『内部被曝の真実』 (幻冬舎新書・児玉龍彦著)から。

児玉龍彦さんは、東京大学アイソトープ総合センター長(放射線の除染などに数十年関わっている専門家)であり、昨年7月27日衆議院厚生労働委員会放射線の健康への影響」に参考人として呼ばれ、「7万人が自宅を離れてさまよっているときに、国会は一体、何をやっているのですか!」と、「火を吐くような気迫」(2011/8/1東京新聞社説の表現)で意見を申し立てた人である。気骨があり、良心的で、しかも、自ら現地にでかけて除染活動を支援する行動的な学者でもある。この本はその衆議院厚生労働委員会での発言・質疑応答が元となっている。ほとんどはそれをまとめたものであり、同じ話は何度も出てくるが、科学者として、真実を述べており、国民に警鐘をしている。
 ほとんど何も知らず、知識のない状態で読み始めたが、感心させられることの連続であった。例えば、驚いたのは「内部被曝」というのが「何ミリシーベルトという形で言われているが、これには意味がない。なぜならヨウ素131は甲状腺に集まる。トロトラストは肝臓に集まる。セシウムは膀胱に集まる、とそれぞれ集まり害を及ぼす箇所がちがう」からだ。だから、放射性物質量をはかるとしても全身をスキャンしても意味が無い。集積点をはかることによって甲状腺がんの危険性があるのか、肝臓がんや白血病につながるのかということが初めてわかる。また疫学的に「原発」と「ガン」の関係を図る為には20年必要だ、という話が衝撃的。そして、統計学的に有意なことを確認するためにはその前よりも現在、ガン発症率が高くなっていることを求めるのが難しいことにある。ようするに事故前のデータがないと、今増えているのかどうかわからなく、増えているのがわかるのが、20年たってピークが消えた、因果関係がある、という事実である。国策として、福島第一原発周辺における放射線の測定と除染を行うことを提唱した。
 児玉さんは、1986年のチェルノブイリ事故の際多くみられた小児甲状腺がんにからこのように指摘する。
●性質が特徴的である小児の甲状腺がんといっても、ウシとヒトの2段階の生物学的濃縮と、2段階の遺伝子変化を経て発症までには長い時間がかかっている。こうした場合に数万人集めて検診を行なっても、なかなか因果関係を証明できない。エビデンスが得られるのは20年経って全経過を観測できてからである。これでは患者の役には立たない(本書p83)。今や周知である、チェルノブイリ事故による小児甲状腺がんの増加について、統計的に因果関係を証明するというエビデンスを得るのに20年もかかったというのである。そして「これでは患者の役には立たない」と児玉さんは主張するのである。
エビデンスがないということは問題がないということではない。本書の中で、児玉さんは、長崎大学名誉教授長瀧重信氏の次のような主張を引用している。「国際機関で“因果関係があると結論するにはデータが不十分である”という表現は、科学的には放射線に起因するとは認められないということである。ただし、科学的に認められないということは、あくまで認められないということで、起因しないと結論しているわけではない。(長瀧重信「私の視点 被爆者援護法 科学の限界ふまえ改正せよ」 朝日新聞2009年8月2日号 本書p84より引用)」
●それでは、病気が実際に起こっている段階で、医療従事者はどのように健康被害を発見したらいいのか。ここで、普通で起こりえない、「肺転移を伴った甲状腺がんが小児に次から次へとみられた」という極端な、いわば終末型の変化を実感することが極めて重要になってくる。軽微な変化を多数みるのではなく、極端な現象に注意するということが警報として最も大事であろう(本書p83〜84)
津波被災予測問題をとりあげ「専門家とは、歴史と世界を知り、本当の危機が顕在化する前にそれを防ぐ知恵を教える人でなければならない」(本書p114〜115)という。他方で、「福島にとどまって住まざるをえない人々がいる以上、その人たちのためにどのような対応を急ぐべきかが重要だ。危険だ、危険だとばかり言っていてもしかたがないのではないか。」(本書p59)という質問に対して、このように答えている。危険なことがあったら、これは本当に危険だから、苦労があっても何でもやっていこうと国民に伝えるのが専門家です。みんなが専門家に聞きたいのは、何も政治家みたいに折り合いをつけることじゃない。危険を危険だとはっきり言うのが専門家なのです。今までの原子力学会や原子力政策のすべての失敗は、専門家が専門家の矜持を捨てたことにあります。国民に本当のことを言う前に政治家になってしまった。経済人になってしまった。これの反省なくしては、われわれ東京大学も再生はありえないし、日本の科学者の再生もありえないと思っています。(本書p61)
●危険を最大限防ぐために警告するーそれこそが専門家に求められていることと児玉さんはいう。そして、そのような専門家の矜持を捨てたことが、原子力学会・原子力政策の失敗の原因であると児玉さんは指摘するのである。そして、児玉さんは、政治・行政については、国会でこのように要望している。私が一番申し上げたいのはですね、住民が戻る気になるのは、行政なり何なりが一生懸命測定して、除染している地域です。測定も除染もなければ、「安全だ」「不安だ」と言われても、信頼できるところがありません。ですから、「この数値が安全」「この数値がどう」ということではなしに、行政が仕組みを作って一生懸命測定をして、その測定に最新鋭の機械を投じて、除染に最新鋭の技術をもって、全力でやっている自治体が、一番戻るのに安心だと思います(本書p35)。そして、単純に被曝からがん発症まで20〜30年、肝臓害の場合かかるということもある。放射線はDNAの切断を引き起こす。子供や妊婦が危ないと言われるのは、成長するために活発的にDNAは分裂しており、その時DNAは一番切れやすい状態だからだ。遺伝子がひとつ変質しただけではがんにならないが、これが10年から30年の時をかけて癌化していく、ということらしい。
放射線も同心円状に広がっていくのだと考えていたのだがそれも間違いだとわかった。たとえば30キロ圏内の子供たちはスクールバスで移動し区域外の学校に通っているが、むしろ移動した先の方こそ放射線量が高い状況が今もある。これは海側だと線量が低いなどの理由があるようだ。
最後に著者の主張をまとめると以下の四点になる。
1.食品、土壌、水を「流れ作業的に」測定していく。
2.現状にあった新しい法律の制定。
3.汚染土壌を除染するために、民間の技術を結集させる。
4.何十兆円という莫大な負担を背負い除染する準備を始めよ。
4については、朝日新聞のいうように年間1mSvの放射線も除去しようとすれば、80兆円ぐらいかかるだろうが、国の一般会計は92兆円。そんな巨額の負担を「国策として負う」ことはできないであろう。ましてや、今の政府ではとても実現可能とは思えないが、何らかの手を打たないといけないのは事実であろう。「わからないときは安全側に立つべき」だから早く除染を始めろということが重要である。
 さらに、間近で放射能を扱ってきていた人の生の言葉だけあり危機感に溢れている。一方で質疑応答の際に「ある程度の放射線は健康にいい」という説があるが本当か? なんていうアホな質問をする議員がいたことには驚いた。そして、彼は、国策として、福島第一原発周辺における放射線の測定と除染を行うことを提唱した。広島の原爆、長崎の原爆、そして第五福留丸事件と原子力の恐ろしさを体験してきた日本人、そして今回の原発事故と悲惨な経験を余儀なくされている日本人。今どう向き合い、立ちあがっていくべきか。まして、世界に類を見ない人口減少社会で60年後現役世代1人に高齢者1人を支える社会になるにも関わらず、我々は後世の世代にどうしていくべきか。