模擬チェックテスト⑥

仮名垣魯文
1. 明治になり 仮名垣魯文は、式亭三馬の(A浮世床)の髪結床 (B浮世風呂)の銭湯に代え、牛鍋屋に舞台を移し(C安愚楽鍋)を著しました
2. 魯文は江戸安政地震(安政2) 安政3の暴風雨について見聞録を記しています。では 左右を組み合わせてください
 (D) 江戸安政地震(安政2)  (い) 安政風聞集 
 (E) 安政3の暴風雨     (ろ) 安政見聞録 
              (は) 安政見聞誌   
 D─(は) 安政見聞誌  E─(い) 安政風聞集
 <参考>
 作品名     作者 絵師           備考 
 安政見聞録  服部保徳、一梅斎芳晴ほか    震災ルポルタージュ 
 安政見聞誌   仮名垣魯文歌川国芳ほか   安政江戸地震ルポルタージュ  
 安政風聞集   金屯道人(仮名垣魯文)      風水害ルポ 
 安政江戸地震(安政2)・安政3の暴風の記録には、上記の書物があります。名前が非常に似ています。お題の参考図書(天下大変 江戸の災害と復興)に「安政見聞集」という書物の挿絵がありますが(P.111 P.120)、これは 「安政風聞集」です
 安政見聞集(×) → 安政風聞集(○) 

地震
1. 江ノ島地震により陸と島がつながりました。陸繋島(りくけいとう)です では その地震は何時。・・C. 関東大震災(大正12)
    A. 慶長東海南海地震(慶長9)
    B. 安政東海地震(嘉永7)
    C. どちらでもない
2. 鎌倉の大仏さまには 大仏殿がありません。ある地震(津波)で破壊し、その後再建されることはありませんでした。では その地震は何時・・・D. 明応地震(1499) 
    A. 元禄地震(元禄16)
    B. 宝永地震(宝永4)
    C. 小田原地震(嘉永6)
    D. この中にはない
1. 富士山の噴火のさい 幕府は臨時復興税なるものを徴収しました。(石高100石に対して金2両)この臨時復興税なるものは。・・・諸国高役金
2. 河竹黙阿弥の作品に「増補桃山譚(ぞうほももやまものがたり)」があります。文禄5年の慶長伏見地震を扱っています この通称は・・・地震加藤
3. 雷のとき「くわばらくわばら」といいます。では 地震のときは・・・世直し世直し(上方)(関東では万歳楽万歳楽)
4. 噴火後 根岸鎮衛は現地に赴きました その噴火とは・・B. 浅間山
 A. 富士山  B. 浅間山  C. 普賢岳
芭蕉奥の細道の旅で(A象潟 (きさかた))を訪れ「(A象潟 (きさかた) )や 雨に西施がねぶの花」と詠みました そして、「松島は笑ふがごとく (A象潟 (きさかた))は(Bうらむ)がごとし」とも述べています
 芭蕉がこの地を訪れた当時の(A象潟 (きさかた))は入り江に多くの小島が浮かび 松島とともに景勝地として世に知られていました。
(C文化)元年の地震により 海底が隆起して陸地となりました。この地震の2ヶ月後、この地をおとずれた雷電為右衛門の「雷電日記」を読むと衝撃の大きさが伝わってきます。*芭蕉(奥の細道)
安政年間の大地震

 (1)   嘉永7.6.15   伊賀・伊勢・大和地震   M7.25    
 (2)   嘉永7.11. 4   安政東海地震   M8.4    
 (3)   嘉永7.11. 5   安政南海地震   M8.4   32時間後に発生 
 (4)   安政2. 8. 3    安政仙台地震   M7.25    
 (5)   安政2.10. 2   安政江戸地震   M6.9    
 (6)   安政3. 7.23   陸奥地震   M7.5    
 (7)   安政5. 2.26   飛越地震   M7.0    
どの地震のことですか?
A. この地震のあと 鯰絵が出回りました。A ─ (5)  安政江戸地震
B. ディアナ号(露)が津波で破損し沈没しました。B ─ (3) 安政南海地震
C. 藤田東湖が建物の下敷きになり圧死。C ─ (5) 安政江戸地震
D. 稲藁に火をつけ 危険を知らすとともに安全に村人を誘導し 津波から救いました。D ─ (3)  (3) 安政南海地震
E. 安政江戸地震の復興の様子が、これらの絵に込められているとの説もあります。そのシリーズ化された浮世絵とは・・名所江戸百景(広重)(原信田実「謎解き広重江戸百」)
★上表の(2),(3)の地震安政○○地震となっていますが 、嘉永7の出来事です(嘉永7.11.27 安政改元)。★平成23年東日本大震災後に 11月5日が「津波防災の日」となりました。(嘉永7.11. 5 安政南海地震)。12月22日 国連総会において、11月5日が「世界津波の日」になりました(日本提出の決議案が全会一致で採決された)

