今日の真田丸「秀次事件」

豊臣秀次。「磯かげの 松のあらしや 友ちどり いきてなくねの すみよしの浦」
 関白豊臣秀次は、いわゆる秀次事件で高野山金剛峰寺の柳の間で切腹したといわれている。その時に、辞世の句として詠んだのが、この歌。しかし、どうもこの歌からは、秀次がどんな気持ちで切腹したのかがさっぱりわからない。そもそも秀次事件が、なぜ起こったのかという説も、いろいろある。秀次は悪逆非道の摂政関白だった、また石田三成の讒言説、秀頼を後継にしたい秀吉の思いの強さから英次が邪魔であったなどなど。どれが本当のことなのか、よくわかっていない。今日の、大河ドラマ真田丸」でも、秀次事件が描かれたが、これまでの描かれ方とは違う、「秀次は自殺だった」という最近の説に基づいて作られているようだ。切腹させられたのではなく、自殺だったというもの。後世になって、いろんな話が盛られたとすれば、それはそれで納得させられる。時代が進め、歴史は不明確が出てくる。資料も映像もない時代であれば仕方があるまい。
 大河ドラマ真田丸』第28回(2016年7月17日放送)で描かれた、豊臣秀次切腹のストーリーは従来の定説を覆す、三谷版 “新説・秀次事件”とも呼べる秀逸な回だった。側室・茶々との間に生まれた最初の子供を早くに亡くした秀吉は、甥の秀次に関白の座を譲るが、諦めかけていた男子(後の秀頼)が生まれたことで亀裂が生まれ、遂には秀次に謀反の疑いをかけ切腹させてしまう。豊臣政権崩壊への序章として良く知られたエピソードだが、『真田丸』で描かれた“秀次事件”は従来の定説と決定的に違う、三谷幸喜独自の歴史解釈による斬新かつ納得のいく展開だった。秀次切腹を初めて記したのは江戸時代の『太閤さま軍記のうち』という書物。そこで描かれた、悪行三昧の秀次に謀反の噂が流れ粛清された、というのが従来の定説だったが、早くから多くの歴史家が疑問を投げかけていた。そもそも秀次に謀反を起こす力はなく、3代目を秀頼が継ぐことは規定路線として決まっていたからだ。ではなぜ、秀次は死ななければならなかったのか。石田三成や茶々の陰謀説なども唱えられてきたが、どれも決定打に欠ける。あまりにも偉大すぎる叔父から中継ぎ投手を命じられ、しかも秀頼が生まれたことにより、叔父から疎まれているのではないかという脅迫観念に押しつぶされて、自ら高野山に籠もり自殺してしまう。信長・秀吉という戦国の英傑の作り上げた天下を、血縁というだけで嫡子でもないボンボンがいきなり背負わされたら、疑心暗鬼にかられウツになるのも頷ける。