ジョン万次郎死去

◆1898〈明治31年〉年11月12日は、ジョン万次郎が死去した日である。彼は英語は耳から覚えたので通訳は得意でしたが、文章の翻訳などは苦手でした。

⑥◆「こぬか薬師」の通称名で知られる薬師院の本尊はだれが造ったとされるか。
ア、最澄  イ、恵心僧都  ウ、円仁  エ、円珍
<解答>  ア、最澄 
<解説> こぬか薬師は薬師院というのが正式名称の寺院で、10月8日にご開帳される本尊は、最澄が一刀三礼 ( 1回刻むたびに3回拝む ) の礼を尽くして彫ったと伝わる薬師如来である。寛喜2 ( 1230 ) 年に疫病が流行ったとき、住職の夢にあらわれた薬師如来からの 「 一切病苦、わが前に来たらば諸病ことごとく除くべきに来也 ( こぬか ) 来也 ( こぬか ) 」 とのお告げによって、人びとが救われたという話にちなんで 「 こぬか薬師 」 と呼ばれるようになったとされている。すると以来、本尊にお祈りするとたちまち病気は治り、長寿をまっとうできたことから、遠国からも病人が病気平癒を願って集まった。現在、寺院では、薬木である黄檗樹 ( きはだ ) で製作した疾病退散数珠が販売されている。恵心僧都金戒光明寺阿弥陀如来坐像を残しており、円仁は真如堂阿弥陀如来立像を残しており、円珍は聖護院に不動明王立像を残している。(2級)

北野天満宮

⑤◆北野天満宮の国宝の本殿は俗に何造りと呼ばれているか。
ア、両流造  イ、祇園造  ウ、八棟造  エ、春日造
<解答> ウ、八棟造 
<解説> 北野天満宮の本殿は、慶長12 ( 1607 ) 年、豊臣秀頼の命により、片桐且元が普請奉行となって造られた檜皮葺の大建築である。奥の本殿と手前の拝殿が軒の低い石の間によって結ばれており、また拝殿の左右には楽の間が続いていることから屋根の構造が複雑で、俗に 「 八棟造 ( やつむねづくり ) 」 と呼ばれている。またこの形式が日光東照宮など徳川氏ゆかりの建物に継承されたことから、一般的に 「 権現造 」 とも呼ばれている。昇殿参拝の際に見上げて見ると、本殿正面の軒が石の間内部に現れており、本殿と拝殿が一つに連結していることがよくわかる。拝殿の屋根の正面には千鳥破風、向拝には唐破風が見られ、安土桃山時代を代表する荘厳華麗な建築物である。両流造の本殿をもつのは松尾大社であり、祇園造の本殿をもつのは八坂神社であり、春日造の本殿をもつのは大原野神社吉田神社である。(3級)