新たな人生への自分探しの日々。旅ではないですね。

 自分が充実した人生を送るためには、「自分は何のために生きているのか」という「人生テーマ」の発掘が何よりも大切であろう。企業であれ、役所であれ、自分に問われるのは、「あなたは、今まで何のために生きてきたのか、何をしてきたのか」ということであろう。自分の「価値観の原点」は、間違いなく「自分の過去の中」にあろう。不安定な政治と社会の中で、「人生テーマ」を明確に持っている人は、不透明な時代では少ないかも。
 学生であれ、社会人であれ、したい「自分探し」をすることこそが、「天職」への近道となる。最近の就活が話題になっているが、現在、年間55万人を超える大学卒業生のうち4人に1人に当たる13万人が進路未定のまま卒業し、また大学を卒業して就職後3年以内に40%もの若者が離職しています。学生と企業の間に「就職のミスマッチ」=「企業と学生の求める条件が合わない」が発生しているそうである。そういう意味では自分は贅沢かもしれない。人生80年いや人生120年と言われる今日の状況の中、第二の人生を目指すのは贅沢かもしれない。
 そしてこれからの自分もまた新たな自分探しの人生が始まる。まもなく始まるであろう第二の人生を迎えて。「自分探し」は、「生い立ち・出会い・出来事」を探ることから始まる。今度の自分探しには、仕事をしていた自分の経験・価値観が加わるであろう。

寺島実郎さんの基調講演「時代認識の進化―日本創生のために」と『アメリカに潰された政治家たち』(孫崎亨著)
●「時代認識の進化―日本創生のために」(寺島実郎講演)
 私自身、この夏を振り返ってみると経済産業省資源エネルギー庁の総合エネルギー調査会の委員として3・11以降の日本のエネルギー戦略をどうするのかについて途方もない時間を費やしながら委員会に参加したことがひとつの思い出になっています。御存知のように脱原発派の人たちがデモを盛り上げているような夏でした。そのような中で、日本の国家戦略としてエネルギーに対しどのような視界を開くべきかという非常に大事な局面だったのですが、一体、自分自身が何をどこまでわかっているのかというある種の不安のようなものを感じながら必死になっているのが、現下の立ち位置だと思います。
しかも、3・11以降、最近、皆さんも少し自分自身で気がつき始めていると思いますが、日本人の目線がもの凄く内向きになっています。「内向する日本」と言ってもよいくらいで、見えていないのだなと感じます。したがって、できるだけこのようなアングルから見ると別のことが見えて来るというのが今回お話したいポイントのひとつです。
いま日本人は国際社会の中でどんどんブラインドに置かれている気がします。私は約18年前の1994年に、中央公論発行の『世界』で「新経済主義宣言」という論文を書いていますが、その時こそ、自分自身、腹を括って物事をより深く考えようと思った瞬間だったのです。当時、問題意識は2つありました。1994年は冷戦が終わったという直後で、それまで世の中は東西冷戦の真っ只中で社会主義対資本主義の戦いが繰り広げられていて、私自身の大学生活も左翼運動と向き合うものでした。いまの私はどちらかというとリベラルな言論人だというイメージがあるのですが、当時は「右翼秩序派」と呼ばれ、要するに、一般学生は左翼以外はすべて右翼だという位置付けの中で「右翼秩序派・寺島実郎とその一派を葬り去れ」という立て看板が掲げられてゾッとするような空気の中、早稲田で向き合っていました。
そのような中で、いま考えてみると社会主義だ資本主義だということで人間が興奮していたのかと若い人は理解の外だと思いますが、冷戦が終わって資本主義が勝ったといわれる時代がきて、それまで日本の政治も55年体制社会党自民党の戦いが繰り広げられていました。そのような政治の上部構造にいる人たちに振り回された状況から冷戦が終わって経済の時代が来たと言われた状況だったのです。
そこで私は一つの柱としてこの国は政治で飯を食う人たちを減らしていかなければならないと言い続けているのですが、今回もまた、うやむやのまま税金だけは上げたという状況になっていることを皆さんも察知されていると思います。もう一つは、当時、ソ連ソ連崩壊後のロシアや東欧圏の国を動き回って、こんなことで資本主義が勝ったと言えるのかという感情がわき上がってきたのです。つまり、西は東に勝ったけれども結局持ち込んでいるものは一体何かというと目を覆うような風俗や、マネーゲームやギャンブル等だったのです。そのような姿を見て、これで資本主義が勝ったと言えるのかという問題意識からマネーゲーム批判を始めた瞬間でした。
