女城主直虎最終回

◆家康は、明智光秀を見限って兵を引き連れて秀吉の味方をしようと思い西に向かいます。しかし、秀吉はすでに戦に勝利し明智光秀は命を落としていた。一方、直虎(柴咲コウ)は堺から龍潭寺に帰ることを急いでいました。明智光秀の子供である自然の命が危ないと思ったからです。龍潭寺に到着した直虎は、さっそく逃がそうとします。しかし、そこにいくらかの兵を引き連れ万千代(菅田将暉)がやってきました。徳川で引き取るので、万千代は渡すように直虎に言います。直虎は、自然を殺す気かと聞き渡せないと食い下がります。自然は僧侶になります。その式に、直虎も参加したのですが直虎は咳がつづき高熱も頻繁にでるようになりました。そのため、直虎は横になります。
 咳が止んだときに南渓和尚小林薫)に話します。自分はいつも見送るばかりで、生き残っていたのでこの世に未練などないと思っていたが・・・今は生きたいと思う。徳川のもとに日本中が集まるのをみてみたい。井伊の旗のしたに多くの家臣がつどうのをみてみたい。そういって、目を閉じたのです。そして直虎は、夢をみます。亀之丞(藤本哉汰)がおとわに待っていたぞと声をかけます。鶴丸(小林楓)が行きますよと声をかけます。そこに龍雲丸の子供時代のものもやってきて3人と一緒に行くことになります。直虎の死の悲しみを超えた万千代は、その2ヶ月後に徳川の代表として北条との和睦にのぞんでいました。直之(矢本悠馬)と六左衛門(田中美央)と共に万千代は信濃と甲斐をくまなくまわって、徳川に従臣する国衆たちの起請文を集めました。結果として、徳川の言い分がすべて通る和睦となりました。この北条との和睦により、徳川は三河駿河遠江・甲斐・信濃の五カ国の大名になりました。そして、和睦の手柄として万千代は家康の許しを得て元服することができました。名を「井伊直政」としたのです。後に徳川四天王になる井伊直政が誕生した瞬間でした。その30年後に、直虎が望んだ戦のない世界を家康は達成したのです。おなごにこそ井伊直虎。戦国時代に日本の平和を願ってやまなかった武将は、日の本の平和においておおきな役割を果たしたのである。

◆来年からいよいよ西郷(せご)どんがスタート。http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20161116#p2