佐藤一斎「重職心得箇条」に学ぶ

佐藤一斎が、自藩の巌邑藩(恵那郡岩村町、合併により現在の恵那市)の重職のために書いた心得「重職心得箇条」は大変良い。私自身が学ぶ点が多々ある。<重職心得箇条(じゅうしょくこころえかじょう)>とは、幕末の天保・弘化の頃、幕府教学の大宗であった佐藤一斎が、その出身地である岩村藩の為に作った重役の心構えを書き記したものであり、聖徳太子の十七条憲法に擬して十七箇条に説かれている。
◆原文
一. 重職と申すは、家国の大事を取り計らうべき職にして、此の重の字を取り失ひ、軽々しきはあしく候。大事に油断ありては、其の職を得ずと申すべく候。先づ挙動言語より厚重にいたし、威厳を養ふべし。重職は君に代わるべき大臣なれば、大臣重うして百事挙がるべく、物を鎮定する所ありて、人心をしづむべし、斯くの如くにして重職の名に叶ふべし。又小事に区々たれば、大事に手抜きあるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜け目あるべからず。斯くの如くして大臣の名に叶ふべし。凡そ政事は名を正すより始まる。今先づ重職大臣の名を正すを本始となすのみ。
二. 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。
三. 家々に祖先の法あり、取り失ふべからず。又仕来(きた)り仕癖(しくせ)の習いあり、是れは時に従って変易あるべし。兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除(の)け置き、仕来り仕癖を家法家格などと心得て守株(しゅしゅ)せり。時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。
四. 先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此の事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引き合わすべし。仕癖の例格にても、其の通りにて能(よ)き事は其の通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病(つうへい)なるべし。
五. 応機と云ふ事あり肝要也。物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其の機の動き方を察して、是れに従ふべし。物に拘(こだわ)りたる時は、後に及んでとんと行き支(つか)へて難渋あるものなり。
六. 公平を失ふては、善き事も行はれず。凡そ物事の内に入ては、大体の中すみ見へず。姑(しばら)く引き除(の)きて、活眼にて惣体の体面を視て中を取るべし。
七. 衆人の圧服する所を心掛くべし。無利押し付けの事あるべからず。苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆小量の病なり。
八. 重職たるもの、勤め向き繁多と云ふ口上は恥ずべき事なり。仮令(たとえ)世話敷(せわし)くとも世話敷きと云はぬが能(よ)きなり、随分の手のすき、心に有余あるに非ざれば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能(あた)はざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢いあり。
九. 刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是れ預かるべきなり。倒(さかし)まに有司に授くべからず。斯くの如き大事に至っては、厳敷(きびし)く透間あるべからず。
十. 政事は大小軽重の弁を失ふべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩(じょかん)にても失し、火急にても過つ也。着眼を高くし、惣体を見廻し、両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を遂(お)いて施行すべし。
十一. 胸中を豁大(かつだい)寛広にすべし。僅少の事を大造(=大層)に心得て、狹迫なる振る舞いあるべからず仮令(たとえ)才ありてお其の用を果たさず。人を容るる気象と物を蓄うる器量こそ、誠に大臣の体と云ふべし。
