ブログ終了まで何日になるのだろうか。田中角栄流「生き抜くための智恵」全伝授。そして煤払い。

◆ブログ終了まで何日になるのだろうか。江戸検の結果がいつ来るのか次第である。不安と楽しみが交差する日々である。自己採点ミスを願っている自分がそこにいる。また来年も挑戦するのか。別な道を目指すのか。気になる日々である。一昨年は18日、昨年は21日である。そして今年は。

田中角栄流「生き抜くための智恵」全伝授とは
<ポイント>
●部下に「抜け道」を教えられるか。そこまでできて一流の上司、できなければタダの人。
 人生の積み重ね、仕事の経験の豊かさから得た上司としての知恵を、自分だけのものにしていても一文にもならない。少なくとも部下の真の信頼を集め、名上司とあがめられるワケがない。部下に「抜け道」を教えられてこそ一流の上司、できなければタダの人どまりと自戒したい。自分が見つけた技は、苦労して見つけたものなので、人に教えたくない気持ちはわかります。ただ、仕事は一人でするものではありません。誰かの遅れがチーム全体に響くのであれば、自分だけできても仕方がありません。他の人に教えて、その人の作業が早くなれば、感謝されるはずです。もし、誰にも教えずに、自分にしかできない仕事ばかりを増やすと自分の負担が増えるだけです。ちょっとしたコツを教われば誰にでもできる技は、たいした価値はなく、他人に教えてもっとレベルの高い仕事をもらうほうがよほど評価が上がるのではないでしょうか。
●相手を「土俵の外」までは追い込むな。いつかまた手を握れる日がある。「ケンカの極意」だ。
 田中の抗争における連戦連勝は知られたところだが、たとえ勝っても、決して負けた相手を「土俵の外」までは追い込まなかったことが特徴だった。なぜ、「土俵の外」まで追い込まなかったのか。田中の考え方は、これは銃弾飛び交う生死を分ける戦争ではなく、論争、意見対立にすぎない。それなら、相手に"余地″を残してやるべきとした。時間がたち、諸般の事情が変われば、またこのケンカ相手と手を握ることがあるかもしれない。そのことが、やがて自分にとつて役立つ日が必ずあるという考え方である。田中は、徹底的にこれを実践した。ために、抗争で打ち負かした相手とどこかで修復し、むしろその後の人脈拡大につなげることができたのである。
「窮鼠猫を噛む」というように、追い詰められたネズミはやけくそになって尋常ではない力を発揮して襲ってくるので追い詰めてはいけないという2つの意味があるのではないかと思いました。
●ケチの説得は誰も開かない
 上手にカネの切れる男の話は説得力を持つが、切れない男の話には誰も耳を貸さないものだということを知っておきたい。
 人は、受けた恩は返したくなる性質があるので、普段から、上司におごってもらったり世話になっていれば、その上司に何かあれば、恩を返したくなるものです。それが、つねに割り勘で、世話になっていなければ、困っていても助けようとしないのは、よくわかります。
●人への「悪口は呑み込め」。自分の頭の上のハエを追うことが先。
「(他人のことをとやかく言う前に)まず、自分の頭の上のハエを追ったらどうだ」壁に耳あり。ほんのちょっとした悪口がさまざまな形で伝播し、のちにのっぴきならぬことにつながることもある。他人への悪回は、プラスになることは何ひとつなし。やがては自分のところに返ってくると、肝に銘じておきたい。考えてみれば、悪口を言う人は、信用できません。なぜなら、自分の前では他人の悪口を言うけれど、自分がいないところでは自分の悪口を言っているかもしれないと思えてしまうからです。悪口を言っても、何の得にならないのは、確かなので人前で言わないようにしたいと思いました。
●「酒は身銭で飲め」。真剣勝負になる。得るものが大きい。
 痛みをともなう身銭を切らないから、"交際″はしょせん遊びで終わり、真剣勝負の酒にならないからだ。安全地帯にいて何を叫んでも、これは真剣勝負とは無縁であるということである。物の本質、事の神髄に迫るには遊びではしょせん無理、観察者、傍観者の域から出ることはないと知るべきとしている。身銭を切らないと身につかないのは、よくわかります。借りた本や、タダでもらったものなどは、使っても使わなくても損しないので、結局使いません。本は、自分のお金で買うからこそ、払った分のもとをとらなければと思うから、真剣になります。無料で受けられる講習会なども、タダだから真剣にならず、身に付きません。
●「殺し文句」で相手の心を引き寄せる
 田中が大蔵大臣のころ、新幹線で当時の社会党の代議士と乗り合わせた。国会では丁々発止、ケンカ腰になることもある相手である。支援の労組幹部と一緒のその代議士を見つけた田中は自らツカツカと席に歩み寄り、こう言ったのだった。「まいった、まいった。予算委員会では、すっかリキミにうまいところを突かれたなあ。(労組幹部に向かって)彼がもし自民党にいたら、とっくの昔に大臣か党3役くらいはやっている人物だよ」後日、東京に戻ったこの代議士、このときの話が労組全体に知れわたり、「先生はホントはなかなかの人なんだ」と大いに株を上げたというのである。以後、この代議士は田中に頭が上がらなかった。
