『大災害の経済学』(林敏彦著PHP新書)から 自分には何ができるだろうか。

東日本大震災からまもなく1年を迎えようとしている。まだまだ復興には程遠い。原発も解決していない。政治もあまり動いてないように見えますし、復興のための具体策もなかなか進んでいません。ようやく復興庁ができたけど、、、、。大災害から復興に向けて示唆に富む本である。
 大災害への対応を定めている「災害対策基本法」には、大きく2つの原則がある。ひとつは、災害対応では被災自治体(市区町村)が第一義的に責任を持ち、その自治体の資源の限界を超える災害にあたっては、順次上位の自治体や国に調整を求めるという「補完性」の原則であり、もうひとつは「現物支給」の原則である。避難場所への物資の供給、医療サービスの提供、仮設住宅や復興公共住宅の建設などは、この現物支給の原則にのっとって行われる。(14p)
 復興構想会議の答申はあくまでも「補完性」の原則にこだわったもので、被災自治体からのボトムアップ方式に頼ったものです。しかし、「被害の大きさからすると自治体からのボトムアップ方式は機能しないと想像される」(14p)と著者が述べるように、役所の昨日の大部分を失った自治体も多い中で、この「補完性」の原則へのこだわりは復興のスピードを大きく減じることになるでしょう。
 また、著者は「現物支給」の原則にも疑問を呈しています。特に日本政府は「私有財産非保障」の原則にもとづき、阪神・淡路大震災などでは住宅を失った被災者の公的支援などを行うことはありませんでした。しかし、著者が指摘しているように農地が被害を受けたときには、私有地である農地や農道の再整備には公的支援が行われています(阪神・淡路大震災後、被災者生活再建支援法がつくられ、公的支援が可能になった)。
 今回の東日本大震災からの復興のポイントの一つとして、著者は「人的資本の回復」をあげていますが、まさにこれは現物支給だけでは何ともならないものです。東日本大震災の復興計画の中には、人的資本の回復を大きな目標に掲げてほしい。具体的には、被災した家族や学生に対するあらゆる就学援助や奨学金、国内外から被災地の復興に集積する人々へのあらゆる支援、被災地の人口回復へ向けたあらゆる努力を計画の柱に据えてほしい。(271ー272p)
 著者の訴えるこの様な政策を行うためには柔軟な公的資金の投入が必要です。しかし、阪神・淡路大震災ではこのような個人へ公的支援を行うための思い切った対策は取られずに、復興基金を活用することでようやく一歩踏み込んだ事業を行うことができるようになりました。著者はこの復興基金を「マネーロンダリングの仕組み」と評していますが、この様な手続きを経ることでようやく被災者個人の資産形成につながるということで今まで避けられていた住宅購入への利子補給などの政策が可能になったのです。
 行政がこのような原則にとらわれるのはある意味仕方のないことです。根拠法がない限り、官僚が今までにない措置を打ち出すことは困難です。けれでも、「(根拠法が)なければつくればよい。それが立法府の役割である」(16p)と著者が言うように、これらは立法府が動けば可能なことです。この本では9.11テロにおけるアメリカ議会の思い切った立法措置についても触れられていますが、それに比べると今の日本の国会の動きは鈍すぎると言わざるを得ません。「大災害のような緊急事態では、平時の常識を超えた「異例な」対応が必要になるが、それを実現できるのは政治あるいは立法府だけ」(27p)なのです。
 また、国が行う復旧事業とはあくまでも「原形復旧」という原則が適用され、被災直前の元の姿に戻すことが基本となります。 しかし、インフラが復活すればそのまま経済や人々の生活が元に戻るわけではありません。この本の183p以下で述べられているように兵庫県の失業率は統計の始まった1997年から全国平均を上回り続け、兵庫県の失業率が全国平均に一致するのはようやく2009年になってからでした。この他にも神戸では第3次産業への産業構造の転換が遅れたことなども著者によって指摘されています。このような「復旧」の考え方に対して著者は次のように述べています。
 しかし元の姿に戻すことは不可能であり、意味もない。失われた人名や、生活や文化や産業活動は、たとえ土木施設が元に戻ったとしても帰ってこない。残された人々にできることは、失われた犠牲の上に勇を鼓して、新しい生活、新しい地域、新しい歴史をつくっていくことでしかない。(15p) この本を読むと、今、東日本大震災からの「復興」に必要なのは、今までの行政の原則を政治の力で思い切って変えていくことだと強く感じます。 著者の提案する具体的な復興政策の中には、今の状況の中では実現可能性に疑問符のつくものもありますが(被災地への首都機能の移転や阪神・淡路大震災の時に打ち出されたポートアイランドの免税島構想など)、そうした今までの常識を打ち破るような政治の力が求められているのは事実でしょう。

 この本を読み、また3.11が近づくにつれ、やはりきになってくるのは陸前高田市である。昨年4月末に被災地支援でお邪魔した陸前高田の最近の様子が気にかかる。立場をかえてこれからも何らかの形で協力できればと考えている。でも今自分になにができるだろうか。

● そういえば、旧暦の2月16日は、西行法師が亡なった日とされています。NHK大河ドラマ平清盛」では、名門の流れを汲む北面の武士、佐藤義清 として登場しています。先日の放映では、大河ドラマでは、白河院の愛妾にして鳥羽院中宮であった待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうこ)との出会いが、意味深に描かれていました。彼女との逢瀬と別れが、彼の出家の理由とも言われています。元々は、美男の武士として北面の武士を務め、清盛より優秀であったようにドラマ化されていますが、出家して西行を名乗りました。これからの清盛の成り上がりと義清(西行)の世捨て人生が対比して描かれるのだろう。「願わくば、花の下にて春死なむ、その如月の望月の頃」これは、有名な西行の俳句ですが、この「如月の望月の頃」が、今の時期に当たります。まさに、西行は望んだ日に亡くなっていることに驚きましたが、そう考えると、今までこの句の花は「桜」だと思い込んでいたのですが、ひょっとしたら「梅」なのかもしれません。いつの時代も、自分の人生に何を求め、何に価値を見いだして行くのか、その人の生き方が問われます。でも、その後の二人の人生、源頼朝の人生も含め、諸行無常のはかなさがあります。所詮人の一生なんてこんなものなのでしょうか。春の夢のごとしでしょうか、でも、自分は抵抗し、夢をみながら生きてみたいもです。

おとなり日記(2月12日『山居散見・・・行き詰まった近代文明』から

 東日本大震災
 テレビの画面に映し出される被災地の様子を見ながら、胸のふさがれる思いで暮らしている。被災からはや6日。昨日(16日)から寒波が被災地を覆っている。
 大津波に飲み込まれた陸前高田市や大船渡市、釜石市は、私の生活する花巻市大迫からクルマで1時間ほどの距離だ。3月11日午後2時過ぎ、震度5強に見舞われた当地も、まもなく停電、断水、やがて携帯電話も不通となり、ろうそくの光とラジオという、60余年前まで体験していた生活を余儀なくされた。当時と決定的に異なるのは、すべてが〈電気〉の恩恵のもとにあるということだ。電気がなければ暖房器具が働かない。ご飯を炊くのも電気の恩恵。常時、1トンの浄水を蓄えているタンクも、停電後は給水しなくなった。停電モードに切り替えて、しばらくは水の不自由はなかったが、地震で水源地が壊れたということで断水となった。困ったのはトイレの水…。流す水がないのだ。
 近代文明は〈囲炉裏の火〉や〈井戸の水〉を捨てた。