旧国名について

江戸検定では旧国名も欠かせないようである。68か国あるが、地方別に整理してみると、以下のとおりになる。これからすべてを覚えていかざる得ない。そして、書けなければならない。
①東北地方
 現在の東北地方は、旧国名では、「陸奥」と「出羽」の2か国のみ。太平洋側が「陸奥」、日本海側が「出羽」でした。江戸時代、北海道は蝦夷地と呼ばれ、旧68か国の中に入っていない。
②関東地方
 関東地方は江戸時代には関八州と呼ばれていたので、具体的には次の8か国である。常陸茨城県)、下総(千葉県)、上総(千葉県)、安房(千葉県)、武蔵(埼玉県、東京都)、相模(神奈川県)、下野(栃木県)、上野(群馬県)。その中で元は一つであった国が数か国に分国された国がある。これらの国は、都に近い国が「上」または「前」、遠い国に「下」または「後」が付けられている。上野・下野は、もとは「毛野(けぬ)の国」でした。それが「上野」と「下野」に分れた。「毛」は「木」のことで「毛野」とは「草木の生い茂る土地」というのが通説だそうある。この国々は東山道に属しているが、都に近い国が「上野」、遠い国が「下野」とされた。また、上総・下総・安房である。この3か国は、もとは「総(ふさ)の国」でした。これが「上総」と「下総」に分れた。「総」とは「麻」のことだそうで、「麻が良く育った国」ということであり、その後、「安房」は「上総」から分国された。
中部地方
 中部地方は、数が多く、すべてで16か国ある。まず、日本海側が北陸道だが、7か国あった。越後(新潟県)、越中富山県)、能登(石川県)、加賀(石川県)、越前(福井県)、若狭(福井県)であるが、「越の国」であった国が5か国あるので、「越の国」(越前・越中・越後・加賀・能登である。「坂を越えた土地」なので「越」と呼ばれた。それが、まず「越前、越中、越後」の3か国に分れました。北陸道に属しているが、都に近い国が「越前」、最も遠い国が「越後」、その間が「越中」とされた。その後、加賀と能登が、越前から分かれた。)+「若狭」+佐渡新潟県)で7か国となる。太平洋側が東海道で、6か国ある。甲斐(山梨県)、伊豆(静岡県)、駿河静岡県)、遠江静岡県)、三河(愛知県)、尾張(愛知県)である。そして、山の中が東山道である。信濃(長野県)、飛騨(岐阜県)、美濃(岐阜県)の3か国で計16か国になる。
近畿地方
 現在の近畿地方には、15か国あった。かつての五畿内に属していた国だけでなく、東海道東山道山陽道山陰道南海道に属していた国々もあっった。まず、都の周辺地域です。現在でいえば、京都・大坂・奈良の三府県である。五畿内の名のごとく5か国ある。山城(京都府)、摂津(大阪府)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)、大和(奈良県)である。それ以外に、江戸時代には、東山道東海道南海道山陽道山陰道に属していた国があり、現在の府県名で言うと、滋賀県三重県和歌山県兵庫県京都府にあたる。東山道に入っていたのが、近江(滋賀県)、東海道に入っていたのが、伊勢(三重県)、志摩(三重県)、伊賀(三重県)、南海道に入っていたのが、紀伊和歌山県)と淡路(兵庫県 )、山陽道に入っていたのが、播磨(兵庫県)、山陰道に入っていたのが、丹波京都府)、丹後(京都府)、但馬(兵庫県)であり、近畿地方は全てで15か国となる。
⑤中国地方
 12か国あった。山陽道山陰道にわけて数えると、山陽道側に7か国、山陰道側に5か国あった。山陽道が、美作(岡山県)、備前岡山県)、備中(岡山県)、備後(広島県)、安芸(広島県)、周防(山口県)、長門山口県)です。この中には、吉備国であったものが4か国(備前、備中・備後・美作であり、これら4か国は、古代には「吉備国(きびのくに)」であった。これが「備前、備中、備後」の3か国に分れ、その後、「美作」が「備前」から分かれた。)あり、あとは「安芸・周防・長門」で7か国となる。山陰道は、因幡鳥取県)、伯耆鳥取県)、出雲(島根県)、石見(島根県)の4か国、そして忘れてはならない隠岐島根県)、以上で5か国となる。山陽道の元吉備国以外の国が3か国、元吉備国であった国が4か国、山陰道が5か国、あわせて12か国になる。
四国地方
 四国は、現在の地方名通り、4か国です。阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)、土佐(高知県
⑦九州地方
 分国数は11か国ですが、九州本土は、現在の地方名「九州」通り9か国ありました。筑前(福岡県)、筑後(福岡県)、肥前佐賀県長崎県)、肥後(熊本県)、豊前大分県)、豊後(大分県)、日向(宮崎県)、薩摩(鹿児島県)、大隈(鹿児島県)、「筑紫国」(筑前筑後であり、九州北部には古代には、「筑紫国」があった。「筑紫」の語源は「道が西の果てに尽きるところ」という意味のようである。)「豊の国」(豊前・豊後であり、これらは、もとは「豊(とよ)の国」でした。「豊」とは「豊かな土地」という意味である。)「肥の国」(肥前・肥後であり、もとは「肥の国」でした。「肥の国」は「火の国」で「阿蘇山雲仙岳などの火山がある国」という意味である。これが2か国に分れ、「肥前・肥後」となる。)で6か国あある。この6か国に南九州の「日向」「薩摩」「大隅」の3か国を加えると9か国になり、島国の対馬壱岐で、この2か国をあわせて11か国となる。また現在の沖縄は琉球と言われ、薩摩の支配下にあった。

 (出典は「気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録 」http://wheatbaku.exblog.jp/であり、それらをまとめたものである。)