佐藤栄作日記と遠藤周作文学館。苦境にある地方商店街!奇跡の再生術。

◆「佐藤栄作日記」から。
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 佐藤栄作は連続在任期間は1964年から1972年までで歴代総理中最長の7年8ヶ月という長期政権だった。私が大学に入学する際に田中政権に交代した。退任の時に記者会見の際、マスコミとトラブルが印象的であった。在任当時はあまり評判のいい人ではなかったのでいい印象は持っておらず、どちらかと言えば好きな政治家ではなかった。
 69歳から70歳という年齢で総理大臣という激務の中、土日は必ずといってよいほど鎌倉の別荘で過ごし、息子の龍太郎や信二とゴルフをしている。この別荘は旧前田家の別邸で、今は鎌倉文学館になっているから一度訪れたことがある。素晴らしい庭のある建物で、三島由紀夫の「春の雪」の舞台になったところだ。精神の健康も含めて毎週のゴルフに対する執念は意外だった。バックティーで打っている。この人にとってもゴルフはうまくいかないのは微笑ましい。ただホールインワンも達成していた。
また日記の中には寛子夫人の動静と息子や孫たちとの食事会などの様子が短く紹介されている。この人は家族関係にも恵まれた人だったのだという思いを強くする。
 定期的な健康診断の結果の記述、「大臣病患者の訪問にはほんとにあいそがつきる」というような慨嘆、少ないが愚痴のような言葉、事件や法案に対する感想、人物譚、そして友人・知人たちとの交流の基礎になっている会合の記述、デノミ要請などの政治案件、日航よど号事件、朝日新聞への攻撃、ファンである司馬遼太郎坂の上の雲」などの読書、都知事選、陛下への内奏、三島由紀夫事件、沖縄本土復帰や繊維交渉に関する断続的な記述など、実に興味深い。政治に関しては三木、福田、田中、中曽根、細川などの後の総理がよく出てくるが、誰に肩入れするということもなく、公平に淡々と記している。「中曽根君がはりきりすぎて波紋、、」「田中幹事長のおしゃべりには閉口、、電話で叱る」、「叱りおいた」「注意事項を話する」「後継者が三木君以外に育つかどうか問題」「此の天この人の欠点か」「説得して帰す」「田中幹事長に注意する。走りすぎにブレーキ」「いずれ時期が解決するものと思ふ」「油断大敵。いつでもこの言葉を忘れてはならない」「油断なき様と余計の事だが注意する」「親類は出来るだけ顔を合す様に努力しないと遠のくものと思ふ」「大臣へ自己推薦したので叱りおく」「選挙後の人事が一つのねらいか」「「やや自慢でもある」「数はいるが人はいない」「この評価は後世史家の評価に待つ」。やはり「人事の佐藤」と言われたことが納得できる。問題は何といっても一つ一つ対策をたてて実効あらしめる事、議論ではない」佐藤は本人自身が「当方も晩成なので、、」というように五高同期の池田総理の後塵を拝したが、その後に総理の座を射止め、結果的に長期政権を達成した。この点は師匠の吉田茂と似ている。

遠藤周作文学館http://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/
 遠藤周作文学館が立地する長崎市外海地区は、かくれキリシタンの里としても知られており、遠藤文学の原点と目される小説『沈黙』の舞台となった場所である。
 ●小説『沈黙』(新潮社 昭和41年 3月)とは
  http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%88%E9%BB%99-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%81%A0%E8%97%A4-%E5%91%A8%E4%BD%9C/dp/4101123152
  長崎を訪れた遠藤が目にした踏絵には、それを踏んだ人々の「黒ずんだ指の痕」があった。そこに「信仰を裏切った人の声」を聴いたことがこの小説を書くきっかけとなった。主人 公は、キリシタン迫害の時代、布教の理想に燃えて日本に潜入してきたポルトガル司教セバスチャン・ロドリゴだが、そのロドリゴに先立って日本へ渡り棄教したフェレイラや、仲間 や司祭を売り何度も告侮を繰り返すキチジロー、そして多くの司祭や信徒を転ばせてきた長崎奉行井上筑後守、などが登場する。ロドリゴは再会したフェレイラから「(お前の)夢 のために日本人の血が流される」と言われ、その言葉に導かれるように踏絵に足をかける。それは今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為であった。「踏むがいい。私はお前たちに踏 まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」

みんなの党 渡辺代表 8億円融資 “選挙資金でなく違法性認識ない” “代表辞任する考えない”。DHC(東京・港区)吉田嘉明会長から多額の融資を受けたことについて、みんなの党・渡辺代表は代表辞任を否認した。渡辺代表は二度の選挙前に吉田会長から計8億円を融資し、現在の残高は約5億5,000万円。使途について公選法政治資金規正法に抵触しないか調べてもらうと述べた。緊急会合後、浅尾幹事長は違法性がないと主張、水野政調会長は代表を信じると述べた。

