『指導者の条件』(松下幸之助著) から

 2011年3月11日、あの東日本大震災から1年近くが経とうとしていますが、国内に噴出するさまざまな問題を力強く解決していくリーダーが、いま必要とされている。経営者・指導者・リーダーにとって最も大事なことはなにか――それは「最高の熱意」であると、松下幸之助さんは述べている。「熱意こそものごとをなしとげるいちばんの要諦」「なんとなくやりたい、という程度では事はなるものではない。なんとしてもこれをやりとげようという熱意があってはじめて知恵も湧き、工夫も生まれてくるのである」というのが、松下幸之助さんの体験から生まれた信念でした。
 そして、とくに指導者は「熱意に関してはだれにも負けないものを持たなくてはならない。知識なり、才能なりにおいては人に劣ってもよいが、熱意については最高でなければならない。指導者に、ぜひともこれをやりたいという強い熱意があれば、それは必ず人を動かすだろう。そしてその熱意に感じて、知恵ある人は知恵を、才能ある人は才能をといったように、それぞれの人が自分の持てるものを提供してくれるだろう。指導者は才能なきことを憂うる必要はないが、熱意なきことを恐れなくてはならない」と説いている。管理職になって初めてこの言葉に遭遇した。
 松下幸之助さんの人生哲学は、「素直な心」「自己観照」「対立と調和」「衆知を集める」といった独特のキーワードによって「骨格」が形成されているが、この「熱意」という使い古された言葉も、まず、最初の言葉であり、重視すべき。「時」と「場合」と「場所」と「相手」によって、話すポイントやキーワードが変わるため、「熱意」の部分は異なった表現をすることがあつ。たとえば、リーダーにとって最も大事なことについても、自著『指導者の条件』では「熱意」とはまた違う条件を挙げ、その重要性を強調。「私が最近お会いする機会があった人びとの中にも、指導者としてすぐれた成果をあげておられる人が何人かおられた。その中には企業の経営者もあれば、団体の指導者の立場にある人もある。いずれも、その業績も立派であり、また人柄もまことに好もしいという人ばかりである。その人びとが指導者として―――共通して強く感じられることがある。それは、どの人もまことに謙虚であるということである。そして、きわめて感謝の念にあつい人でもある」そしてさらに、そうしたすぐれた経営者はその会社なり団体の最高指導者でありながら、
「いちばん謙虚で、だれよりも感謝の心が強いように思われる」と書き記している。なぜ経営者・リーダーに「謙虚さ」と「感謝の心」が必要なのか。それは、その人が好感を持たれ、ひいては「衆知を集めることができる」=「多く人びとの知恵を集めることができる」からだと、松下幸之助はいう。このようにリーダーの条件とは、考えようによっては、「無限」にあるものなのかもしれません。その中をかつての封建社会の武将にみることができる。
◇祈る思い――指導者には何ものかに祈るというほどの真剣な思いが必要である
 江戸時代、いわゆる寛政の改革を行なった松平定信は、老中に就任した翌年の正月二日、吉祥院歓喜天に次のような趣旨の願文を納めたという。
「今年は米の出まわりがよく、高値にならず、庶民が難儀をせずにおだやかに暮らせるよう、私はもちろん、妻子の一命にもかけて必死に心願します。もしこの心願が筋ちがいで、庶民が困窮するというのであれば、今のうちに私が死ぬようにお願いします」
 さらに彼は、日々七、八度東照宮を念じてこの重責を全うできるよう祈ったと、自分の伝記に書いているという。定信の前のいわゆる田沼時代には、天災と放漫財政、わいろ政治が重なり、綱紀も乱れ、物価も上がるという状態になっていた。彼はこれを正すために、政治の抜本的改革を行なうべく心に期するわけだが、それについては、このように身命を賭して神仏に祈るというほどの、きわめて強い決意をもって臨んだのである。その結果、いわば時の勢いとして独り定信の力をもってしてはいかんともしがたい面はあったものの、一面非常な成果もあがり、徳川後期に一つの光輝をそえることになったのである。
 みずから何もせずして、ただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。また、そんな都合のよいご利益というものはあり得ないだろう。
 しかし、人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思う時、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起こってくるのではないだろうか。それは神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うということもあると思う。そういうことは、一つの真剣さのあらわれであり、またそのことによってみずからの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。
 まして、指導者の場合は、それが単に自分個人のためでなく、定信の場合のように、天下万民のため、多くの人びとの幸せのための祈りであり、それはまことに尊いことであるといえよう。 指導者は何ごとにもほんとうに真剣にあたることが大切であるが、その際に、祈るほどの思いになっているかどうか、一度自問自答してみることも必要ではないかと思う。
