とうとう薩長密約が。会津は窮地に追い込まれる。

 1865(慶応元)年、函館から密航を企てた新島七五三太(オダギリジョー)がボストン港に降り立った。そして京では、それまで対立していた薩摩と長州が、坂本龍馬の暗躍により急接近を図っていた。幕府には任せていられないと密かに動き出した薩摩。あれやこれやと画策し、その動きはついに長年の敵・長州にまで。桂小五郎と密約を交わす西郷吉之助。薩摩の思惑が見えず苦悩する会津。見えないといえば、コロコロ意見を変える男・慶喜の本心も。さまざまな思惑が絡みあう緊張感ある駆け引き。
 年が明け、1866(慶応2)年6月、第二次長州征伐の戦端が開かれる。幕府勢は次第に追い込まれ、都での会津の立場が危うくなっていく。それと合わせるように、覚馬(西島秀俊)の目も悪化の一途をたどっていくのだった。そして、慶喜は長州征伐の命を出しながら、長州と和睦を朝廷に求める。まさに、これで薩長の敵は会津に矛先が向かうことになる。
 会津では、覚馬の妻・うら(長谷川京子)が、一人娘のみね(豊嶋花)を厳しく叱るようになり、八重(綾瀬はるか)は不安を覚える。「長州との戦が終わったら、覚馬が会津に戻ってくるかもしれない!」。そんな淡い期待を胸に抱くうらですが、待てど暮らせどいい知らせは届かず。次第に一人娘のみねに厳しく接するようになっていきます。イライラしていくうら、泣いてばかりいるみね。佐久も八重も、そんな2人が心配に。そんなある日、会津で大火事が起こる。そのさなか、みねが行くえ不明に。あわてて探すうらと八重。
り…。

(4月14日生まれの偉人)
◆児玉 源太郎(こだま げんたろう、嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日) - 明治39年1906年)7月23日)は、日本の武士、陸軍、軍人、政治家。陸軍大将正二位勲一等功一級子爵(なお、兒玉 源太觔の表記もある。「兒」は印刷字体、「児」は手書き書体)。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した名将といわれている。
◆大鳥 圭介(おおとり けいすけ、天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、日本の西洋軍学者幕臣、軍人、官僚、外交官。正二位勲一等男爵。家紋は鶴の丸。

<本の紹介>
修羅の剣(下) (PHP文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4569673457