●稚気を武器とする
 それなりの人物を観察していると、時折、オッと思うことがある。この人がと思うような稚気、すなわちちょっとした子供っぽい仕草を示すことでの"憎めぬ人物"の発見である。 それでは田中角栄はといえば、もとよりこちらは稚気のカタマリのような人物でもあった。
 39歳で初入閣としての郵政大臣に就任した際、NHKラジオの「三つの歌」に出演、ノセられて浪曲天保水滸伝」をひとくさリウナッたため、「公共放送でヤクザ礼賛の浪曲とは何ごと!」と抗議が殺到。あやうく大臣のイスを棒に振りそうになったが、これは稚気としてむしろ国民には人気が出たのだった。
●積極的に人と会う
 田中くらい、人と会うことをいとわなかった人物も珍しかった。とにかく、若いころから積極的に人に会った。それも、肩書、地位のある者たちだけでなく、利害損得まったく無関係、頼まれれば喜んで誰とでも会うという姿勢だった。
「連続して人に会い疲れて休んでいるとき、またお客さんが来ることがある。『わざわざ出向いてきたんだから』と、それでも会っていた。政治家は人に会うのが商売だが、私もここまではできなかった。『人と会うのが醍醐味になってこそ本物』と、よく諭されたものです」(中西啓介・元防衛庁長官
●人の悪口を絶対に言わない
「1人の悪口を言えば、10人の敵をつくる。よほど信用している相手に『お前だけに言うが、じつはアイツは……』とやれば、1日たたないうちに政界に知らぬ者なしとなる。口は堅くなければならない。どうしても悪口を言いたければ、1人でトイレの中でやれ」田中角栄はよく、若い議員などにこう言い置くことが多かった。自民党議員、野党議員を問わず、名指しで相手の悪口を言った部分がひとつとして出てこなかったことにある。
●何事も誠心誠意で手を抜かない
 当時の新潟3区の田中の後援会「越山会」幹部は、こう言って驚いた。
「先生は呉服屋に反物を山のように持ってこさせ、『アイツはこれだ。こっちのほうが似合うか』などと言いながら、自分で色や柄を選んでいた。事前に、役人本人、奥さんの年齢、容姿などを調べたうえでというのが凄い。反物はもらっても、似合わなければ、ありがたみというものは半減する。なるほど、人に喜んでもらうには、ここまでしなければいけないのかと思い知らされたものです。やるときは何事も誠心誠意、手を抜かない。先生の人気の秘密がよくわかったものです」
●「相手の経歴」を調べて暗記する
「大蔵大臣のときもそうだったが、若手の課長あたりと廊下ですれ違うと、『おう、○野△夫君。□月×日は結婚記念日じゃないのか。こんど一度、奥さんを連れて目白のほうに遊びに来いや』とヒョイとやる。そりゃあ、課長は悪い気はしない。面と向かって話をしたこともなかった大臣に突然フルネームで呼ばれ、なんと自分の結婚記念日まで知っているとはどういうことか。誰でも自分に興味を持っていてくれる人には親近感がわく。信頼されているのかとも思うのが人情です。大臣としての能力も抜群だったが、この手で田中が次々と省内に"ファン"を増やしていった側面が少なくない」(当時の大蔵省担当記者)
<本の紹介>
地方の王国 (講談社学術文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4062921650
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062921650/hatena-ud-22/ref=nosim
決定版 私の田中角栄日記 (新潮文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/410148631X
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410148631X/hatena-ud-22/ref=nosim
田中角栄の昭和 (朝日新書)http://d.hatena.ne.jp/asin/4022733446
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022733446/hatena-ud-22/ref=nosim

<今日の江戸学トピック>
◆今日、12月13日は江戸では煤払い。13日は「年神(としがみ)祭りのための物忌みに入る日」(「ニッポニカ」)。江戸城では老中や留守居が熨斗目長袴姿で将軍御座所に箒がけから煤払いを始めて、すべての塵を払ったそう。江戸城で行なわれる行事でしたが、町人もみならってこの日に掃除をしました。掃除が終わると商家では胴上げが行なわれたそう。