しかし、いま経済人も胸を張れないのは、マネーゲーマーが繰り広げている姿を見たならば真っ当な感覚を持った人たちは怒りを覚える状況になっています。そのようなことから何か経済に対して見下すような、蔑むような空気、更に追いうちをかけるように3・11で福島のような事故が起こったことによって戦後の成長や、経済のイノベーションを支えていた人たちの旗色が急速に悪くなって、行き着いた先で登場してきた象徴的なメッセージがあります。それは、私はYMO時代から好きな音楽家坂本龍一さんが、反原発デモの先頭に立って、「たかが電気ではないか」という言葉が記憶にあるかたもいると思いますが、この空気なのです。つまり、「経済よりも命だ」、そのような形で経済、産業というものが価値を揺るがし始めているのがこの夏の状況でした。
「たかが電気ではないか」という言葉に経済の世界を生きてきた人間はどのように答えるのかというと、私は「たかが音楽ではないのか」と言い返すような品の無さは持ちたくないので、「経済人が文化をリスペクトしなくなったら国の品格、価値が一気に落ちます。同様に文化を支えている人たちも経済の基盤なくして文化が成り立つのかという問題意識を持つことも重要ではないのか」答えたいと思います。
したがって、日本のメディアの空気は、先ず「脱原発」と言っていれば拍手が起こります。ではどうするのかというと、再生可能エネルギー重視で進めばなんとかなると言っていれば一定の見識のある人間であるかのように振る舞えるのが現下の日本です。しかし、そんな単純な話ではないということをアメリカや中東を見ていて実感します。
先ず、原子力への踏み込みなのですが、アメリカは2月10日にジョージアで2基、3月30日にサウスカロライナに2基、合計4基の原発の新設を認可しました。つまり、スリーマイル島の事故以来、33年間、1基の原発も認可してこなかった国が、日本の福島の状況がまだ定まらない中で、あえて4基の原発の新設を認可しました。これは驚くべきことです。何故ならば、オバマ政権はいままで原発に対して非常に慎重だったからです。これは何をメッセージとして発信しているのかというと、私が総合エネルギー調査会で最初から枝野経産大臣や古川国家戦略担当大臣に、くどいほど言ってきたことは、「問題の本質をわかっていますか。覚悟をもって向き合わないと絶対に脱原発と言っても前に進まないですよ」ということでした。その最大の理由は、対米関係です。アメリカは原子炉技術の進化に立ち向かっていく決意を見せていて、それは何かというと我々はアメリカの原子力産業の市場として、原子燃料の市場として期待され、アメリカの原子力産業にがんじがらめに絡め取られて戦後日本の原子力が今日まで来たという認識を持ちがちです。それは間違いではありませんが、この5、6年で少しパラダイムが変わりました。33年間、商業ベースの原発を一基も作らないでいるうちに、2006年に東芝がウエスチングハウスを買収し、2007年に日立とGEのジョイント・ベンチャーができました。更に、三菱重工がフランスのアレバとのジョイント・ベンチャーをつくりました。実は、いま世界の原子力産業の中核、主体が日本産業で、皆さんも日本製鋼所室蘭という工場があるのを御存知だと思いますが、格納容器のシェアは世界の8割を日本が持っています。どういう意味かというと、要するに、ロシアの原発だろうが、中国の原発だろうが日本製鋼室蘭が世界の原発の8割を担っているということなのです。いまウエスチングハウスが中国で4基の原子炉の建設にあたっています。台湾の7号機はGEが下請けですが実態は日立が動いています。アメリカに新設される4基に関しても、本の機械機器が動くということなのです。要するに、日米原子力共同体という構造になっている中でアメリカが原子力を推進することは日本に対する役割期待を持つ一方、現実には日本に依存しなければそのプロジェクトは進まない状況になってしまっているのです。
そこで、日本の政権が新しく出してきたエネルギー政策の欺瞞が象徴されているのですが、アメリカとの利害調整、アメリカと向き合う気迫がなければ本気で脱原発はできないことが言ってきた通りになりました。要するに、国際社会の中で原子力の平和利用の分野だけに徹して原子力を行なってきた国として日本の技術基盤は責任もあるし、立ち向かわなければならないテーマなのです。綺麗事ではないのです。隣の中国が2030年には80基、8千万kWまでもっていき、韓国も38基までもっていきます。台湾でさえ12基まで増設しようとしています。つまり、100基以上の原発が日本を取り巻くことになります。日本でだけ脱原発と言って済む話ではなくて、近隣の国々が事故のようなものを起こしたと仮定すると、日本が貢献するにも発言するにも原子力の技術基盤を持っていないという状況だったならば一切の存在感を失うことを覚悟しなければならないことになります。
