左甚五郎とは

◆左甚五郎(ひだり じんごろう)は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。落語や講談、松竹新喜劇で有名であり、左甚五郎作と伝えられる作品も各地にある。講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、また、左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある。日光東照宮の眠り猫をはじめ、甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。しかし、その製作年間は安土桃山時代〜江戸時代後期まで300年にも及び、出身地もさまざまであり、左甚五郎とは、一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである。
 そして、秩父神社社殿は天正20年(1592)に徳川家康が寄進。壁面彫刻「子宝・子育ての虎」は伝説の名工・左甚五郎の作。子虎がじゃれつくのは母虎ならぬ豹である。江戸時代、豹は雌虎だと思われていたそうな。ちなみに家康は寅の年・寅の日・寅の刻生まれといわれている。