十二. 大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。此の虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々(よくよく)視察あるべし。
十三. 政事に抑揚の勢いを取る事あり。有司上下に釣り合いを持つ事あり。能々(よくよく)弁(わきま)ふべし。此の所手に入て信を以て貫き義を以て裁する時は、成し難き事はなかるべし。
十四. 政事と云へば、拵へ事繕ひ事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたる儘(まま)にて参るを実政と云ふべし。役人の仕組む事皆虚政也。老臣など此の風を始むべからず。大抵常事は成るべき丈は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり。
十五. 風儀は上より起こるもの也。人を猜疑し蔭事を発(あば)き、たとへば誰に表向き斯様に申せ共、内心は斯様なりなどと、掘り出す習いは甚だあしし。上(かみ)に此の風あらば、下(しも)必ず其の習いとなりて、人心に癖を持つ。上下とも表裏両般の心ありて治めにくし。何分此の六(むつ)かしみを去り、其の事の顕(あらわ)れたるままに公平の計(はから)ひにし、其の風へ挽回したきもの也。
十六. 物事を隠す風儀甚だあしし。機事は密なるべけれども、打ち出して能(よ)き事迄も韜(つつ)み隠す時は却って衆人に探る心を持たせる様になるもの也。
十七. 人君の初政は。年に春のある如きものなり。先づ人心一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至っても明白なるべし。財帑(ざいど)窮迫の処より、徒(いたず)らに剥落厳沍(げんご)の令のみにては、始終行き立たぬ事となるべし。此の手心にて取り扱いあり度(たき)ものなり。
◆訳文
一. 重役というのは国家の大事を取り計らうべき役のことであって、重の一字を失い、軽々しいのは悪い。どっしりと人心や物事を鎮定するところがなければ重役の名に叶わぬ。小事にこせついては大事に手抜かりができる。瑣末を省けば自然と大事に手抜かりがなくなる道理である。政事は名を正すことから始まる。まず「重役大臣とは何ぞや」から正してゆかねばならぬ。
二. 大臣の心得は部下の考えを尽くさせて、これを公平に裁決するところにある。部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。自分に部下のより善い考えがあっても、さして害のない事は部下の意見を用いた方がよい。些少の過失によって人を棄てず、平生嫌いな人間をよく用いてこそ手際である。自分流儀の者ばかり取るなどは、水へ水をさす類で調理にならぬ。
三. 祖法というものは失ってはならぬが、仕来り・仕癖というものがある。これは時に従って変えてよい。しかるにこれに拘泥しやすいものであるが、時世につれて動かすべきを動かさねば大勢は立たぬ。
四. 問題を処理するには、時宜を考えてまず自身の案を立て、それから先例古格を参考せよ。自案なしにまず先例から入るのが役人の通弊である。
五. 機に応ずということがある。何によらず後から起こることは予(あらかじ)め見えるものである。その機の動きを察して、拘泥ですに処理せねば、後でとんと行き詰まって困るものである。
六. 公平を失うては善いことも行われぬ。物事の内に入ってしまっては大体が分からぬ。しばらく捕われずに、活眼で全体を洞察せなばならぬ。
七. 衆人の心理を察せよ。無理・押し付けをするな。苛察を威厳と認めたり、好むところに私するのは皆小量の病である。
八. 重役たる者は“忙しい”と言うべきでない。ずいぶん手すき、心の余裕がなければ、大事に抜かりが出来るものである。重役が小事を自らして、部下に任すことが出来ないから、部下が自然ともたれて、重役が忙しくなるのである。
九. 刑賞与奪の権利は部下に持たせてはならない。これは厳しくして透間あらせてはならぬ。
十. 政事は大小軽重の弁、緩急先後の序を誤まってはならない。眼を高く着け、全体を見回し、両三年、四・五年乃至十年の計画を立て、手順を追って施行せよ。
十一. 胸中にゆとりを持たせ、広く寛大にすべし。つまらぬ事をたいそうらしく心得て、こせこせしてはならない。包容力こそ大臣の体というべきである。
十二. 大臣たる者、胸中に定見あって、見込んだ事を貫き通すべきはもちろんであるが、また虚心坦懐に人言を取り上げて、さっと一時に転化すべきこともある。これが出来ないのは我意の弊を免れない。