町火消
(1) 明暦3  明暦の大火 
(2) (万治1 (明暦の大火の翌年)A)  自衛消防組織をつくる 
(3) 享保3  大岡忠相 町火消の設置を命ずる 
(4) 享保5  隅田川をさかいに 47組 16組に 
(5) 享保7  武家屋敷の火事も消火するよう命ぜられる 
(6) 享保15  47組を 大組に編成(10組) 
(7) 享保16  浅草米蔵の防火を命ぜられる 
(8) 元文3  大組10組 → 8組 
(9) 延享2  47 → 48組となる 
(10)  本所深川 大組3組に 
(11) 延享4  江戸城(二の丸)にて跡火消 
(12) 天保9  西の丸出火 消火活動 
(13) 天保15  大奥出火 消火活動 
(数字は上表の左の数字に対応)
1. 町火消の起こりといえる自衛消防施設をつくったのは何時(A万治1 (明暦の大火の翌年)。(2)
2. 町方で出火したとき いくつの町が消火にあたりますか。その人数は1町につき何人。6町 30人(風上2町、風脇左2まち、風脇右2町) (3)
3. 享保15 大組に編成したことにより、多くの人数を集めることが可能となりました。1町あたりの人数をどの様にしましたか。30人 → 15人 (6)
4. 延享2 年、1組増えました それは何組。本組 (三番組) (9)

●火消(武家)
どの火消ですか? 下記の(A) 〜 (F)から選んでください
1. 森川重政が紅葉山霊廟を守るように命じられたのが始まりである。(B) 所々火消 
2. 火事場でなく、まず大手門,桜田門に集まった。(E) 方角火消
3. 三町火消、近所火消などとも言われた。(F) 各自火消
     (A) 奉書火消
     (B) 所々火消
     (C) 大名火消
     (D) 定火消
     (E) 方角火消
     (F) 各自火消
 寛永6   (A)    
 寛永16   (B)    
 寛永18   桶町火事    
 寛永20   (C)    
 明暦3   明暦の大火    
 万治1   (D)   4組 
 享保1   (E) 大手組,桜田組に   明暦の大火後に設置される 
 享保2   (F)    

●明暦の大火 
               火元         死者 
 明暦3   明暦の大火   本郷丸山本妙寺ほか    10万人以上 
 明和9   行人坂の大火   大円寺   約14700人以上 
 文化3   丙寅の大火   芝車町   約1200人以上 
明暦の大火について
1. 江戸の(6)割以上が焼失した。博覧143
2. どれ位の被害(焼失件数)でしたか。大江戸見聞録96
    大名屋敷 (A160)
    旗本屋敷 (770)余
    寺社    (350)余
    橋      (60)

3. 三日間にわたって燃え続けました 本妙寺を含め火元は何ヶ所。・・・3ヶ所(第一本郷丸山本妙寺、第二小石川新鷹匠町 大番与力衆の宿所、第三麹町五丁目町家)
4. 日本橋も何度も火災にあいました。上記三つの火事にも被害を受けました。では 江戸時代を通じて 何度被害(火災)にあったでしょうか。・・・10回

●火事(京・大坂)

         【京】     【大坂】 
(1)  寛文13  寛文の大火    
(2)  宝永5   宝永の大火    
(3)  享保9       (A(は) 妙知焼け ) 
(4)  享保15  (B(ろ) 西陣焼け)    
(5)  天明8   天明の大火 (C(ほ) 団栗焼け)    
(6)  寛政1       上町の大火 (い) (注) 
(7)  寛政3       堀江・島之内の大火 (ろ) 
(8)  寛政4       天満の大火 (は) 
(9)  天保8       (D(に) 大塩焼け) 
(10)  安政1  京都大火    
(11)  元治1  (E(い) どんどん焼け)    
(12)  文久3       新町焼け(五幸の火事) 
(注) (い)(ろ)(は)のみっつの火事を総称して寛政の大火とよびます。
1. 上表の(A) 〜 (E) に該当するのは?
   (い) どんどん焼け(鉄砲焼け)
   (ろ) 西陣焼け
   (は) 妙知焼け
   (に) 大塩焼け
   (ほ) 団栗焼け
2. 大坂の火消しに関する正誤問題です。
(F) 五組の火消しにはそれぞれ水に関する名前が付けられていた。○(雨組、滝組、川組、井組、波組)
   (G) 東西町奉行所の浪花組,難波組が消火にあたった。×
   (H) 大名火消しが消火にあたった。×
   (I) 妙知焼けの「妙知」とは 人の名前である。○
3. 西陣焼けのため (J桐生)や(K丹後)の地方に熟練職人が移動した。

