いよいよ11月末日。とうとうブログ連続14ヶ月目達成。今日は、華岡 青洲生誕の日である。

◆いよいよ11月末日。とうとうブログ連続14ヶ月目達成。偉人シリーズを掲載して11カ月を迎える。今日はいつも通りの週末を迎える。

(11月30日生まれの偉人)
◆華岡 青洲(はなおか せいしゅう、宝暦10年10月23日(1760年11月30日) - 天保6年10月2日(1835年11月21日))は、江戸時代の外科医。記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた。
 江戸後期の漢蘭折衷外科医。名は震,俗名は雲平,字は伯行,通称は随賢(3代),家号は春林軒。紀伊国(和歌山県)上那賀郡平山の医家直道の長男として生まれる。父に医術の手ほどきを受け,天明2(1782)年京都に上って古医方の内科を吉益南涯に,オランダ流外科を大和見立 に学ぶ。洛中の諸家と交遊して見聞をひろめ,在洛3年ののち帰郷して家業を継ぎ,漢蘭を折衷して臨床外科を研究。当時の古医方派の影響を受けて親試実験を推し進め,生体の理を究める「活物窮理」と内科・外科を一体とする医学の境地を目指す「内外合一」をモットーとし,家塾春林軒を開いて全国から集まった多くの医生を育成した。全身麻酔薬通仙散を開発して外科領域に導入,旧来の外科を超える手術を敢行し,その学風は全国に風靡した。 通仙散は,催眠・鎮痛の目的で使われていたマンダラゲ(チョウセンアサガオ)配合の薬方で,日本の整骨医が使ってきた整骨用麻酔薬には配合されていなかった。青洲は内科医が洋方の知識をもとに中国書を勘案して用いていた薬方をさらに改変して開発した。その導入は古典的麻酔薬使用の最後の時期に位置し,研究過程で被検者となった妻の加恵が失明する事故に会ったが,薬効面と安全性を高めて外科手術に実用する麻酔薬に到達,文化1(1804)年10月13日,麻酔下での乳がん摘出術を日本で最初に実施するに至った。その後も多くの乳がん摘出術を遂行,また欠唇,腫瘍,脱疽などの観血手術にも応用した。手術用具にも創意を加えて華岡流外科具として普及した。さらに中国系薬方にも創意を加え,紫雲膏(当帰潤肌膏の改良),十味敗毒湯(荊防敗毒散の加減方)を製し,これらは現在も使用されている。紀州(和歌山)藩の懇請で勝手勤めの条件付きで出仕,同藩奥医師まで進み,生涯藩医と在野の医業生活を折半した。平山の自宅で没し,裏山の華岡家墓地に葬られた。『瘍科神書』『乳岩弁』など門人の録した多くの口授写本が伝わっている。
 <参考文献>呉秀三華岡青洲先生及其外科』(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN04481391),宗田一「華岡青洲の麻酔薬開発」(『実学史研究』Ⅳ)
 ・和歌山県情報館 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/ren/web/ren11/rekishi.html
◆向井 潤吉(むかい じゅんきち、1901年(明治34年)11月30日 - 1995年(平成7年)11月14日)は日本の洋画家。戦前から戦後にかけて活躍、40年以上に渡り北海道から鹿児島までを旅し、生涯古い民家の絵を描き続け「民家の向井」と呼ばれた洋画家であった。
 ・世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館 http://www.mukaijunkichi-annex.jp/
◆中根 千枝(なかね ちえ、1926年11月30日 - )は日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。学者として女性初の文化勲章受賞者。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。
 ・『タテ社会の人間関係』(中根千枝著) https://cakes.mu/posts/2647
 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%83%86%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%A2%E4%BF%82-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-105-%E4%B8%AD%E6%A0%B9-%E5%8D%83%E6%9E%9D/dp/4061155059

<本の紹介>
呉秀三小伝 http://d.hatena.ne.jp/asin/4881582674
・明治前日本造兵史 (1960年) http://d.hatena.ne.jp/asin/B000JAO7E6 

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121130