坊ちゃんのふるさとへ。

◆昨夜は道後温泉に泊まり、今朝午前中は、昨日に続き、「マネジメントと進行管理」というテーマでいかに営業成績をあげるのか自らの体験を、他社である坊ちゃんのふるさとのE社の営業所所長を中心に講演。午後、松山城・子規記念館を見学し、夕方自宅に戻る。暑い、暑い2日間であった。

松山城
 愛媛県松山市にあった日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため、伊予松山城とも呼ばれている。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大連立式平山城の1つにも数えられる。1933年ごろまでは、本丸部分には40棟の建造物が現存していたが、1949年までに19棟が火災により失われ、現存建築は21棟にまで減少した。建造物の現存数は二条城(京都府)の28棟に次ぐものであると言われている。

正岡子規記念館
 二度目の訪問である。ゆっくりと館内をみてまわる。近代俳句の祖といわれる正岡子規を中心に、夏目漱石松山市が生んだ文人たちの業績を集大成した博物館。1981年4月に開館し、現在収蔵している実物資料や書籍はおよそ6万点といわれている。3階にある愚陀佛庵(ぐだぶつあん)がある。明治28(1895)年に松山中学英語教師として赴任した夏目漱石の下宿住居を再現したもの。「愚陀仏」は漱石の俳号だが、その名付け親は、松山出身の東大の学友、正岡子規である。
 子規は日清戦争従軍後に喀血し、療養後に松山へ帰郷するが、その際にはここに52日間滞在し、多くの句を書き残した。本物の愚陀佛庵は、現在繁華街になっている二番町にあったのだが、戦災で焼失し、1957(昭和32)年に松山城南ろくの萬翠荘近くに再建されていたが、だが、2010年7月の大雨で、土砂崩れにより全壊している。この資料館で夏目漱石が坊ちゃんを二日で書きあげたことを知り、改めてその才能に驚く。
 ●正岡 子規(1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)は、日本の俳人歌人国語学研究家。俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。
 17歳で東大予備門に入る。ここでは、夏目漱石南方熊楠、山田美妙らと同級となる。21歳で鎌倉で喀血、このころベースボールに熱中する。そういえば上野の森には子規記念球場があったことを思い出した。22歳で漱石との交遊が始まる。23歳で文科大学哲学学科入学。25歳日本新聞社入社、27歳「小日本」編集責任者、28歳日清戦争従軍記者。このとき、従軍中の森鴎外を訪問、松山の漱石の下宿で50日を過ごす。29歳子規庵で句会、カリエスの手術。33歳「日本」に「叙事文」を連載し、写生文を提唱。34歳「墨汁一滴」の連載を開始、35歳「病状六尺」を連載、そして死去。短く不幸な生涯であるが、同時代の人々への感化、その間になした仕事は大きな影響を後世に与え続けているのが素晴らしい。子規は必死に生きようとしたのだった。わずか36年の短い生涯の中で、俳句と短歌の革新を成し遂げた偉人、ベースボールの導入者、そして人が自然に寄ってくる魅力を備えた人物、それが正岡子規だ。
「病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない」
子規という号は、結核という病を得て赤い血を吐く自分を、時鳥(ホトトギス)が血を吐くまで鳴いて自分のことを知らしめるように、自分の血を吐くがごとく何かをあらわそうと決意し、その別名をつけたものだ。また漱石という号は、唐代の「晋書」にある「漱石沈流」に因んだものだ。石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕す、という意味で、負け惜しみの強い変わり者を意味している。もともと、百ほどの号を持っていた子規が使っていた号だが、漱石に譲っている。
漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)」
「墨汁一滴」には、食べ物の薀蓄、歌に関する知識、人物胆、俳句、万葉集賛歌、闘病の苦しさ、少年時代の思い出、漱石のこと、試験の話など、優れた批評精神と好奇心のおもむくまま豊かな精神生活を感じさせる文章が並んでる。テーマ、スタイルなどが多彩にひろがっていて、子規の世界を堪能させてくれる。随筆に現われる子規は実に魅力的だ。