したがって、そのような意味においてアメリカの原子力の動向はとても重要で、この夏、例えば、エネルギーに関する議論の中で原発を止めても凌げてよかったではないかという空気が漂っていますが、実際にはじわじわと日本経済にボディブローがきています。何故なら、今年の貿易統計上、おそらくLNGの輸入が合計7兆円になります。その内、3兆円分が原発を止めている代替分で増えたものです。7兆円といってもイメージが湧かないと思いますが、我々は海外から食べ物を買って生きていて、世界中から食品、食材を含めてあらゆる食料品をどれくらい買っているかいうと6兆円買っています。つまり、その食料品よりも多いくらいのボリュームのLNG、それ以外にも石油などを買っているということです。そのように凌いでいるのだからいいではないかと言っても、IAEAやIEAでは、「日本はいいですね。産業力を持っていて外貨を稼げるから少々高いものでもさほど影響しませんが、途上国は困るのです」というわけです。日本のエネルギー戦略のボトムラインは何かというと、世界のエネルギー情勢をできるだけ安定化させて、できるだけ廉価でコンスタントにエネルギーソースが確保することが、これほどまでにエネルギーの外部依存が高い日本にとって一番クレバーな戦略なのです。だから世界が日本のエネルギー戦略に注目しているのです。しかし、日本が選択しようとしているのは自ら自分の足元を鉄砲で撃つというもので世界のエネルギー情勢を混乱させ、高騰させ、それが自分に跳ね返ってそれを重く背負って日本の国富を流出させ産業の競争力を失う方向に一生懸命に向かっていることが、いま日本がおかれている状況だということに気がつかなければなりません。
そこで、シェールオイルへの投資シフトでガスが安くなり過ぎて、投資として魅力がなくなって一気にアメリカの原油のほうへ向かっているのです。ここで数字を明確にしておきたいのですが、シェールオイルが一昨年は38万バーレルだったのが、昨年は62万バーレルまできています。おそらく今年は100万バーレルを超すのではないのかと私は見ていたのですが、3週間前にアメリカのDOE=エネルギー省が今年の原油生産の見通しの数字を出してきて643万バーレルだったのです。つまり、アメリカがサウジアラビア、ロシアに次いで世界第3位の原油産出国になるところまできているということで、アメリカは2010年代にエネルギーの自給体制を確立するのではないかと言われているのです。世界のエネルギー地政学の軸が中東から米州に移るのではないかと言う専門家が出てきています。一体何かと。私の話でこの中東から後退を余儀なくされるアメリカが昨年までの話だったのです。要するに、後退しても構わないという状況になっているアメリカを我々は見抜かなければならないのです。
 国連総会で中国の楊 潔篪(よう・けっち)外相が「尖閣は中国のものだ」ということに関する論拠で国際機関の場で中国が明確にそのような表現をしたのは今回が初めてだと思います。何故、「中国のものだと思っているのか」について極めて明確な示唆をしました。1895年という下関条約の年号まで出して、日清戦争の後に日本が尖閣列島を奪い取ったと言っています。それは台湾に付随している島として台湾を領有することになった日本が奪い取ったという認識をしていることを明らかにしたということです。
しかし、尖閣竹島北方領土等の問題でも今後の日本の領土問題に関する議論をする時に我々が基本的なスタンス、視座とせざるを得ないことはサンフランシスコ講和条約なのです。サンフランシスコ講和条約は日本が異議を申し立てたり、強制したりする立場にない状況下で結ばれたのですが、サンフランシスコ講和条約の中で明らかに尖閣列島アメリカが暫く施政権をもつテリトリーとして囲い込まれています。これはどのような意味かと言うとそれまでの潜在主権が日本にあるということを明確に認めながら、沖縄返還の1972年までアメリカが統治していた状況がしばらく続いたのです。
今回、中国が台湾の付属の島として尖閣の領有を主張していることは今後の論点において非常に合理的に議論することができるよいきっかけになると思います。つまり、何を論拠に尖閣は中国のものだと言っているのかについて真剣に日本の立場をしっかりと語っていく良い転換点になるだろうと思います。
