雨の中の農業

◆雨とはいえ、草の成長も早く、朝から草取りである。夕方にはやんだ。草取りの間に部屋の掃除、買い物、食事の支度と母の世話に追われう。疲れるあいかわずの週末である。

◆金土日館 岩田専太郎コレクションhttp://loco.yahoo.co.jp/place/f5b2663db7fd979c1cc78a8a9e333d4ec8907944/
 文京区千駄木の住宅街にある「金土日館・岩田専太郎コレクション」を見学。1901年の浅草生まれで、昭和天皇とディズニーと同い年だ。1920年19歳で挿絵画家としてデビュー。以来、73歳で死去するまで、半世紀にわたって雑誌や新聞を舞台に活躍。25歳、吉川英治の「鳴門秘帖」(大阪毎日新聞)の挿絵で一流挿絵画家の地位を得た。時代小説、探偵小説などあらゆるジャンルの挿絵を、時代に即した新鮮な感覚で描いた。この間、ずっと挿絵画家としてトップの地位を保った人生だった。
 岩田専太郎が生涯に描いた挿絵は6万枚。親友の小説家・川口松太郎は「挿絵を描くために生まれてきたような男」と評している。浮世絵の伝統を基礎に、時代の流行を敏感にとらえ、画風を変化させていった。大胆な遠近法、装飾的な画面構成、映画のアングルやクローズアップの手法、新しい印刷技術ん織先取りなどを採用した「専太郎調」といわれる独自のスタイルを確立した。義太夫太夫は小説家、三味線は挿絵画家という関係という見立てがある。
 図案家、画家、印刷図案家、日本画家と師匠を変えながら、18歳で単身上京。戦争で無一文になった専太郎は、俳優の長谷川一夫の居候になり、3年間を過ごす。新聞、雑誌、ポスター、レコードジャケットなど夥しい作品がある。
 
秋山庄太郎写真芸術館http://akiyama-shotaro.com/
 2007年6月24日、東京・南青山の旧秋山庄太郎アトリエに「秋山庄太郎写真芸術館」をオープン。急逝の1か月前、秋山庄太郎は家族に「アトリエを美術館にするから手伝って欲しい。収集した絵画も展示したい」と相談した。没後、写真家活動の拠点「秋山スタジオ」、東北における撮影拠点・アトリエ「山粧亭」の資材を随所に再利用したものである。

「巨人戦スコアボード速報」
初回に坂本のタイムリー、村田の3ランで4点のリードを奪った巨人。7回にも村田がこの日5打点目となるタイムリーでロッテを突き放した。先発の小山は粘り強い投球でロッテ打線を1点に抑えてプロ初完投勝利。広島がオリックスに敗れたため、巨人がおよそ2か月ぶりの首位に立った。

<昨年の今日>「今日は法事」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130608/p1