寺島文庫リレー塾2011 第6回 『2012年への展望』講師は寺島 実郎さん。

 仕事終了後、 赤坂アークヒルズクラブルームの「文庫リレー講座」に出席。最終日の本日は寺島塾長。参加者は150人余。テーマは『2012年への展望』である。
●日本近代史を変えた二人のアメリカ人
ペリーとマッカーサーの存在が大きい。開国による日本近代化、そして戦後復興と日本大きな革新に多大な影響を与えた。
●日本の帝国主義と米国のアジア進出の同時化
日清戦争、中国に進出した日本と遅れてきた植民地大国アメリカ。中国はアメリカの参加を望んでいた。米中関係の成立。相思相愛の関係で近代史の根っこから深い関係がある。(アメリカと中国語で『美国』と呼ぶ)
●日本にとってのアメリカの存在
アメリカの特徴は「抑圧的寛容」である。自分が有利なときは思いやりをみせる。相手が力をつけ、凌駕しているときは異様な猜疑心になる。
・日本は敗北のトラウマをまだ引きずっている。中国に対し、アメリカの力をかりる。内なる危機(財政赤字・少子高齢・人口減少など)に悩まされて世界に目がいかない。(例:世界人口が70億人を超えていること。)東西冷戦の意識のまま。
戦後60年アメリカを通してしか世界をみられない日本。二国間しか見えない。冷戦中はアメリカに見守られて、繁栄してきた。アメリカは戦後、蒋介石政権を支持してきたが、中国が共産党政権になったために、日本を支配・支援してきた。
・日本の貿易相手が中華圏が約3割、アジア5割。対米貿易は12%。大半は穀物と航空機の輸入。
●無極化(全員参加型秩序)
・70億人が自己主張し、より豊かな生活を求め、動いている。昨年12月のCOPは何も決められずに10年先のばし。G20すら束ねられず、まさに全員参加型。
●これからの日本の立ち位置
2046年に行かずに日本の人口は一億人を割る。3000万減少するビジネスは大変である。まさに、日露戦争前後に戻り、元の木阿弥になる。しかも65歳以上が4割になるという危機感(日露戦争当時はあまりいなかった)。人口予測はよほどのことがない限り、このままになり、世界の人口は増え、日本はピークアウトしている。
山本義隆秋田明大
●金融肥大化産業国家としての米国
・金融資本主義の制御・空洞化からキャピタルフライト
・冷戦時は、軍需産業であったが、その後濡れ手で泡の金融モデルの出現。1980代LBOファンド、1990代ヘッジファンド、そして21世紀初頭のサブプライムローン」という犯罪に近い虚構の金融モデル。
・欧州の背後にも金融資本主義が進出。売りぬく資本主義で資本主義が変わる。まさにカジノ資本主義で金融が肥大化して制御できない状態。
●川上インフレ川下デフレ
・日本の構造矛盾。企業物価指数をみると、素材原料はリーマン後上昇しているが、最終財特に耐久消費財の価格が低下。より深刻な消費低迷
●分配の公正化の問題
・資産家の没落とサラリーマンのゆでガエル化と生活保護者の増加
ワーキングプア問題「200万以下の収入で働く人は労働人口6272万の30%に当たる2165万人」と生活保護需給世帯が最新で200万世帯を超える。この現実の中で不退転の覚悟で消費税を上げる政府の感覚に疑問。まず、企業が労働分配を引き上げるためにはどうするのかが重要ではないか。
●寺島さんのスタンス
マネーゲーム批判・間違った戦争イラク戦争・解説的教養主義でなくあるべき方向感を提示する政策科学へ。

 寺島さんはさすがに論客である。寺島批判を言う評論家もいるが、まず、政策科学論として論を張っている批判はない。批判や、反論は、政治家にみられるようにあげつらう傾向がある。わたしは、世界を見ながら論客を張る寺島さんはすごい方であると改めて思う。

<講演内容を再現すると>
 昨年はいったい何だったのだろうかと改めて年頭に考えると、日本は3・11に襲われて内なる危機に向き合っていることだけは間違いなくて、より深刻なのは危機が二重構造になっていて世界の状況が驚くほどの勢いで構造変化を起こしていることなのです。日本この二段重ねになっている危機に目が向かないか、適用障害を起こしているのだと思います。