十三. 政事に抑揚の勢いを取るということあり、部下の間に釣り合いを持つということがある。これをよく弁えねばならぬ。此のところ手に入って、信を以て貫き、義を以て裁してゆけば、成し難い事とてないであろう。
十四. 政事といえば、拵え事、繕い事にばかりなるものである。何事も自然の顕れたままでゆくのを実政というのであって、役人の仕組むことはみな虚政である。老臣などこの風を始めてはならぬ。
十五. 風儀というものは上より起こるものである。特に表裏のひどいのは悪風である。何分この“むつかしみ”を去り、事の顕れたままに公平に計らう風を挽回したいものである。
十六. 物事を隠す風儀は甚だ悪い。機密ということはもちろん大切であるが、明けっ放していいことまでも包み隠しする時は、かえって衆人に探る心を持たせるようになるものである。
十七. 政の初めは年に春のあるようなものである。まず人心を一新して、元気に愉快なところを持たすようにせよ、刑賞も明白なれ。財政窮迫しているからといって、寒々と命令ばかりでは、結局行き立たぬことになろう。この手心で取り扱いありたきものである。

<私の意訳>
1.本分とするべきこと
  重職とは国家の大事を扱う役職をいう。重職は軽挙妄動するべからず、威厳を養うべし。瑣事に煩わされては大事な判断を誤る。
  ●私は重職=「組織のトップ」と置き換えて読みます。必ずしも「社長」である必要はない。瑣事に煩わされないためには、下への権限委譲も大切。
2.人の使い方
  大臣たるもの、部下の意見をうまく引き出し、それを公平に裁決すべし。部下の意見より自分に優れた意見があっても、下のものの意見でも大過なくやれるならそれを採用すべし。
  部下を引き立て気持ちよく仕事させてやること。不出来な面ばかりみると人が育たない。欠点を長所で補うように人を使う。すごく出来るヤツはいなくてもそれなりの人材は居るは  ず。それをうまく使え。 好き嫌いで人を使うな。あまり好きになれない人物でもうまく使ってこそ一人前
  ●この「大臣」も「組織のトップ」と置き換えて読むべきだと思う。「重職」「大臣」という表現の違いにとらわれてもしようがないと思う。
3.守るべきもの、改めるべきもの
  組織に伝来の「精神」や「考え方」のようなものがあるなら大切にせよ。一方、良くない「習わし」があるなら時機をあやまたず修正が必要。精神」を古くさいとして退け、悪習を  「しきたり」だとして守ることの無いように。その目の付け方を間違えてはいけない。
4.まず自分で考えてみること
  古くからの「精神」「習わし」は、最初からこれを持ち出さないこと。まず自分で状況判断をし、その上で、古くからの「精神」「習わし」をみること。古くからのやりかたで、良  ければそのまま使うし、時宜に合わなければ改めよ。とかく組織には、古い「精神」「習わし」を最初から持ち出すカタブツが多い。
5.機に応じる
  機に応じるということを大切に。この「機」というのは事前に察知できるものだが、「物」にとらわれていると出来ない。「物」に拘泥して「機」を失うとあとでニッチもサッチも  ゆかなくなる。
  ●「物」=シーズ、「機」=ニーズということもできるかとおもう。あるいは、「物」=技術、商品、「機」=マーケットの動向と考えてもよいだろう。
6.公平な判断のための客観性
  公平が大切だが、事の渦中にあっては判断を誤り勝ちなもの。一度、意識を引いて全体を外からよく眺めその上で個別の判断をすべし。
7.おしつけ厳禁
  皆が嫌がる事がなにか、よくわきまえて、無理に押しつけないこと。押しつけを威厳だと思い、自分の好みを押しつけるのは小人物である。
8.「忙しい」ヤツは半人前
  重職は、「忙しい」ということを口にしない方がいい。よしんば本当に忙しくても、「忙しい」と言わないほうがいいだろう。大体、部下にうまく任せることができずに自分であれ  これするから、つまらぬ事に取り紛れて忙しいのである。これでは、大事の判断を誤るというものだ。心のゆとりが大切。
  ●本当に忙しくても、「忙しいとは言わないぞ」という心構えだけで心にゆとりができるものだと思う。「言葉」というのは古例で「言霊(ことだま)」と言われたように、それを  発するとそれに心が引きずられ勝ちなもの。「ナポレオン・ヒル」などもこのような事を言っている。スポーツなどのメンタルトレーニングでもネガティブなイメージを排除し、ポ  ジティブな気持ちで事にあたるのが基本。
9.評価について
  人の評価、賞罰の決定については、重職がしなければならない。こういうことを部下任せにすべきではない。