地震
1. 富士山の噴火のさい 幕府は臨時復興税なるものを徴収しました。(石高100石に対して金2両)この臨時復興税なるものは。・・・諸国高役金
2. 河竹黙阿弥の作品に「増補桃山譚(ぞうほももやまものがたり)」があります。文禄5年の慶長伏見地震を扱っています この通称は・・・地震加藤
3. 雷のとき「くわばらくわばら」といいます。では 地震のときは・・・世直し世直し(上方)(関東では万歳楽万歳楽)
4. 噴火後 根岸鎮衛は現地に赴きました その噴火とは・・B. 浅間山
 A. 富士山  B. 浅間山  C. 普賢岳

●富士山噴火
1.富士山が爆発したのは 今からおよそ何年前。C. 310年前(宝永4年11月23日、1707年)
 A. 110年前  B. 210年前  C. 310年前  D. 410年前
2. 富士山の三大噴火は 延暦の噴火 貞観の噴火 宝永の噴火。では 貞観〜宝永までの期間は。・・B. 約850年(延暦19・800、延暦21・802、貞観6・864、宝永4・1707)永保3年(1083年)の噴火から約620年ぶり。
   A. 約500年  B. 約850年  C. 約1000年
3. 宝永の噴火のさい、 江戸で火山灰が降る状況を記録に残したのは誰・・新井白石
   A. 室鳩巣
   B. 新井白石(折りたく柴の記)
   C. 伊奈半左衛門忠順(ただのぶ)
4. この噴火の直前 M8.4という大地震が起きています。 噴火の何日前。・・C. 49日前(宝永4年10月4日(宝永地震
   A.  7日前  B. 21日前  C. 49日前  D. 63日前
5. この噴火とその後を書いた新田次郎歴史小説は。・・・D. 怒る富士
   A. 富士に死す
   B. 富士山頂
   C. 芙蓉の人
   D. 怒る富士


●火山爆発  (強記356)
                 死者    
 宝永4   富士山             関東地方に多量の火山灰、
 天明3   浅間山     1151人     火山灰が長く空を覆い飢饉の原因に 
 寛政4   普賢岳(雲仙)    約15000人    山が崩れ土砂が有明海に → 大津波 
1. 発掘調査により、姑(しゅうとめ)を背負って逃げ遅れた女性の白骨が発見されました。これはどの火山の爆発。・・・浅間山
(参考)天明3年(1783)の浅間山噴火による土石流に直撃された人口597人の鎌原村。生存者は高台にあったこの観音堂に逃れた93人のみ。50段あっ た石段は上部15段を残し埋没。発掘により1段目手前に人を背負った形の遺骨を発見。母を連れて避難したがあと一歩で逃げ切れなかった娘と推 定される。
2. 火山灰が成層圏に達し 北半球を覆う → 気温の低下。この事により フランス革命の背景になったとも言われたのは。・・・浅間山 
3. 江戸にも 火山の降灰がありました。新井白石の( )のなかにもその記述があります。・・・富士山   折たく柴の記
4. 島原大変○○迷惑と言われました。・・・普賢岳 島原大変肥後迷惑

利根川氾濫

 宝永1   上川俣で破堤   本所・行徳 深川等で浸水 
 享保13   古利根川沿岸氾濫   両国橋破壊 
 寛保2   各所で破堤       江戸市中冠水 関宿城大破   
 宝暦7   権現堂川決壊   古河 関宿大水 
 天明3   ?           (利根川の河床上昇) 
 天明6   全川にわたり水害   江戸市中浸水 両国橋大破 
 寛政3   中条堤破堤       上利根川に被害集中
 享和2   権現堂堤 中川破堤   江戸市中浸水 
 弘化1   権現堂堤破堤   江戸市中浸水 
 弘化3   本川俣 権現堂堤等破堤  江戸市中浸水 
 安政6   利根川 荒川等で洪水   流域各所で被害 
 利根川東遷後も 上表のようにたびたび氾濫を起こし 各地に大きな被害をもたらしました。(千葉県立関宿城博物館より)
1. 江戸の三大洪水といわれるのは何時の水害。・・・寛保2 天明6 弘化3
2. 天明3年の河床上昇は 何が原因でおきましたか。・・・浅間山噴火 

1.唐来参和の「天下一面鏡梅鉢」に、打ちこわしの様子が描かれているがこの打ちこわしは いつの時代・・B. 天明
  A. 享保  B. 天明  C. 天保
2. この時期 政権の交代がありました。誰(A田沼意次)から 誰(B松平定信)へ。
3. 「後見草」には「もし 此度の騒動なくば 御政事改まるまじき」と 記されています。これを記したのは誰。・・・杉田玄白