その話に触れていこうと思うのですが、1951年のサンフランシスコ講和条約の頃、世界人口は25億だったのが、昨年の10月31日に70億人を超えました。私はこの数字にもの凄くこだわりがあり、今世紀を迎えた時に61億だった人口が、ついに70億人を超したのです。2050年には93億人になると予測されています。これは私の思考の回路だと思っていただきたいのですが、先程申し上げた1951年のサンフランシスコ講和条約の頃、日本の戦後を歩んで行く方向感が西側陣営の一翼を占める形で冷戦の時代に向き合っていく選択をした頃に世界の人口は25億でしたが、現在人口は70億人を超し、この70億人がうずくまっているわけではないから大変なのです。つまり、70億人がよりよい生活を求めて自己主張を強めより豊かな生活を求めてうごめき始めているのです。これが1951年の頃と決定的に違うところなのだと思います。
  昨年12月にCOP17が南アフリカで行なわれて、簡単に言えば、ルールづくりを10年先延ばしにしたのです。日本は、中国やアメリカが参加しないようなCO2の排出権を認めるかたちのルールづくりには参加しないと逃げたのです。しかし、日本の立ち位置がもの凄く中途半端なのはすっかりやめたと言っているだけではなくて、排出権取引である程度コミットメントしているプロジェクトなり仕事があるために半分やめ、半分足を乗せたままなのです。
 いずれにせよ、いま世界に何が起こっているのかというと、世界は先進国主導の多極化といった時代から、「極」というキーワードでは説明できなくなってきていて、無極化なのです。したがって、冷戦が終わって、東が崩れて西のチャンピオンとして冷戦を勝利に導いたアメリカ一極支配の時代がきたのは20年前の世界観なのです。しかし、ちょうど2011年はソ連が崩壊して20年、9・11から10年という年で、この10年間ですっかりパラダイムが変わってしまって、アメリカの一極支配という世界観は全く通用しなくなり、ついこの間まで世界は多極化しているという説明が世界観の根底にありました。例えば、先進国だけが束なってルールをつくれる時代ではなくなっていて、サミットが空洞化してきたと言われ始め、BRICsという言葉が盛んに使われて、ブラジル、ロシア、インド、中国の台頭で世界は多極化してきているという説明でなんとなく納得していました。しかし、あっという間に来たというのは「極」なんていう話では説明しきれませんというのが「無極化」なのです。G20でさえも束ねきれなくなり途上国も自己主張するようになった。まさに、全員参加型の秩序というのはそのような意味なのです。
 一昔前の価値観を引きずっている人からすると、世界は混沌(カオス)としてきていて、秩序形成が難しい時代が来たことで気持ちが滅入ってしまうのです。別の見方をすると本当の意味においてのグローバル化が始まっているのかもしれません。これはどのような意味なのかというと、アメリカの一極支配、アメリカ流資本主義の世界化、アメリカ流金融資本主義の世界への定着の流れをグローバル化という言葉で置き換えて使っていた時代よりも、いま我々が直面しかけている状況のほうが本当の意味においてのグローバル化なのかもしれないという気がするくらい、全員参加型に向かって世界は変わっているのです。
この全員参加型秩序はイメージとしてどこが違うのかというと、戦後65年間にアメリカという国にもの凄く影響されてきたためにアメリカを通じてしか世界を見ないというものの見方や考えた方を私自身も含めて我々日本人は、いつの間にか身につけてきてしまったのです。そのような傾向がある人間、つまり、二国間ゲームの中だけで国を展開してきたのです。外交といえば日米同盟を唯一の基軸として両足を突っ込んで生きてきたのです。冷戦の時代をアメリカに守られながら最少の防衛コストで生き延びたと言ってもよいと思いますが、そのような中で軽武装・経済国家として他の国から見ると、強かに冷戦を逆手にとって繁栄をつくり上げた国だと映っても不思議ではないと思います。
貿易といえば、かつて日米貿易が日本の貿易の4割を占めていた時代がありました。20年前、つまり、先程から申し上げている冷戦が終わった頃に、日本の貿易の27.4%がアメリカとの貿易だったのです。しかし、昨年1月〜11月の対米貿易の比重を見ると11.8%で限りなく1割に近い数字に迫ってきました。中国との貿易が20年前にわずか3.5%だったのが2割を超したところまできました。もたもたすると対中国貿易が対米貿易の倍になってしまうのです。日本は過剰に中国との貿易に依存している姿になってきていて、大中華圏、つまり、連結の中国で、中国、台湾、香港、シンガポールの華僑圏の中国と本土の中国の連結の中国の捉え方が大中華圏だということをこの番組でも何度か触れてきましたが、日本の貿易の3割は、良い悪いは別にして事実、大中華圏との貿易になっています。アジアとの貿易が5割を超して、この構造が頭の中に日本の経済を意識する時に叩きこまれていなければならない数字のひとつなのです。