そこで、もっと重要なことがこの1ヵ月半の間に明らかになりました。それは何かというと、アメリカの立場です。アメリカは1972年の沖縄返還の瞬間まで自分自身が施政権を持って統治していた所なのだから、あいまいな態度が取れないことは明確なのに、1972年当時からアメリカは領有権が日本にあると認めたことはありません。何故かと言うと、1972年は皮肉にもニクソン訪中の年であり、1970年前後から中国が領有権を主張し始めていたため、中国に配慮して明言しなくなったのです。したがって、領有権についてはコミットしたくないと言っていましたが施政権が日本にあることは認めるというスタンスだったのです。しかし、この1ヵ月半の間にパネッタ国防長官が日本に来て中国にも行って習近平に会って領有権に関しては「中立」という言葉を明確に使い始めました。アメリカ自身が沖縄返還協定の中で明確に尖閣の領有権を返還する形になっているのに領有権に関して中立だということは、日本の立場としては甚だ疑問に思うと明確にしたほうがよいくらいのテーマなのですが、沈黙しています。
先ず、いまの段階で申し上げておかなければならないのは、小さなナショナリズムに酔いしれてはならず、グローバル化時代のナショナリズムを噛みしめなければならないのです。どういう意味かというと、21世紀の世界秩序に対してどのようなイマジネーションを持つかということで、日米関係よりも遥かに深いコミュニケーションを持っていることが米中関係なのです。日本の160年に渡るアメリカとの関係史で一番大きな教訓は、日米関係は米中関係、つまり、日韓間関係が完結しないと中国という要素が絡みついているということです。そのようなことをよく考えて21世紀の世界秩序に対するイマジネーションがもの凄く重要です。何よりも今回、中国が未熟な国という弱点を世界に対して見せつけたことになります。そのような中で、日本が国際社会において目指すべきモデルとなるような国にしていくことが総ての解答の原点なのです。私は経済社会を生きて来た人間として健全な経済主義というものに立って日本という国をどのような方向にしていくべきか、明らかにしていきたい.

●『アメリカに潰された政治家たち』孫崎亨著(小学館刊)2012年9月29日初版第1刷発行
p93〜
第2章 最後の対米自主派、小沢一郎
角栄に学んだ小沢の「第七艦隊発言」
 私は情報局が人材のリクルートのために製作したプロモーション映像を見たことがあるのですが、そのなかで「我々は軍事だけでなく、政治的な分野でも諜報活動を行っている」と活動を紹介し、オサマ・ビン・ラディンの映像などを流していました。そういった一連の映像や画像のなかに、小沢一郎氏の写真が混ざっていて、私はハッとしました。
 彼らにとっては、小沢一郎に工作を仕掛けているということなど、隠す必要がないほど当たり前のことなのです。
p94〜
 明確にアメリカのターゲットに据えられている小沢一郎とはどんな人物なのか、簡単におさらいしておきましょう。
 小沢一郎は27歳という若さで衆議員議員に初当選した後、田中派に所属し、田中角栄の薫陶を受けて政界を歩んできました。しかし、1985年に田中角栄とは袂を分かち、竹下登金丸信らと創政会を結成。のちに経世会竹下派)として独立しました。
 1989年に成立した海部俊樹内閣では、47歳で自民党幹事長に就任しています。おそらく小沢一郎という人物をアメリカが捕択、意識し始めたのはこの頃だと考えられます。1990年にサダム・フセインクウェートに軍事侵攻し、国連が多国籍軍の派遣を決定して翌年1月に湾岸戦争が始まりました。
 ここでブッシュ(父)大統領は日本に対して、湾岸戦争に対する支援を求めてきます。
 アメリカ側は非武装に近い形でもいいので自衛隊を出すことを求めましたが、日本の憲法の規定では、海外への派兵は認められないとする解釈が一般的で、これを拒否します。アメリカは人を出せないのなら金を出せとばかり、資金提供を要請し、日本は言われるまま、計130億ドル(紛争周辺国に対する20億㌦の経済援助を含む)もの巨額の資金提供を行うことになります。
p95〜
 当時の外務次官、栗山尚一の証言(『栗山尚一オーラルヒストリー』)では、この資金要請について「これは橋本大蔵大臣とブレディ財務長官の間で決まった。積算根拠はとくになかった」とされています。何に使うかも限定せず、言われるまま130億㌦ものお金を出しているのです。
 橋本は渡米前に小沢に相談していました。小沢は2001年10月16日の毎日新聞のインタビューでそのときのやりとりを明かしております。
「出し渋ったら日米関係は大変なことになる。いくらでも引き受けてこい。責任は私が持つ」