  ●大組織の長が末端の社員の評価を直接するわけにもゆかないだろうが、「賞罰」「評価」の判断基準が組織内でブレないように、十分な配慮が必要。
10.軽重先後の判断
  大小軽重の判断、緩急先後の判断が大事である。ゆっくり過ぎても時機を失するし、急ぎすぎて間違うこともある。近々の処理、短期の目標、中長期の案件をしっかりと考えて
  着実に手順を踏んで実行することが肝要。
11.度量が大事
  寛大であること。つまらぬ事にこだわり、みみっちい振る舞いをすることのないように。そんなことでは、せっかく才能があってもそれを生かせない。人を受け止める心と、なんで  も受入れる度量が大事である。
12.頑固で柔軟
  大臣は、定見をもち、断固として自分の信念を貫く強さが要る。しかし、人の意見を虚心によく聞き、必要なら180度方向転換すべきだ。こういうフレキシビリティがなければ、  独善に陥り勝ちである。
13.バランス感覚
  マネジメントにはバランス感覚も大切である。攻めどころと守りどころ、上下の人間関係などのバランス感覚である。その上で信念を貫き、筋の通ったマネジメントをすれば不可能  はない。
14.仕事のための仕事の弊害
  政治というと、どうも何かを足したり、繕ったりということになる。実のある政治とは、作為を排除した流れの自然なものであるべきだ。役人はとかく実のないことをしがちであ   る。ベテランからそんな風だったりして困るものだけれど。日常の処理はできるだけ簡単にできるようにするものである。効率のいい仕事ぶりを心がけることが大切だ。
  ●これはちょっと会社組織向けというより、役所向けのコメントで、こんなことを言わなくてはならないようなら会社組織ならじきに潰れてしまうだろう。
15.行動に裏表を作るな
  上に立つ者は人を疑い、あら探しをし、裏表のある言動をしてはならない。上がこんな風だと、それが蔓延して社風になり、管理できるものではない。ストレートな意思疎通をしや  すい組織にすることが大切である。
16.オープンポリシー
  やたらに隠し立てをするものではない。無論、機密は守るべきだが、あれもこれも隠すとあらぬ疑心暗鬼が蔓延し、妙な組織になる。
17.やる気を生み出せ
  マネジメントというのは、「春」のように気持ちのはずむ雰囲気を醸すことが大切。賞罰もはっきりとわかりやすく、誰もが納得できるものであること。 資金がないからといって  も、あれもこれも「だめだ」ということでも立ちゆかない。こういう事に気をつけて欲しいものだ。
 <佐藤一斎(さとう いっさい)>とは http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131114/p1
  1772〜1859年 美濃岩村藩の生まれ。重職心得箇条は55歳の時のもの。このほか、「言志四録」が有名。門人に、佐久間象山http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130322/p1)、山田方谷http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130321/p1)などがいる。

◆幕末の陽明学佐藤一斎の名言
•全ての事を成すには、必ず天のためにするという気持ちを持つべきである。人に誇示するという気持ちがあってはいけない。
•「なにくそ」と奮い立つ心を持つことが、学問を本物にさせるのだ。
•学問をするには志を立てることが必要である。しかし志を強いてはならない。ただ本心の赴くところに従うのみである。
•天は何のために自分をこの世に産み、自分に何をさせようとしているのかを考えなくてはならない。人は天から生まれたので、天から与えられた役目が必ずある。
•心が雑念でかき乱されるのは、外の出来事が心を乱すからである。常に心を刀のように研ぎ澄まし外の出来事を心の中に取り込まなければ、心は澄んで晴れ晴れとした気持ちになる。
•名声を求める心は良くないが、名声を無理に避けるのもまた良くないことだ。
•真に大志を抱くものは、小さなことでも一生懸命に努めるものだ。
•自分に厳しい人は、他人にも厳しい。他人に優しい人は、自分に甘い。厳しいも甘いも、一方に偏っているのは良くない。立派な人は自分に厳しく、人に優しい。
•志があるものはよく切れる刀のようである。どんな魔物も逃げてしまう。志のない人は切れない刀のようで、子供ですら馬鹿にする。
•しっかりと志が立っているならば、日常の平凡な事の中にも学べるものがたくさんある。志が立っていなければ、たとえ一日中読書をしたとしても、それは暇つぶしである。だからこそ志を立てるのはとても大事なのだ。
