いつもの週末。

◆今日から三連休。夜息子が訪ねてくる。事業も大変みたいである。来週張りに行くようである。
◆実家へ行く予定を延期。明日へ。
◆『葛飾北斎『諸国瀧廻り』(2014年9月13日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京美の巨人たち」より
 霧降の滝、小野の滝、養老の滝、阿弥陀ヶ滝などは浮世絵の巨人である葛飾北斎によって描かれている。アメリカのボストン美術館に所蔵されている葛飾北斎の諸国瀧廻りは大判錦絵で、相州大山ろうべんの滝、美濃ノ国養老の滝、和州吉野義経馬洗滝など全8枚。滝はプルシアンブルーと白で描かれていて、森などの風景は色数を少なくすることで滝の存在感を強調している。中でも木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝には北斎ならではの奇抜なアイデアが込められ、傑作とされている。女子美大生は小地図マニアの彼氏とともに葛飾北斎が描いた岐阜・群上市の阿弥陀ヶ滝を訪れた。だが葛飾北斎の錦絵とは似通っておらず、自らの技量や発想を作品に込めたとされている。また8枚で1作である諸国瀧廻りの中には実在しない滝があるという。
 怒涛図、神奈川沖浪裏など葛飾北斎にとって水は生涯のテーマで、諸国瀧廻りは76歳の頃に描いたとされる。関東から近畿地方に存在する滝が全8枚に描かれているが、さほど有名ではない滝が作品の半数を占めている。葛飾北斎の諸国瀧廻りの1枚である和州吉野義経馬洗滝は奈良・吉野郡にある高滝がモデルで、北斎は川の流れを歪曲させたり、滝自体を大きく描くなどアレンジを加えている。
 神戸市立博物館の塚原晃さんによると諸国瀧廻りの作者である葛飾北斎は滝の有名無名を問わず美意識で選んだものを自らの美意識に沿った構図で描いたという。下野黒髪山きりふりの滝では木の根が大地を覆うように広がり、美濃ノ国養老の滝では滝は刃のように落下している。また、神戸市立博物館の塚原晃さんによると葛飾北斎が諸国瀧廻りを描いた時代は諸国の滝の名所図会ができていて、さらに地方の人の伝聞などから北斎は想像力をふくらませて描いた可能性があるという。
 カップルは葛飾北斎の作品 諸国瀧廻りのモデルとなった神奈川・伊勢原市の良弁の滝、栃木・日光市の霧降の滝、岐阜・養老郡の養老の滝、長野・木曽郡にある小野の滝などを訪れた。葛飾北斎1798年に描いた亀図には師造化と刻まれた印が押されている。神戸市立博物館の塚原晃さんによると大自然を師とする意味で、北斎にとって無形な水は想像力を駆使して描く楽しさがあったという。特に諸国瀧廻りの木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝には特別な意味が込められている。
 三重・関町にある清滝は葛飾北斎が描いた諸国瀧廻りの1枚である東海道坂ノ下清滝くわんおんのモデルとなっている。また木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝には2つの視点が存在し、滝は正面から見た視点、滝口は俯瞰から見た視点とだまし絵のような構図が盛り込まれている。さらに齋藤泰嘉氏によると鑑賞者は画中人物の視点を追って見ることでより絵に入り込めるような創意工夫が施されていて、臨場感を与えるために滝壺をあえて図画の上部に描いたという。葛飾北斎の諸国瀧廻りに描かれた東都葵ヶ岡の滝のモデルとなった滝は現在は実存せず、明治半ばまで溜池として存在していた。諸国瀧廻りで北斎は轟々たる滝、生き物のような流れの滝など想像力を駆使して描いている。