もう右型上がりの経済成長はあり得ない。

、「お金を稼ぎ続けなければならないというある種の脅迫観念からか、世の中全体が「鬱」になってしまっているんじゃないか。むしろ少しはストックがあるうちに、楽しいことや豊かな方向に使おう割り切ること。その先に日本が本当に成熟して豊かな文化国家になって、文化でお金を稼ぐステージに入れる」という藻谷さん。「藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか」本からの言葉である。
 この問いに対して、藻谷さんは、「経済成長率はいくつもの仮定をへて得られる数字で絶対のものではないし、仮にその数字が正しくても平均値(ないしは全体)の話であって、そのなかにいる個人個人の話ではないし、加えてフローを測っているだけで過去にどれだけのストックを蓄積してきたかはほとんど考慮されていない。そして最後に、経済的にストックがあって、かつ成長していたからといって、その人が人間的に幸福になれるとは限らない、」と答えている。
 これからの時代、人の幸福度はどうあるべきか。そんなことを考える時代を迎えたのかもしれにあ。もう右肩上がりの経済成長はあり得ない。

秋田魁新報社説:『小沢氏離党 増税なしの改革案示せ』
 民主党小沢一郎元代表と支持グループの衆参両院議員計50人が離党届を提出した。本県関係では衆院京野公子(秋田3区)、高松和夫(東北比例)の両氏も名を連ねている。小沢氏は近く「反増税」を掲げた新党を結成する方針を表明した。政権交代から3年足らずで民主党は分裂という事態を迎え、野田政権の基盤が弱体化するのは避けられまい。
 ただし、消費税増税法案をめぐる党内の状況を見れば、分裂も半ば必然といえる。政局絡みで政治の一層の混迷も懸念される中、政治を前に進めるために問われるのは野田佳彦首相の手腕だけではない。増税なしで社会保障の充実や財政再建などを進めることが可能なのか。小沢氏も説得力のある政策を打ち出せるかどうか問われよう。
 「国民の生活が第一」を理念とする前回衆院選民主党マニフェスト政権公約)は、当時幹事長だった小沢氏が中心になって作成したものだ。しかし、野田首相マニフェストにはない消費税増税を柱とする一体改革関連法案の成立に「政治生命を懸ける」と繰り返し訴え、党内対立は先鋭化していた。
 離党届の提出後、小沢氏は「野田首相の下での民主党は、もはや政権交代した時の民主党ではない」と痛烈に批判。このままでは「国民との約束」を果たすのは不可能だとして離党届を提出したのは、筋が通っているようには見える。
 しかし、1993年に自民党を離党したころに消費税率10%を訴えていたのは小沢氏自身である。政権獲得後は財源捻出に苦しみ、社会保障などの看板政策の実現がままならないことも分かってきた。こうした状況下で、国民に負担を求めずに日本の将来に希望が持てるような社会保障制度などを構築するというなら、小沢氏は具体的な道筋を早急に示すべきだろう。
 理念や政策で筋を通すという姿勢を前面に出している小沢氏だが、離党の背景には権力闘争があることも否定できない。政権交代を実現した立役者とはいえ、その後は政治資金問題が影響して党内では非主流の立場に置かれていた。加えて野田首相が自民、公明両党との協力に軸足を移したことで小沢氏の影響力は低下しており、局面打開のためには新党結成しかなかったという見方もある。
 いずれにせよ「小沢新党」が発足すれば、衆院では自民党に次ぐ野党第2党になる。今後仮に衆院の離党者が55人以上になった場合は民主党少数与党に転落するだけに、与野党の攻防も緊迫した展開となろう。
 だが国会は空転続きで、多くの重要法案も積み残しになったままだ。一体改革法案の参院審議を前に国会が混乱に終始するようでは、国民の政治不信は極まる。民主、自民、公明3党は増税先行という批判を真摯(しんし)に受け止め、社会保障分野の議論を充実させなければならない。(2012/07/03 付)

 これって社説。消費税値上げ賛成、小沢嫌い。それだけということではないか。どちらにも組するつもりはないが、今日本経済にとって大事なことは何か。政局ではないはず。消費税値上げでもないはず。人口減少社会を向かえ、日本がどうあるべきかを読者に伝えるべき。もう少し、新聞記者として御用記事は社説として載せるべきではないはず。

