのかということだ。結局、その道筋は示されることなく、消費増税だけが先行されようとしている。しかも消費税の使途が社会保障に限定されたために、社会保障が赤字だから、大切な社会保障を維持するために、という理由でいくらでも増税が可能になりかねない道を切り開いてしまった。
 社会保障と税のあり方は、国のかたちでもある。自己責任を重視し、格差を受け入れるのか。格差を小さくするために、再配分を重視する社会を目指すのか。まずは、その理念が求められる。理念が明確にならなければ、4つのキーワードを組み合わせて政策を練り上げることができない。
 理念と政策を同じくするものが結集しない政党は、結局のところ分裂せざるを得ないことを、今回の民主党の内紛が如実に示した。今こそ、理念と政策という旗の下に、志を同じくする政治家同士が集まり、国民に信を問う。それこそが民主主義の筋というものだ。今回、消費増税が実現したとしても、国民の信頼を失った政党・政治家が、さらなる国民負担を求めることに国民は納得しないだろう。増税反対に関しても、政治家であれば、「増税はやるべきことをやってから」一辺倒ではなく、やるべきことをやっただけで問題が解決するのかどうか、その先の長期的な展望をも示すべきであろう。
 その上で、国民の審判を仰ぐべきであろう。それも仮にマニフェストに掲げ、政権を確保した場合には、出来ない事情があればきちんと国民に説明すべきであり、説明なく消費税増税をした民主党政権の二の舞どころか、国民の信頼を失い、国家の混乱をさらに招くであろう。