•人に対して寛容であれば、人を責めても受け入れられる。人に対して寛容でないものは、人を責める事はできない。責めても受け入れられることはない。
•山に登ったり、川をわたったり、長い旅をしたり、時には野宿したり、時には飢えたり、時には寒さに凍えたりということは生きた学問である。これに比べて、綺麗な机に座って本を読むなどは、力があまりつかないことだ。
•苦労や屈辱や批判されることや思い通りにならないことは、全て天が人を成長させるために与えるものである。人間を磨くために役に立つものばかりである。このようなことに出会ったならば、どう対処しようかと考えるのが良い。むやみに避けようとしてはいけない。
•地位や名誉などの大きな恩恵を辞退するのは易しいが、小さな利益に動かされないようにするのは難しい。
•自分を治めるのと、人を治めるのとは全く同じ事である。また、自分を騙すのと、人を騙すのとも全く同じ事である。
•すでに死んでしまったものは、今生きているものの役に立ち、すでに過ぎた事は、将来起こることを写す鏡となる。
•他人を頼らずに、自分が持っているものを頼るべきである。どんな大きなことも、全て自分一人でつくり始めるものだからである。
•自信を失うと、人々の信用を失う。信用を失うと、大切なものも全てなくなってしまう。
•上の者にも、下の者にも厚く信頼されるならば、この世でできない事など無い。
•人は天から与えられた、体の大きさ、寿命の長さ、力の強弱、心の立派さなどはみんな同じようなものである。しかし心の立派さは学問によって変えることができる。
•広く学び、深く考え、誠実に実行する。これを人が一回行うならば、自分は百回行う。これを人が十回行えば、自分は千回行う。こうして怠けずに努力すれば、少しづつでも必ず非凡の域に必ず近づくことができる。
•私欲はあってはいけない。しかし公欲はなければならない。公欲がなければ、人を思いやることができない。私欲があれば、思いやりを持って物を譲ることができない。
•賞と罰は世の中の流れに応じて軽くしたり重くしたりするのが良い。しかしその割合は7割は賞で、3割は罰がよいであろう。
•教育は一家だけの問題ではない。これは公の問題である。いや、天のためにする大仕事である。
•人が事を成すには出来る限りのことをして、あとは天に任せるのが良い。どんなに頑張っても無駄だ、結果は天しだいだと考えれば、何事も上手くいかない。出来る限りのことはやり尽くした、あとは天に任せるだけだと考えれば、何事も必ず上手くいく。
•自分を正して心を磨くことは、体への良薬となる。心を磨けば、体が健康になるからである。美味しい食べ物は心への毒となる。心を失えば、体が衰えて病気になるのである。
•春風のような優しさで人に接し、冬の霜のような厳しい態度で自分を正すのがよい。
•人間の一生で出会うところは険しいところや平坦なところ、ゆっくり流れるところや急激に流れるところがある。これは自然なことなので、逃れることはできない。だからこれを楽しんでしまえばよいのである。逃げたり避けたりしてはならない。
•大難事に出会ったときには、焦って決める必要はない。一晩枕元で半分考え、そのまま寝て、朝起きて心が澄んでいるときにもう一度考えれば、必ず光明が見えてくる。そうすれば必ず解決に向かうものである。
•知識は行動を司るものである。行動は知識から流れ出たものである。これらは二つで一つのものであり、一つで別々のものでもある。
•虚弱な人はいつも滋養の薬を飲んでいる。これはすぐに効き目はないが、長い間飲み続ければ効き目が現れてくる。これは心を高める学問も同じである。
•子供を教育するには、愛情に溺れてわがままにさせてはいけない。善行ができないことを責めて、愛情を傷つけてはいけない。
•冗談はもともと本当の話ではない。しかし心に潜んでいることは必ず、その冗談の中に現れてきて、隠すことができないものだ。
•人が立派かどうかを論じる場合は必ずしも細かい行いを問うべきではない。行いが人としての正しさに従っているかどうかを見ればよい。そうしなければ世の中に立派な人がいなくなる。
•若い人には時間がたくさんある。もし今日学ばなくてもそれを補う時間が残っている。しかし年老いてからは補うべき時間が残っていない。だから今日学ばなくても、時間がたっぷりあるなどと思ってはいけない。
•人を見るときには長所を見るのが良い。短所を見ると、自分は相手よりも勝っていると思い、努力をしなくなるから自分のためにならない。逆に長所を見れば相手は自分よりも勝っていると思い、努力するので自分のためになる。