 2007年に対中貿易が対米貿易を超していったあたりから日本の生業が変わってしまいました。いま日本がアメリカから買っている主力品目は、穀物と航空機で、たとえばボーイングです。もしも、この先日本が、「さて、日本はどうするのか?」という議論のひとつとして、穀物と航空機の輸入を考えてみる時、次のようなことが考えられます。例えば、いまカロリーベースで4割の食糧自給率を6割にもっていくと言っています。それを実現するために、国内の農耕放棄地に雑穀をつくって鶏に食べさせて卵とブロイラーの自給率を高める戦略を本気でやり始めたら、これはどのような意味かというと、卵の自給率はカロリーベースわずか9%で、重量ベースでは95%我々が食べている卵は国産品です。しかし、卵を産む鶏が食べる餌を多くアメリカからの穀物輸入に頼っているためにカロリーベースでの卵の自給率がわずか9%でブロイラーもほぼ同じです。数字の魔術なのですが、日本の食糧自給率をドラマティックに変える気ならば穀物を雑穀でもなんでもよいので日本の農耕放棄地を作る仕組みで、例えば、東北復興のひとつの目玉として農業生産法人で農耕放棄地に立ち向かって穀物を作り、岩手県宮城県等の養鶏業の人たちが回転させていく流れをつくったならば、この数字は更にドラマティックに変わっていくはずです。何故ならば輸入品目の主力が穀物だからです。
 もうひとつは、ボーイングのジェット旅客機で、これも三菱重工等が軸になって行なっているMRJ=Mitsubishi Regional Jetで中型ジェット旅客機の国産プロジェクト等を成功させて、LCC=ローコスト・キャリアがいよいよ日本でも動き始める、安売り運賃で航空する航空機を日本がつくった航空機によって支えていくメカニズムを稼働させたならば、対米貿易比重の数字は間違いなく1割を割っていくトレンドの中にあるのです。
日本はそのような脈絡の中で立ち位置を考えなければならない状況になっています。日本の人口は2007年にピークアウトして、昨年3・11で2万人近くの人たちが亡くなったために、この話は加速化してきているということになります。2046年には1億人を割ると言われていますが、おそらく2046年を待たずに1億を割ると思います。つまり、これをどのように考えるのかというかと、1966年に1億人を超えた時から、私も今日の年まで生きてきましたが、ここに集まっていらっしゃる皆さんがひとりの例外もなく、過去30年、45年と振り返って頂いて日本の人口が3千万人増えた事を前提にして成り立ったビジネスモデルで飯を食ってきたのです。しかし、あと35年でその3千万人が減って、また1億人を割るところに戻るのです。つまり、日本の国内ということで考えた時に、戦略論としては3千万人増えた事を前提にして成り立ったビジネスモデルを、3千万人減る事を視界に入れて切り替えるのはもの凄く難しいことなのです。
 2100年には4,771万人に収斂しているだろうと、厚生労働省の中位予測で予測されていて、「中位」というのは、穏便な予測で過激な予測ではありません。日本の人口が4,770万人くらいだったのはいつ頃だったのかというと、1907年です。年末にNHKで放送されたドラマ『坂の上の雲』の日露戦争の2年後が1907年で、あの頃4,770万人だったのかということは、この国は元の木阿弥になるのだということです。「日本の人口は」という問題意識が凄く重要で、しかも、いま65歳以上の人口比重が2割を超した状況で、2050年には39.6%になるといわれています。ここで、ボトムラインとして経営の立場にある人であろうがなかろうが、頭に叩き込んでおかなければならないのは、日本の人口が1億を割る2046年の状況を目指して視界に入れた時に、人口の内部構造の4割が65歳以上の人で占められるだろうということなのです。これは大変な話で、戦後間もなくの頃は65歳以上の人口比重はわずか10%もなかったのです。エコノミストの経済予測は当たるも八卦ですが、人口予測だけはよほどの変更要素を働かせない限り当たります。この変更要素とは何かというと、極端な移民政策の転換等、よっぽどのことを行なわないとこの数字は来ます。我々の感覚は凄く難しくて、世界人口は爆発的に増えている認識と、日本の人口はピークアウトして急速に減り始めていることを両眼で睨んで、戦略やビジネスモデル等を考えなければならなくなってきています。