北尾吉孝日記より(7月3日)『小沢一郎の離党と今後の政局について』
 『今回の小沢氏による「離党騒動」については、主要メディアが挙ってネガティブな見解を示しているというのが現況です。
勿論、主要メディアがそうした形になるということを小沢氏自身もある意味分かっていたとは思いますが、分かっていたにも拘らず敢えてその道を選んだという彼の純粋さのようなものに今回私は驚きました。小沢氏というのは「権力の亡者」であるかのようにマスコミ通じて喧伝され続けていますが、例えば自民党に所属していれば疾うの昔に総裁・総理になることが出来ていたにも拘らず、彼は敢えてそれを蹴飛ばしたような人物です。 要するに「権力の亡者」であるならば、普通は今回のような離党劇を演じることはないわけで、必ずしも権力だけを追及するような人物ではなく、寧ろ非常に純な人ではないかと思います。
そして彼が何に対して純かと言えば、自分自身の信念に対して非常に純な人なのであろうという気が私はしています。小沢氏は毀誉褒貶の激しい人物であり、例えば2010年10月に検察審査会が2度目の「起訴議決」を下す前に行われた民主党代表選の時にも丁度悪い噂が流れたわけですが、今回も「妻の離縁状」とされるコピーが投票日近くに国会議員等にばら撒かれたように何か極めて恣意的なものを感じています。
今回我々が見たものは官に追随する民自公の連中と小沢一郎という政治家との戦であったというふうに私は捉えていますが、その戦いの結末が如何なるものかと言えば民主党という政党が終焉を迎えたということなのだろうと思います。
民主党は分裂したものの衆議院での「議席は251となり、与党での単独過半数は維持され」、参議院でも「議席は92となり、自民党などの会派の86議席を上回り、第一党を維持できる」というのは勿論事実ではあります。 唯、49名の議員が一挙に党を割り、その上『首相が政治生命をかける法案に異を唱えた「離党予備軍」』として反対票を投じたものの離党届を提出しなかった20名、及び欠席・棄権した15名が未だ党内に残っているわけですから、野田総理の政権基盤は著しく弱体化したということなのだろうと思います。
振り返って見ますと、民主党政権というのは「自民党では駄目ですから一度政権を担わせてください!」と国民に熱心に訴え掛け2009年夏に誕生したものの、結局はマニフェストに「書いてあることは命懸けで実行」せず、消費税増税等のマニフェストに書いていないことを一生懸命実現しようとしてきたわけです。そして、消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革についても全く以って一体改革の体を成しておらず、そうした状況の中で終焉を迎えてしまったということで、この信を完全に失った民主党という政党に対しては今後党首が誰に代わろうとも国民は二度と与党としないことでしょう。
論語』の「顔淵第十二の七」にも政治の要諦に関して「信なくんば立たず」と述べられていますが、やはり先ずは国民との約束をきちっと一つ一つ履行するのが政権にとって最も大事なことであると思います。消費税増税については実施しないと彼らのマニフェストでも鳩山元総理も国民に言ってきたわけです。では自民党が次期衆院選で勝ち得るのかと言えば、野党としても駄目という烙印を押された政党に対して民意が集まるというふうには考え難く、小沢氏も「オリーブの木みたいな形でやればいい」と最近言い出していますが、恐らくどの政党も大きな票を獲得出来ないという状況が生じるのではないかと思います。そういうふうに小沢氏自身も考えているからこそ、今回先ずは50人程度を固め出来るだけ多くの人間が次の選挙で勝ち抜いて行けるようにすべく、嘗ての選挙でも小沢氏が見せたある種のポピュリズムを利用しながら、それに上手く乗っかる形で数を維持して行こうとしているのでしょう。
これから後、小沢・橋下の連携という展開もあり得るかもしれませんが、小沢氏は橋下氏を橋下氏は小沢氏を夫々利用すれば良いと思いますし、2人が手を組めば一つの革新が生まれるのではないかという気もします。
即ち、今の日本を救うのは大幅な規制緩和による構造改革以外にないと私は考えており、民主党政権では為し得なかった政官財及びマスコミといったものの癒着構造を叩き潰すということ、あるいは私がずっと指摘し続けている「農地法」(法令番号:昭和二十七年七月十五日法律第二百二十九号)等の戦後直ぐに作られたような法律の抜本的な改正といったことも含め、革新が生まれるのではないかというふうに思うのです。今回の小沢氏の一連の言動について賛否両論あるとは思いますが、メディアにおける逆風が吹き荒れる中で党を割ったということで「小沢には信がある」というふうに見た人も結構いたのではないでしょうか。
少なくとも自身の主義主張を簡単に曲げてマニフェストに書いてあることは実行せず、何も書いていないことを政治生命を掛けて実現しようなどという人間よりも、小沢一郎という人物の方が評価が出来ると私は考えています。』
 この意見にも共感できるものがある。北尾さんの評価であろう。