 この莫大な資金負担を決定したのが、実は小沢一郎でした。当時、小沢はペルシャ湾自衛隊を派遣する方法を模索し、実際に「国連平和協力法案」も提出しています(審議未了で廃案)。“ミスター外圧”との異名をもつ対日強硬派マイケル・アマコスト駐日大使は、お飾りに近かった海部俊樹首相を飛び越して、小沢一郎と直接協議することも多かったのです。小沢一郎が「剛腕」と呼ばれるようになったのはこの頃からです。
p96〜
 この時代の小沢一郎は、はっきり言えば“アメリカの走狗”と呼んでもいい状態で、アメリカ側も小沢を高く評価していたはずです。ニコラス・ブレディ財務長官の130億㌦もの資金要請に、あっさりと応じただけでなく、日米構造協議でも日本の公共投資を10年間で430兆円とすることで妥結させ、その“剛腕”ぶりはアメリカにとっても頼もしく映ったことでしょう。
 田中派の番頭だった小沢は、田中角栄アメリカに逆らって政治生命を絶たれていく様を目の当たりにしています。ゆえに、田中角栄から離れて、「対米追随」を進んできたものと思われます。
 しかし、田中角栄の「対米自主」の遺伝子は、小沢一郎のなかに埋め込まれていました。1993年6月18日、羽田・小沢派らが造反により宮沢内閣不信任案が可決され、宮沢喜一首相は衆議員を解散しました。それを機に、自民党を離党して新生党を結成し、8党派連立の細川護煕内閣を誕生させました。その後は、新進党自由党と新党を結成しながら、03年に民主党に合流します。
p97〜
 外交政策についても、対米従属から、中国、韓国、台湾などアジア諸国との連携を強めるアジア外交への転換を主張するようになりました。「国連中心主義」を基本路線とするのもこのころです。小沢一郎は、09年2月24日に奈良県香芝市で「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う。米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と記者団に語っています。つまり沖縄の在日米軍は不要だと明言したわけです。
 この発言を、朝日、読売、毎日など新聞各紙は一斉に報じます。『共同通信』(09年2月25日)の配信記事「米総領事『分かっていない』と批判 小沢氏発言で」では、米国のケビン・メア駐沖縄総領事が記者会見で、「『極東における安全保障の環境は甘くない。空軍や海兵隊などの必要性を分かっていない』と批判し、陸・空軍や海兵隊も含めた即応態勢維持の必要性を強調した」と伝えています。アメリカ側の主張を無批判に垂れ流しているのです。
p98〜
 この発言が決定打になったのでしょう。非常に有能だと高く評価していた政治家が、アメリカから離れを起しつつあることに、アメリカは警戒し、行動を起こします。発言から1か月も経っていない2009年3月3日、小沢一郎資金管理団体陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保隆規と、西松建設社長の國澤幹雄ほかが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きたのです。小沢の公設秘書が西松建設から02年からの4年間で3500万円の献金を受け取ってきたが、虚偽の記載をしたという容疑です。しかし、考えてもみてください。実際の献金は昨日今日行われたわけではなく、3年以上も前の話です。第7艦隊発言の後にたまたま検察が情報をつかんだのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。アメリカの諜報機関のやり口は、情報をつかんだら、いつでも切れるカードとしてストックしておくというものです。ここぞというときに検察にリークすればいいのです。この事件により、小沢一郎民主党代表を辞任することになります。しかし、小沢は後継代表に鳩山由紀夫を担ぎ出します。選挙にはやたらと強いのが小沢であり、09年9月の総選挙では“政権交代”の風もあり、民主党を圧勝させ、鳩山由紀夫政権を誕生させます。ここで小沢は民主党幹事長に就任しました。
p99〜
 小沢裁判とロッキード事件の酷似
 ここから小沢はアメリカに対して真っ向から反撃に出ます。鳩山と小沢は、政権発足とともに「東アジア共同体構想」を打ち出します。 対米従属から脱却し、成長著しい東アジアに外交の軸足を移すことを堂々と宣言したのです。さらに、小沢は同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて、中国の胡錦濤主席を訪問。宮内庁に働きかけて習近平副主席と天皇陛下の会見もセッティングしました。しかし、前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの“虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです。その後、小沢政治資金問題は異様な経緯を辿っていきます。