◆『〜苦境にある地方商店街!奇跡の再生術〜』(2014年3月27日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京カンブリア宮殿」より
 高松市にある高松丸亀町商店街では他の街づくりに携わる職員などが年間1万3000人が視察に訪れる。この商店街は470メートル、商店街はテーマに沿った店舗が200店舗ほど入っている。さぬき菓匠はお菓子の名店として有名となっている。まちのシューレ963ではヘルシーランチが人気となっている。高松丸亀町商店街の人気復活の仕掛け人は古川康造と鹿庭幸男だった。丸亀商店街の問題点は業種の片寄りがあることだった。それは「定期借地権」を使った再開発を行うことで解決できると古川は考えた。地主との話し合いは難航したが、なんとか全員一致でなんとか着工にとりかかることができ最初の再開発で売り上げは2倍となり通行量も3倍になった。
 バブル期に危機を察知した前理事は勘でシャッター街になることを感じたと話していたという。村上龍の疑問点として「所有と利用の分離」をなぜ気付けたのかと聞いたところ、古川は地権者は土地を取られてしまうんではないかという考えが浮かぶ、しかし今回の手法は62年間の定期借地権なので62年後には土地は孫達の手元にもどるようになっているそれが再開発。苦労した点について聞くと街と一蓮托生だったため賛同者が反対者を説得してくれたためそれが功を奏したと話した。村上龍は「商店街再生は情緒の問題ではない」という視点を展開した、それに対し「地域に税金をたくさん落とすビジネスを作らなければならない、地域に税金を落とすことが大事」と話した。ぶらくり丁商店街ではシャッター商店街の現実を反映している。シャッター商店街は全国でも4割となっている。和歌山市の中心街では4割の住民が減少している。高松丸亀町商店街はバブル景気に伴う土地高騰で人口は郊外に流出し、残ったのは高齢者ばかりだった。住民を戻そうと定期借地権付きマンションを建設し、安さが売りだったことから即日完売した。立地条件もよく、住民の伊川文子さんは満足している。また建物内には美術館北通り診療所があり、24時間対応の在宅診療も行っていることから住民にとっての安心感は高い。さらに付近の大学病院と提携し、重病とわかればすぐさま搬送してくれる。
 高松丸亀町壱番街にある定期借地権付きマンションでは住民の多くが高齢者ということで出張サービスを行っている。さらに一画にはスーパー「まちマルシェ きむら」があり、素材も鮮度抜群。他にもレストラン、手芸店、高齢者同士の交流を図るためにカルチャーセンターもある。独り暮らしの安藝菜穂子さんは車いすを使っていて、施設はバリアフリーなので利便性もある。また商店街が運営するまちバスもあり、運賃は100円の安さで年間400万円の赤字を計上しているが駐車場も商店街が運営しているので黒字化に成功。さらに高齢者に駐車場の管理を任せることで、雇用も創出している。高松丸亀町商店街振興組合の古川康造理事長は高齢な居住者を集めることで商店街は活気づくとコメント。その上で居住区に24時間対応の医療施設を完備し、聞きとり調査を行ううちに独り暮らしのお年寄り同士が食事を楽しめるサービスなども考えているとコメント。
 高松丸亀町商店街は兵庫町商店街、片原町商店街と隣接していて、シナジー効果を生んでいることで再び活気づくようになったという。また地元の生産者が野菜などを持ち込むマルシェが月に1度開催されている。高松丸亀町商店街で土産物プロジェクトを担当する塩田教介さんは香川・三豊市のレモン農家を訪れた。小林憲由さんが生産する有機栽培にこだわったレモンを使った「レモンのハチミツ漬け」をプロデュースし、常設店や屋台などで販売された。他にも和三盆を使ったお菓子「ヌーベル和三盆 ガイコツ」なども販売するなど、地場産業とコラボしている。高松丸亀町商店街振興組合の古川康造氏は生産者が作った野菜などを自分で持ち込んで商店街で売るという新たな市場開設を目指していると語った。村上龍はなぜ商店街が4年で再開発できたのか疑問を呈すと、古川氏は地域内のコミュニティによるものとコメント。一方でコミュニティが崩壊しているのは不在地主が多く、再開発などに投資してもリターンは少ないという。
 高松丸亀町商店街振興組合の古川康造氏は復活できる商店街の条件に、地域のコミュニティが残ってさえいれば手法はいくらでもあるので再生はまだ可能とコメント。収録を終えた村上龍は再生を果たした高松丸亀町商店街について、もっとも重要なのは信頼に裏打ちされたコミュニティの残存で、人が離れることでコミュニティが崩壊すれば資金やアイデアをもってしても再生は不可能。高松丸亀町商店街は街を再生しただけでなく、確固たる信頼も取り戻したと評した。

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