◇最後まで諦めない――指導者は最後の最後まで志を失ってはならない
 関ヶ原の合戦に敗れた石田三成が捕えられ、家康のところへ送られてきた。その時に家康の家臣本多正純が三成に、「戦に負けたのに、自害もせずに、おめおめと捕えられてくるなどとは、武将の心がまえに欠けるではないか」といった。すると三成は、「人手にかからないように切腹するというのは、雑兵のすることだ。ほんとうの大将は軽々に命を捨てずに最後まで諦めず再起をはかるものだ」と答えたという。あるいは、斬首の直前に柿をすすめられ、体に毒だからとことわったところ、みなが笑ったので、「大義を思う者は首を切られる直前までも命を大事にして、本望を達することを心がけるものだ」といったともいわれている。
 三成が家康を相手に戦を起こしたこと、またその戦いの進め方などについては、昔から是非いろいろに論ぜられているようである。しかしこのように最後の最後まで諦めたり志を捨てることのない態度には、非常に学ぶべきものがあるように思う。三成自身も正純にいっているのだが、その昔伊豆に平家打倒の兵を起こした源頼朝は、緒戦に惨敗し、一命も危ういところを朽木の洞穴に身をひそめて、辛うじて難をのがれ、のち再び兵を挙げて今度は首尾よく天下をとったのである。もし最初の敗戦に「もはやこれまでだ、名もなき者の手に捕われるより……」などと考えて切腹していたら、のちの彼はあり得なかったわけである。
 だから何ごとによらず、志を立てて事を始めたら、少々うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、ほんとうにものごとをなしとげていくことはできない。世の中はつねに変化し、流動しているものである。ひとたびは失敗し、志を得なくても、それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、周囲の情勢が有利に転換して、新たな道がひらけてくるということもあろう。世にいう失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。
 もちろん、ただいたずらに一つのことに頑迷に固執するということではいけない。あくまで変化に応じ得る柔軟性というものも一面きわめて大切なのはいうまでもない。しかし、ひとたび大義名分を立て、志を持って事にあたる以上、指導者は、一パーセントでも可能性が残っているかぎり、最後の最後まで諦めてはいけないと思う。
◇衆知を集める――指導者はつねに人の意見に耳を傾けなくてはならない
 信玄在世中は諸国に恐れられた武田氏も、勝頼の代になって、文字通り跡かたもなく滅びてしまった。その武田氏の滅亡を決定的にしたのは、何といっても信長、家康の連合軍を相手に大敗を喫した長篠の合戦である。
 この時、信玄以来の名将といわれるような武田方の老臣たちは、戦いの不利なことを説いて、勝頼になんとか合戦を思い止まらせようとした。しかし勝頼はそれを聞き入れず、最後は家伝来の家宝、源氏の白旗と楯無のよろいかぶとに対して戦いの誓いを立ててしまった。この御旗楯無に対する誓いは絶対で、だれも口出しを許されない。いわば問答無用というわけである。
 そして合戦に入った結果、戦いは一方的で、譜代の名将もみな討死、勝頼は辛うじて身をもってのがれたのであったが、これを機に武田家は急速に滅亡に向かうのである。
 勝頼は一面、父信玄以上の勇将で、個々の戦いにおいては、非常な戦果をあげたことも少なくなかったという。それにもかかわらず、ああした悲惨な最期になったのは、彼が自説に固執し、家臣たちの意見を聞かなかったからではないだろうか。もちろん、戦いの相手の信長も、かつては老臣たちの意見を無視して、今川義元に勝利した経験を持っている。しかし、絶体絶命の境地から死中に活を求めた信長の場合と、みずから戦いを求めていった勝頼の場合とでは、同じように老臣たちの意見を無視するのであっても、大きなちがいがあるといえよう。やはり大将というものは、あやまりなく事を進めていくためには、できるかぎり人の意見を聞かなくてはいけない。一人の知恵というものは、しょせんは衆知に及ばないのである。人の意見を聞かない指導者はともすれば独断に陥り、あやまりやすい。また人心もそういう指導者からはしだいに離れていってしまう。
 それに対して、人の意見に耳を傾けて、衆知を求めつつやっていこうとする人は、それだけ過ちを犯すことも少ないし、そういう人に対しては、みなもどんどん意見をいい、また信頼も寄せるようになってくる。
 信長でも、桶狭間では独断専行したけれど、いつもいつもそのようにばかりしていたのではなく、やはり聞くべき時には秀吉はじめ家臣たちの意見を求めているのである。まして、ふつうの指導者たるものは、つねに衆知によって事を行なうことを心がけなくてはいけないと思う。

 かれらをみると、リーダーのありようがわかる。でも、表現はことなるが、まず「熱意」、「共感」という松下さんの想いが、願いであり、諦めないという言葉で本書には紹介されている。「熱き心」と簡単にいえるが、内実は燃えるような「熱意」がどれだけあるか、そして「共感」として部下に認知されるかであろう。