p100〜
 事件の概要は煩雑で、新聞等でもさんざん報道されてきましたので、ここでは触れませんが、私が異様だと感じたのは、検察側が10年2月に証拠不十分で小沢を不起訴処分にしていることです。結局、起訴できなかったのです。もちろん、法律上は「十分な嫌疑があったので逮捕して、捜査しましたが、結局不起訴になりました」というのは問題ないのかもしれません。
 しかし、検察が民主党の党代表だった小沢の秘書を逮捕したことで、小沢は党代表を辞任せざるをえなくなったのです。この逮捕がなければ、民主党から出た最初の首相が鳩山由紀夫ではなく、小沢一郎になっていた可能性が極めて高かったと言えます。小沢首相の誕生を検察が妨害したということで、政治に対して検察がここまで介入するのは、許されることではありません。小沢は当初から「国策捜査だ」「不公正な国家権力、検察権力の行使である」と批判してきましたが、現実にその通りだったのです。この事件には、もう1つ不可解な点があります。検察が捜査しても証拠不十分だったため不起訴になった後、東京第5検察審査会が審査員11人の全会一致で「起訴相当」を議決。検察は再度捜査しましたが、起訴できるだけの証拠を集められず、再び不起訴処分とします。それに対して検察審査会は2度目の審査を実施し「起訴相当」と議決し、最終的に「強制起訴」にしているところです。
p101〜
 検察は起訴できるだけの決定的な証拠をまったくあげられなかったにもかかわらず、マスコミによる印象操作で、無理やり起訴したとの感が否めないのです。これではまるで、中世の魔女裁判のようなものです。ここで思い出されるのは、やはり田中角栄ロッキード事件裁判です。当時、検察は司法取引による嘱託尋問という、日本の法律では規定されていない方法で得た供述を証拠として提出し、裁判所はそれを採用して田中角栄に有罪判決を出しました。超法規的措置によって田中は政界から葬られたのです。
東京地検特捜部とアメリ
p102〜
 実は東京地検特捜部は、歴史的にアメリカと深い関わりをもっています。1947年の米軍による占領時代に発足した「隠匿退蔵物資事件捜査部」という組織が東京地検特捜部の前身です。当時は旧日本軍が貯蔵していた莫大な資材がさまざまな形で横流しされ、行方不明になっていたので、GHQの管理下で隠された物資を探し出す部署として設置されました。つまり、もともと日本のものだった「お宝」を探し出してGHQに献上する捜査機関が前身なのです。
 東京地検特捜部とアメリカお関係は、占領が終わった後も続いていたと考えるのが妥当です。たとえば、過去の東京地検特捜部長には、布施健という検察官がいて、ゾルゲ事件の担当検事を務めたことで有名になりました。
p103〜
 さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆している下山事件
 他にも、東京地検特捜部のエリートのなかには、アメリカと縁の深い人物がいます。
 ロッキード事件でコーチャンに対する嘱託尋問を担当した堀田勉は、在米日本大使館の一等書記官として勤務していた経験があります。また、西松建設事件・陸山会事件を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も同様に、在米大使館の一等書記官として勤務しています。
 この佐久間部長は、西松建設事件の捜査報告書で小沢の関与を疑わせる部分にアンダーラインを引くなど大幅に加筆していたことが明らかになり、問題になっています。この一連の小沢事件は、ほぼ確実に首相になっていた政治家を、検察とマスコミが結託して激しい攻撃を加えて失脚させた事件と言えます。『文藝春秋』11年2月号で、アーミテージ元国務副長官は、「小沢氏に関しては、今は反米と思わざるを得ない。いうなれば、ペテン師。日本の将来を“中国の善意”に預けようとしている」と激しく非難しています。
p104〜
 アメリカにとっては、自主自立を目指す政治家は「日本にいらない」のです。必要なのはしっぽを振って言いなりになる政治家だけです。小沢が陥れられた構図は、田中角栄ロッキード事件のときとまったく同じです。アメリカは最初は優秀な政治家として高く評価していても、敵に回ったと判断した瞬間、あらゆる手を尽くして総攻撃を仕掛け、たたき潰すのです。小沢一郎も、結局は田中と同じ轍を踏み、アメリカに潰されたのです。