•恩を受けたらそれに報いるのは言うまでもないが、恨みを買ったら、その原因を考えて、自らを反省すべきである。
•決断は正義感から来ることもあれば、知識から来ることもある、勇気から来ることもある。正義感と知識を合わせてくるものもあるが、これはいい決断である。勇気だけからの決断は危うい。
•自分の言葉は自分で聞いてみるのがいい。自分の行動は自分の目で見てみるのがいい。そうして心に恥じるところがなければ、人も必ず従うであろう。
•心は今のことに傾けないといけない。未来のことは分からないので待ち受けることができない。過去のことは変わらないので、追いかけることはできないからだ。
•富豪を羨んではいけない。今の富豪が将来、貧乏になってしまうかもしれないからである。貧しい者を馬鹿にしてはいけない。今の貧しいものが将来富豪になるかもしれないからである。貧富は天が定めるものなので、人はただ一生懸命努めればよい。
•傲慢に人を見下したり、軽視してはいけない。また人を馬鹿にしたり、からかったりしてはいけない。人を馬鹿にすると結局は自分に返ってくるからである。
•薬は苦いものの方がよく効く。人も同じで、艱難辛苦を経験すると考えが細部までよく行き届くようになり、何事も上手くいくようになる。
•父の道は厳しさの中に、慈愛がななければならない。母の道は慈愛の中に、厳しさがなければならない。
•人の才能には、大小や鋭鈍がある。才能が豊富な人はもちろん用いるべきである。しかし日常の小さいことは才能のあまりない人の方がかえって役に立つものである。才能の豊富な人は小さなことを軽視するからである。人はみんな才能があり、役に立たない人などいないのだ。
•生は死の始まりであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬことはないし、死ななければ生まれることもない。生はもちろん生であるが、死もまた生なのである。
•私欲を抑えにくいのは、志が立っていないからである。志が立てば、火の中に雪を置くようなもので、私欲はたちまちに消え去ってしまう。
•困って思い悩むことで本当の知恵が働きだすが、何の不自由のない生活は考える力が弱まってしまう。これは苦いものが薬となり、甘いものが毒となるようなものである。
•自分の健康を大事にするものは、常に予防を大事にするものである。自分の心を磨くものは、常に私欲が起こる前にその芽を摘み取ってしまうものである。
•暑さ寒さと、暦が少しでもずれると、人は天候不順と文句を言う。そうであれば自分の言葉と行動が食い違ったら自らを省みなければならない。
•人は心に楽しみがなければならない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。
•利益を人に譲り、損害を自ら引き受けるのは譲である。良いことを人に推し、悪いことを自ら引き受けるのは謙である。譲の反対は争であり、謙の反対は驕である。これらは身を滅ぼす元となるので戒めなければならない。
•登山では上りは倒れないが、下りでつまずくことが多い。失敗というのは順調な時の油断に生じる。
•怠けて過ごしていると日の短い冬でもなんと長いことか。熱中していると、日の長い夏でもなんと短いことか。長い短いは自分の心が決めるものであって、日の長さにあるものではない。
•物があり余っている。これを富という。富を欲しがる心は貧である。物が足りないのは、貧である。貧に満足している心は富である。貧富は心にあるものであって、物にあるものではない。
•自分のことを褒めるものがいれば、それは友である。努力して褒められたことに見合う力をつけなければならない。自分のことをけなすものがいれば、それは師である。慎んでその教えに従うべきである。
•人から中傷されようが誉められようが、得しようと損しようと、そんなものは人生の雲や霧のようなものである。このようなもので心を暗くし、道を迷ってはつまらない。この雲や霧を払いのければ、よく晴れた青空のように人生は明るいものとなる。
•自分が恩を人に施した場合は、忘れてしまうのがよい。逆に、自分が恩を受けた場合は、決して忘れてはいけない。
•口先だけで人を諭そうとしても、人は心から従うことはない。自ら実践し率先すれば人は従うようになる。
•何事も、まず自分が感動して、人を感動させることができる。
•なによりも自分で自分に嘘をつかず、至誠を尽くす。これを天に仕えるという。
