龍岡城五稜

五稜郭といえば箱館が思い浮かぶが、長野県佐久にも五稜郭が。幕府陸軍総裁などを歴任した三河奥殿藩主松平乗謨は、幕末情勢に鑑み信州の領地へ本拠を移転、慶応3年(1867)に龍岡城五稜郭を築城。現在も濠と石塁、御台所と呼ばれる建物が健在。龍岡城五稜郭を築いた三河奥殿藩主・松平(大給松平家)乗謨は、幕府陸軍奉行在任中、フランス陸軍士官との交流を通じ、欧米の叙勲制度に着目。維新後、大給恒と改名した彼は、帝室メダイユ取調御用掛として日本初の勲章を制作。さらに賞勲局総裁に進んでほとんどの勲章を手掛け、「勲章の父」とも。