●宝暦治水
1.尾張国木曽川の洪水を防ぐため堤を築いていました。この堤を何といいますか。・・・・御囲堤(おかこいづつみ)
2.宝暦4年 木曾三川の分流工事が行なわれました それらの川は。・・・木曽川 長良川 揖斐川
3.この工事を命じられた藩は。薩摩藩(藩主島津重年) 
4.何名の藩士が現地に赴きましたか。(い) 約1000人
     (あ) 約800人
     (い) 約1000人
     (う) 約1200人
5.総奉行は誰・・・平田靫負(ひらたゆきえ)
6.これらの人々は薩摩○○と呼ばれます。・・・薩摩義士
7.かかった工期は・・・約1年4ヶ月。(宝暦4年2月27日から宝暦5年3月28日、宝暦2年は閏2月)
8.当初の工事予算は10万両でした。実際にかかった費用は。・・・約40万両

大塩平八郎の乱
    月 日 
 天保7  8.21 郡内騒動 (注1)
        9   将軍(A徳川家斉) 明年の引退を布告
        9.21 三河加茂一揆 (注1)
        11  大坂町奉行 米確保に奔走
 天保8  2.19 大塩平八郎の乱
        3.27 平八郎 潜伏中を発見され自害   
        6. 1 (B生田万)の乱
        7  能勢一揆
        9. 2 徳川(C徳川家慶) 将軍に 
        (注1) いずれも米価暴騰による
 米不足 価格の高騰 天保の飢饉のまっ最中に事件は起こりました。
1. 陽明学者でもある大塩平八郎が構えた塾の名は。・・・洗心洞
2. 蔵米などの放出を 大坂町奉行に求めましたが、断られてしまいます この時の大坂東町奉行は・・・跡部良弼
3.○○○○の理念に基づき 窮民の救済のため武装蜂起しました。・・・知行合一
4. 豪商の家などに火を放ちました。大坂の町のどれ位が焼けましたか。・・・1/5
5. (A徳川家斉)(C徳川家慶)にはいる将軍の名前は。
6. (B生田万)には 人名がはいります。この乱に影響を受け 救民のために立ち上がりました。

改元
 慶長 地震       元禄 天皇即位   寛政 火事 
 元和 戦乱・災害   宝永 地震       享和 辛酉革命説 
 寛永 甲子革命説   正徳 天皇即位   文化 甲子革命説 
 正保 天皇即位   享保 将軍死去   文政 天皇即位 
 慶安 正保 = 焼亡?  元文 天皇即位   天保 地震 
 承応 将軍代替わり   寛保 辛酉革命説   弘化 火事 
 明暦 天皇即位   延享 甲子革命説   嘉永 天皇即位 
 万治 火事       寛延 天皇即位   安政 火事 
 寛文 火事       宝暦 将軍死去   万延 火事 
 延宝 火事       明和 天皇即位   文久 辛酉革命説 
 天和 辛酉革命説   安永 火事       元治 甲子革命説 
 貞享 甲子革命説   天明 天皇即位   慶応 禁門の変・火事 
 火事・地震による改元は次の通り
     万治 前年の 明暦の大火
     寛文 同年の 御所焼失
     延宝 同年の 御所焼失
     宝永 前年の 元禄地震
     安永 同年の 目黒行人坂大火
     寛政 前年の 御所焼失
     天保 同年の 京都地震
     弘化 同年の 江戸城本丸火災
     安政 同年の 御所焼失
     万延 前年の 江戸城本丸火災
     慶応 前年の 蛤御門の兵火
1. 京都御所の火災による改元も何回かありました。慶応と改まる原因となった「蛤御門の兵火」は○○○○焼きと言われます。・・・どんどん焼き
2. 三大火事のうち 「明暦の大火」「目黒行人坂大火」の時は 改元がありましたが、 (丙寅(文化3)火事の時は改元はありませんでした。 カッコ内には干支が入ります。・・・・・・・・・・丙寅(文化3)

●打ちこわし
1. 「礼儀正しく狼藉に及んだ」打ちこわし、それは どんなこと・・・C. 盗みなど。
   A. 侘びを言って 行なった
   B. 公儀に正直に自訴した
   C. 盗みなどする者はいなかった
2. 江戸時代 大規模な打ちこわしが 3度ありました。それは何時。
    D.○○18年  享保18年
    E. ○○7年  天明7年
    F. ○○2年  慶応2年
3. 打ちこわしにあった二人です。何時のことですか。
    G. 高間伝兵衛  享保18年
    H. 平松屋伝次郎  天明7年5月 (江戸で初めての打ちこわし)
   何時のことですか。
4. (E天明7年6月)の年(前問2) 老中が(I田沼意次)から(J松平定信 天明7年6月)に替わります。
                               (強記 P.184)