•人は才能があっても度量がなければ、人を包容することはできない。反対に度量があっても才能がなければ、事を成すことはできない。才能と度量と二つを兼ね備えることができないとしたら、才能を捨てて度量のある人物になるのがよい。
•戦いにおいては武器に依存してはいけない。人の和を頼りにすべきである。また、軍勢が多いか少ないかは問題ではない。軍律が保たれているかどうかに注意しなければならない。
•偽りの言葉は、どんな偉い人から出たものでも、人を感動させることはできない。真実の言葉は、たとえ農夫や木こりなどの話でも、人を感動させる。
•時々は、次のように心に問うてみるがよい。「心を欺くようなことはしていないか。自分の影に恥じるようなことはしていないか。そして自分の心が安らかで楽しんでいるかどうか」と。 このように反省する心を持っていれば、心は決して放漫にはならない。
•部下が一生懸命仕事に努めていたら、上の者はよく励まし誉めてやることだ。ときには妥当を欠く場合があっても、しばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。頭ごなしに押さえつけてはいけない。
•子弟のそばにいて助け導くのは教育の常道である。子弟が横道に入ろうとするのを戒め、諭すのは時を得た教えである。何事も教え導く人が先に立って実行して見せ、子弟にやらせるのが教育の基本である。
•両親が苦労に苦労を重ねて、自分を育ててくれたことを思い返してみるならば、わが身を愛し、決して軽はずみな考えなど浮かんでこないだろう。
•人から信用されることは難しい。いくら上手いことを言っても、人はその言葉を信用しないで、その人の行動を信じるからだ。いや、本当は行動を信じるのではなく、その人の心のあり方を信じるのである。
•農作物は自然に生じるが、人が鋤をもって助けなければよく成熟しない。これと同様に、人間も自然に生まれるものだが、世話をしてやらないと、立派な人間になることは難しい。ちょうど農作物を育成するのと似ている。
•過去の間違いを後悔するより、現在のことを改めるのがよい。
•利益は天下の公共物で、得ることが悪いわけではない。しかし、利益を一人で独占してはいけない。
•金持ちとか身分が高いとかは春や夏のようなもので人の心を怠けさせる。貧乏であるとか身分が低いとかは秋や冬のようなもので人の心を引き締める。裕福さは志を弱め、貧しさは志をかたくさせる。
•立派な人は事が起こらないうちに先を見て事を処理する。
•立派な人は他人を頼らず、独立して自信を持って行動することを尊ぶ。権力や金銭に従ってしまってはいけない。
•他人の言うことは、一度聞き入れてから善し悪しを判断するのがよい。始めから断ってはいけない。
•わざわいは下からでなく、全て上から起きる。
•少年の時に学べば、壮年になってから、何事か成すことが出来る。壮年の時に学べば、老年になっても衰えることはない。老年の時に学べば、死んでも朽ちることはない。
•学問は自分の心で悟るのがよい。本を読むだけではなく、実社会の事柄から学ぶのがよい。
•学問をすすめるには、自ら発憤することが大事である。昔の聖人も自分と同じ人間ではないかと発憤するのがよい。
•心に少しでも悪念が生じたときには、すぐに立派な人の言葉を心に刺し込むのがよい。時機を逃し悪念が増してからでは、その言葉の効果は少ないものである。
•暗い夜道を行く場合は、明かりを一つもって行くのがよい。どんなに暗くても心配してはいけない。ただその明かりを頼りに進んで行けばよいのだ。
•全ての生き物は必ず欲がある。立派な人はその欲を善いことに使う。


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<同時代史>
・都心でも積雪。関東各地で雪が降り続いている。雪の影響で東海道・山陽新幹線で最大30分の遅れが出ている。JR在来線・私鉄でも運休・遅れが出ている。高速道路では、新東名高速圏央道・中央道・関越道・東北道などの一部区間で通行止めとなっている。羽田空港発着便を中心に、日本航空の78便が欠航、全日空が74便の欠航を決めている。(17時現在>
・「辺野古埋め立て承認」で、百条委員会設置。アメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐり、沖縄県議会は辺野古埋め立てを承認した仲井間知事の判断を検証する「百条委員会」の設置を可決した。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130214/p1