5日夜から西日本〜東北で雪に 関東南部平野で10センチ積雪?

 気象庁によれば、5日夜から6日にかけ、低気圧が発達しながら日本の南を東北東に進む見込み。この影響で、西日本から東北地方では、5日夜から6日にかけて広い範囲で雪が降り、太平洋側の平地でも積雪となり大雪となる恐れがあるらしい。大雪による交通障害、樹木や電線への着雪、なだれへの注意を呼びかけている。
 西日本や東日本、東北地方では太平洋側の平地でも積雪となり、大雪となるおそれらしい。関東甲信地方では5日夜遅くから雪が降り始め、南部の平野部でも積雪となり、広い範囲で大雪となる見込み。明日の通勤が大変であ路。帰宅も大変な状況になりそう。14日以来の大雪か?また明日の交通機関のマヒが心配である。雪はキレイであるが、通勤に影響を与えるもので、気をつけたいものである。

 今日が誕生日の大河内傳次郎が建てた大河内山荘をまた訪ねたいものである。この雪の中では難しいかもしれないかもしれないが。

(2月5日生まれの偉人)
大河内傳次郎(おおこうち でんじろう、新字体:伝次郎、1898年(明治31年)2月5日(戸籍上は3月5日)- 1962年(昭和37年)7月18日)は、大正・昭和の映画俳優、時代劇の大スター。本名は大辺 男(おおべ ますお)。
 1928年(昭和3年)、当時売れっ子の大衆作家だった林不忘の小説が『新版大岡政談』として映画化。伊藤大輔監督はこの映画で、原作ではあまり重要人物でなかった殺し屋「丹下左膳」を前面に押し出し、大河内は大岡越前とこの丹下左膳の二役を演じて、アクの強い丹下のキャラクターは大評判となった。刀の鍔を口元に持ってきて見得を切る「丹下左膳」のキャラクターは大河内のシンボルとなり、生涯を通してこの「丹下左膳」の題名を持つ主演映画は17本を数えるに到った。トーキー時代に入ると、少し訛りのある大河内の「シェイはタンゲ、ナはシャゼン」(姓は丹下、名は左膳)という決めセリフが一世を風靡、後代まで多くの人々が物真似にする名文句になった。その風格は他の追随を許さず、時代劇のトップスタアに登りつめる。その後も山中貞雄マキノ雅弘衣笠貞之助ら巨匠と組み、『国定忠次』『盤嶽の一生』『丹下左膳余話・百万両の壺』『大菩薩峠』『蛇姫様』など次々とヒットを飛ばす。
 大河内は敬虔な仏教信者としても有名で、1931年(昭和6年)に京都嵯峨の小倉山[4]の向かいの亀山の山頂に広壮な山荘を置いた。大河内は広大な和式庭園を自ら設計し、家続きの寺院「持仏堂」を建て、そこで教典をひもとき、朝夕「南無阿弥陀仏」を唱えてすごした。東映時代劇など晩年の多数の脇役出演によって稼いだ多額のギャラは、その大半が山荘造営に注ぎ込まれたという。現在この山荘は「大河内山荘」として一般公開されている。彼の死後も、妻をはじめとする遺族が山荘を維持しており、傳次郎生誕100周年の1998年に刊行された山荘の写真集は、未亡人に捧げられている。京都を訪れた時に、嵐山から天龍寺へ、竹林を抜けて大河内山荘を訪ねたことが数回ある。山荘の野だてから京都を望むことができる。静かに落ち着く場所である。
◆美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年〈明治37年〉2月5日 - 1984年〈昭和59年〉12月24日)は、日本の経済学者、政治家。元東京都知事(第6・7・8代)。元参議院議員(全国区)。ギャンブル嫌いで東京都知事時代に釣堀による賭け事を禁じた事でも知られる。
 革新統一による知事として知られ、政党では日本社会党日本共産党を支持基盤とする革新知事として1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り東京都知事を務めた。東京での革新統一方式は以後、一挙に全国に拡がり、一時は日本の総人口の半数近くが革新自治体施政下に暮らす画期となって、最初の'67年都知事選結果の外電は「共産主義者が東京で勝った:Communist Win in Tokyo」などと報じた。美濃部亮吉の政治的手腕は母方の祖父・菊池大麓から、リベラルな思想は父・美濃部達吉から受け継がれたといえる(もっとも、達吉は日本国憲法に最後まで反対していた)。1971年(昭和46年)の都知事選挙では361万5299票を獲得した。これは個人が獲得した得票数としては空前の得票記録であった。
 政策面で評価されている点としては、老人医療費無料化、高齢住民の都営交通無料化、公害対策で企業に厳しい条件を課すなど、福祉、環境政策において様々な施策を次々打ち出し、東龍太郎都政の時代において取り残されていた課題へ対応した点が挙げられる。批判されている点としては、これらの福祉・環境政策を充実させた裏側でそれらを実行する為の財政的な裏付けや計画性に乏しいバラマキ財政となり、結局は東京都を当時前代未聞の財政難に転落する。この財政悪化の主要因としては、1974年にオイルショックが起こって高度経済成長が次第に鈍化して税収が伸びなくなったことが指摘されている[要出典]。箱もの公共投資が抑制され福祉が強化されたことで後年、「戦後都政の暗黒時代」と批判される事にもなった。