 この段階で申し上げておきたいことは、この20年間で日本は分配構造が根底から構造的に変わったのだということで、いま税と社会保障の一体改革だとかで興奮して野田首相が言っていますが、この事の背景にある構造をどのように認識しておくのかというために、お話を始めようと思います。
一国の首相がネバー、ネバー、ネバー、ネバーと4回繰り返して、ネバーギブアップで税金を上げてみせると力んでいる国は世界広しと言えども日本しかありません。何故、これがとんちんかんでおかしいことに気がつかないのかというと、税金を上げることが国家の目標になってしまっていて、例えば、大学の学長として新年方針として大学の関係者に出しますが、その中で今年は多摩大学で、ネバー、ネバーギブアップで授業料の引き上げに立ち向かいたいと言ったならば、「この人はおかしいのではないのか?」と思うはずです。つまり、入るを量って出ずるを制するというのが財政のバランスをとることなのですが、野田首相が会社でいえば財務経理の担当者、国家であれば財務省の意向を受けて、この会社は立ちいかなくなっていて、入るを量らなければなりませんと言われて、その話にこだわっているからそのような話になっていくのです。経営者ならば営業部の話も聞き、経営企画部の話も聞き、財務・経理部隊が上げてくる危機感に対してバランス良く、ここを今年の攻め筋にしようではないかということで、政策方針とビジョン、目標があって、その手段としてギリギリ製品価格を上げなければならないとか、事業力を上げなければならないという話がくるならば、まだ理解できるけれども、この国の最大の目標が税金を上げることだという信念、年頭の辞を語っているところに異様なものを感じるのです。競争という概念がないためにそのようなことが言えるのだと思います。
 例えば、大学で授業料を上げてみせると言って力んでも、そのような大学には行きたくないという人ばかりになったのならば誰も来なくなってしまいます。クローズド・サークルの中で日本が考えているためにこのようなことを呑気に言えるのです。しかし、本当に世界に目を開いているのならばこのようなことは簡単に言えないことに気がつくはずです。
昨年、日本の経済人が一番気にしたキーワードが「空洞化」です。空洞化は日本のものつくり産業を中心に円高圧力で競争力を失って海外に生産立地をしたほうがいのかということで急速に海外へと生産シフトしていく流れで日本経済が空洞化してしまうのではないのかと空洞化論が賑やかでした。
今年、私は予言しておきますが、実態として既に進行し始めていることなのですが、キャピタル・フライト=capital flight(資本の海外流出)が恐ろしいまでに進行すると思います。それは何故かというと、日本の1,400兆円の個人金融資産を持っている人たちは、本気でキャピタル・フライトを考え始めています。要するに、こんなに息苦しいこのような国に資産をおいても仕方がないという気持ちになってきているために、安易に税金を上げることが問題解決だというのですが、私は消費税の増税に反対でもなんでもなくてOECDの平均消費税が17.3%で税体系をそのような方向に持っていくいことにはそれほど抵抗感も違和感もありません。しかし、いまそれは違うだろうと言いたいのです。手段の議論を全面に持ち出して、このような国をつくりたいと思うからついてきて欲しいという話は一向に見えなくて、とにかく税金を上げて財政均衡に持っていきたいということだけが政治の目標になっているのです。
 私の自己意識として自分は政策科学をやっている人間なのだと思っています。政局などに関わる気持ちは一切ありませんが、政策科学、社会科学をやっている人間として現状の解説とか解析ではなくて、あるべき時代の方向感について発言しなければならない役割意識を持っています。この国がどうあるべきなのかというところがポイントで、その辺りに例えば、佐高信さんや西部邁さんが漂わせているただならぬ空気は、彼らなりの問題意識と怒りのようなものが見えてきているために皆さんに彼らの話を聞いて欲しかったのです。
いずれにしても、今年も10月からまた新しい発信力のある人たちを招きこんで第3期の文庫リレー塾をやってみたいと私自身は思っています。