いよいよ仕事始め。さあ、休みモードから切り替えていこう。昨夜は熊本でまた地震。

◆いよいよ仕事始め。さあ、休みモードから切り替えていこう。でも、あと3か月で退職を迎えるスタートになります。4月以降の予定が決まっておらず、不安のスタートですね。午後には営業所の社員に訓示。不安の幕開け。①足元を掘り下げること。②発想力を豊かに。③先見力の三つを話す。

◆昨3日午後6時10分ごろ、熊本県震源とする地震があり、和水町震度6弱熊本市などで5弱を観測した。この地震による津波はなく、地震の規模を示すマグニチュードは5.1(と推定されている。このうち、熊本県に住む80代の女性が転倒して病院に搬送されるも意識はあり、和水町役場ではけが人情報はないが萩原地区ではブロック塀が30センチほど崩れたという。熊本県和水町でブロック塀が倒れた現場には既に警察官がいて、この後の揺れでさらに崩れる可能性があるので住民に注意が呼びかけられていた。

<今日の京都新聞
◆平安装束の姫、みやびに札取り 京都・八坂神社「かるた始め式」
 かるたの初手合わせを奉納する「かるた始め式」が3日、京都市東山区の八坂神社であった。平安装束姿の「かるた姫」らがみやびやかな札さばきを披露し、初詣客らは王朝文化をしのばせる遊戯に見入っていた。全日本かるた協会近畿支部が主催して49回目。八坂神社の祭神・素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が日本初の和歌を詠んだ伝承にちなみ営まれている。能舞台では狩衣(かりぎぬ)やあこめ姿の童子童女4人と袿(うちき)姿のかるた姫10人が2人1組になり、百人一首の札を読み上げる声が響き渡ると、ゆったりとした手つきで札を取っていった。

◆星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - 2018年1月4日)は、日本のプロ野球選手・監督、野球解説者。
 子供の頃から熱烈な阪神ファンで、阪神が負けた翌日は悔し紛れに巨人ファンと喧嘩した。母子家庭で育ち、反骨精神能力旺盛な少年だった。倉敷商業を経て、明治大学で投手として大活躍する。巨人から一位指名の約束を反故にされたこともあり、中日ドラゴンズでは、その闘志あふれる投球ででON時代のジャイアンツキラーとなった。通算成績は14年で146勝121敗。現役引退後は、中日ドラゴンズ阪神タイガース東北楽天ゴールデンイーグルス監督をつとめた。阪神の監督として、18年ぶりの優勝を達成したその年に「勇退」しており、出処進退の潔よさも話題になった。2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督。2015年からは(株)楽天野球団取締役副会長。現役時代・監督時代を通じて6回日本シリーズに挑戦しており、いずれも巨人出身監督と対戦し5回連続して敗退。楽天監督としてリーグ優勝した2013年にはクライマックスシリーズを4勝1敗で勝ち、日本シリーズでは 原辰徳監督の巨人を4勝3敗で制し、6回目で自身初の日本一となった。
 川上哲治の死去に際しては、「情に厚いところもあったが、野球に対しては非情。それだけ集中し、人生を賭けておられた。私の師匠のような存在。リーグ優勝した後にもはがきをいただき、『最後までしっかりやれ』と励ましていただいた」と語っている。選手に対しては「人生の1%をボランティアに捧げ」など人生全般にわたる指導もしており、師匠とする後輩も多い。師匠には師匠がいる。
星野仙一 決断のリーダー論』によると、監督としては、チーム創造の構想力があり、緻密に計画し、まっすぐに実行していった。一年一年が勝負だと考え、複数年契約はしなかった。挨拶や解説も歯切れがよく、名将というより、闘将と呼ばれるにふさわしい監督だった。 阪神監督時に「ワシはな、何と言うか完成されたチームを任されるのはいやなんや。中日時もそうやった。戦力を整備して、チームを立て直す。これに快感を覚えるんや」と語った星野は、2011年3月11日の東日本大震災で被災した東北の人々を励ますという決意のもとにチームをまとめ、田中将大を擁した楽天イーグルスを率いて日本一になった。「本気か、本気でないのかが人生の分かれ道だ」とも言っていた星野監督の男気があり、星野仙一は雄姿と人物と言葉を残した人である。