「われ何をなすべきか」と考える日々

 この言葉は、本日の週刊松下幸之助ニュースの言葉である。それを引用すると、次のように書いてあった。『自省の強い人は、自分というものをよく知っている。すなわち、自分で自分をよくみつめているのである。ぼくはこれを“自己観照(かんしよう)”と呼んでいる。
 自省の強い人は、自分というものをよく知っている。すなわち、自分で自分をよくみつめているのである。ぼくはこれを“自己観照”と呼んでいるけれども、自分の心を一ぺん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが、素直に私心なく理解できるわけである。
 こういう人には、過ちが非常に少ない。自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うのである。そうした上に立って、“われ何をなすべきか”を考えるのだから、その人の行動に過ちの少ないのは、いわば当然のことなのであろう。人間の心の働きというものは、今も昔も、そうたいして変わっていないようである。戦国時代の武将たちの興亡の歴史をふり返ってみても、この自己観照ができている武将と、そうでない人たちとの違いが、そのまま浮沈につながっていることが多く、まことに興味深いものがある。
 また、たとえばヒットラーにしても、彼はドイツ一国の再興をはかり、その経営を行う上においては、まことにすぐれた一面をもった人物であったと思うのだが、この彼がドイツ一国から、すすんで欧州全体の経営にまで乗り出そうとしたとき、彼の心にはすでに自己観照の態度が失われていたのではないかと思う。そこに彼自身の破滅があったし、ドイツ国民の悲劇もあったといえるのではなかろうか。(『松風』昭和39年2月号より)』
 自分自身が弱気になるとついついでそうなことばである。或いは、迷っている時にでそうな言葉である。でも、常に自らを鼓舞し、奮い立たせ、人生を歩んできた。多分これからも歩んでいくのであろう。そのとき、自分をどう見つめなおすかが重要である。
仕事に行き詰まり、自分の思うように仕事が進まないとそんなことを考えてしまうものである。集中力も歳のせいかなくなってきたかもしれない。

 書籍が沢山流通していることもあり、一度よみたいと思うときに、図書館から借りて読んでみるか、或いは書評をみて、書店で立ち読みしてから本を買うようにしている。人によっては、自己啓発で購入する人がもいる。確かに以前の自分もそうであった。本だけが書斎にたまり、読まずに、同じ本を買ってしまうこともしばしば。いかに、時間的にも、金銭的にも無駄をしてきた。自分の考え方や生き方のバイブルになる本は少ないし、また必要なところは情報ストックに記載してある。最近の情報ストックは『成毛眞スティーブ・ジョブズ超解釈』である。成毛眞さんは読書家であり、様々な書評を書いている人である。その方が書いた最近話題のスティーブ・ジョブズである。まとめてみると次のようなポイントになるかな?
【ポイント】
1.勝とうが負けようがサイコロを振る
サイコロを振らなければ、勝ちも負けも起こらない。ところが、最近サイコロも振れないほどに負けを恐れる大人が多すぎる。そういう人は、何も問題が起こらない代わりに、何も起こせない人なのである。つまり無難な大人なのだ。これは非常につまらない。
 一方で人生を楽しく生きている子どものような大人というのは、サイコロを振ることだけを楽しんでいる人たちだ。勝とうが負けようが、とにかく振りたいのである。そういう人たちは、勝負したい願望があるために、負けても這い上がって振りに来るし、勝っても勝ち逃げせずに、ずっと周りとゲームを楽しむ。これが人生を楽しむということだし、私が誰よりも仕事をいっしょにしたいと思う人材だ。
2.変化に積極的になる
 今はグルーポンができた次の日に、世界中でグルーポンと同じ会社が乱立する時代だ。つまり、1つのビジネスの賞味期限が限りなく短くなって、高速回転していく時代なのだ。その時代にあって必要な人材とは、リスクをとれる人、換言すれば、変化に積極的であれる人である。そうした人たちこそ、今まさに求められている存在だ。景気からすれば逆境的とも言えるこの時代を生き抜けるのは、リスクをとってハメを外して生きていく知的野蛮人たちなのである。
3.会社だけの人にならない
 かく言う私も、大して稼ぎがない時代から、部屋が狭くなるほどの量の本を読みあさり、話しだすと止まらなくなるほど歌舞伎にハマリ、重みで床が抜けそうになるほどのジャズレコードを集めた。そしてそのうち、本が私にとってかけがえのない仕事になった。会社だけの人になるなんて、仮にどれだけお金を持って勝ち組呼ばわりされていてもつまらない人生だ。どんなものでもいい、とにかく興味の向くものには積極的に手を伸ばしてみることだ。そしてそれを楽しみ、そこで自分の人生を創ってゆくといい。
4.20代で大量の仕事をこなしておく
 たとえば、水に一定量の熱をずっと加えつづけていれば、させる気がなくても勝手に沸騰する。仕事というのもこれに似ていて、20代のうちというのはたとえ結果が出なくてもとにかくずっと仕事をしつづけてさえいれば、30代になると、自動的に沸点を迎えるのだ。複雑で体系化不可能なものも、量をこなしていくことで要領を得ていく。そのために必要な時間が、25歳からの10年間なのだ。 きちんと25〜35歳で量をこなしておくと35〜45歳で仕事を「さばく」ことを覚えるようになる。私は現役時代に「小指で動かす」と表現していたが、とにかく若い頃は両手に渾身の力を込めて、脚をふんばり、それこそ火事場の馬鹿力でようやく乗り切っていたことが、小指でできるような感覚になるのである。
5.知的能力の成長曲線を見極める
 子どもっぽい発言をしている人は、まだ成長曲線で言えばピークの手前におり、大人っぽい人はピークを終えて下降している、あるいはよくて平行線どまりなのだ。そういった意味では、18歳時点でピークを迎えた東大生よりも、18歳で筋トレ中の三流大学生のほうがよい結果を出す場合も十分あり得る。よって経営者としては、履歴書の学歴なんて信じず、その人の成長曲線がどんなものか、どんな放物線を描いているのかが見えないといけない。それに、経営者でなくとも、自分が大人の段階なのか、子どもの段階なのかを客観的に知っておくことは、キャリアの助けになるだろう。
6.良い文章を自分で写す
 さて、上手い文章というのはどうやって書くものなのか。ここで間違ってはいけないのは、文章教室などに通ってしまうことだ。あんなものに高い金を払う必要はない。もっと手っ取り早い方法がある。それは、よい文章を自分で写してみることだ。
7.「好きになれる」が一番の才能
 では、真の才能とはどのようなことを指すのだろうか。答えは意外なほど簡単だ。それは、「好きになれる」ということ、ようは物事を「寝食を忘れて夢中になれる」ということが才能なのである。こうした人間は、時に他人から見て異常だと思われるほど集中する。そんな彼らを見てあきれる人もいるだろう。しかし、彼らは自らの義務感や責任感以上に、ただ単に「好き」でやっている。はたから見ると並々ならぬ努力をしているように見えるが、本人にとっては苦労でも何でもない。夢中だからだ。
 といえるが、自分はどちらかといえば会社人間であり、もう少し幅広く遊び心のある人間になれたらいいと反省している。反省だけなら、サルでもできるといわれれるかもしれないが、、、、、。