また一週間始まりですね。考える力を。それが学びであり、仕事力につながるはず。そして『日経スペシャル 未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜』

 さあ。頑張って行きましょう。朝からTODOシートのチェック。雑誌・新聞記事の確認。今日から切り抜きはせず、とりあえず、資料集めのみ。週末に本当に必要な記事のみ切り抜きしていこう。それも、データを。そのデータをみながらみずからの考える力をつくっていこう。


テレビ東京『日経スペシャル 未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜』 1月21日放送
出演者 大浜平太郎 SHELLY 竹田圭吾 竹中平蔵 坂下千里子 宮崎美子
(オープニング映像)
○マンションを丸ごと1棟!5年ぶりの“買い時”
 東京・世田谷区にある7980万のマンションは、香港の投資家が1棟丸ごと買っていた。新たな開発計画の提案に、社長は「前向きに進めるように」と指示。アベノミクスの株価上昇から明るい兆しが出ていると語った。
○海外勢も注目する “アベノミクス
アメリカ・シアトルの投資ファンドが睨んでいたのは日本の株式市場。今夜は水面下の沸騰現場から日本の未来を見る。
○ニッポンは売りか買いか?徹底解剖“アベノミクス”。
①いま起きている事とは?今回は日本のアベノミクス効果を徹底検証。
アベノミクス3本の矢と言われるのが、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「成長戦略」の三つ。竹中平蔵教授は「正しいアベノミクス」と「歪んだアベノミクス」2つの沸騰キーワードを提示した。
②「ニッポンを買え!」 沸き立つ海外投資ファンド
アメリカ・ワシントン州では外国人投資家が日本の株を積極的に買っていると聞き、取材班が向かった。投資会社「タイヨウ・パシフィック・パートナーズ」を率いるのはブライアン・ヘイウッドCEO。27年前に宣教師として来日したヘイウッド氏は、12年前に日本株に長期投資するファンドを立ち上げた。
安倍政権誕生の6日前、ヘイウッド氏は緊急会議を招集。経済政策に対する見通しや今後に与えるインパクトを分析し、積極的に日本株を運用していくことが決まった。そして夜7時、ヘイウッド氏が動き出す。多くの外国人が買ったことで株価は急騰し、トレードは成功に終わった。
不動産会社の「NAIグローバル」を率いるスティーブ・ソンブレロ氏は、投資に絶好のチャンスが巡ってきたと日本の市場視察に訪れた。スティーブさんが向かったのは東京・品川区。ソニーの売却したビルに目をつけ、「誰もがソニーを知っているからこそ説明する必要がない」と語った。
フォートレス・インベストメント・グループの運用総額は5兆円。日本で狙うのは不良債権化した不動産。これまで塩漬けだった物件に、彼らのような買い手がつくことで市場全体の底入れに繋がるという。
③「デフレは悪だ!」 キーマンのアベノミクス解説
デフレについて解説。消費者は値下がりを待って物を買わなくなり、会社では給料が減少。給料が減少すると余計買えなくなるのが「デフレスパイラル」。日本では最近、ようやくデフレが終わるのではないかという期待が出ている。
アベノミクスが狙うのは、車の購入を逡巡していた人が、来年には車の値段が上がると思って車を買い、企業もそれによって売上が伸び、社員の給料も上がるという好循環。そのカギを握っているのが日本銀行だと話した。
④これから何が起こる?
日本銀行本店の主な業務は、紙幣を発行して物価の安定を図ること。政府の意向に左右され過ぎて金融政策が混乱するのを避けるため、日銀は独立性を持つこととされている。日銀が現金を出す時に購入するのは「国債」。マーケットから国債を買ってキャッシュを出すと、世の中にお金が流れるようになると解説。
デフレは克服しなければいけないが、極端なインフレにも気をつけなければならない。そこで政権が掲げるのがインフレ目標2%。デフレにも極端なインフレにもしない、それが今求められている物価目標だと話した。
 インフレ目標を導入しているのは現在25ヶ国。その目的はインフレを抑えること。中でもイギリスのイングランド銀行はインフレ率2%が課されており、目標未達の場合は財務大臣に釈明しなければならない。
⑤「本当に逆襲できる!」 ニッポンのものづくり
愛媛県今治市にあるタオルメーカー「七福タオル」は、自社のタオルを全国のデパートなどで販売。海外の物と比べても、水分の吸収率が一目瞭然。企画から製造まで自社で行なっており、社長の河北泰三さんは「日本のものづくりは世界トップレベル」だと話した。
 こだわりのタオルの製造工程を見せてもらった。七福のタオルは出来上がった物を後から染めるのではなく、先に染められた糸で織り上げる。その結果、糸本来の柔らかさを引き出したタオルが仕上がるのだという。輸出産業を目標とする河北さんは、これまでは円高の影響で遮られていた。しかしここに来て円安を迎え、以前より2割近く値引き出来ると語った。
 1月18日、河北さんはフランス・パリで開催されるインテリア見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出席。出展される社の数は3000以上。持ち込んだのは自慢のこだわりタオル50種類。この展示会に参加するのは8回目だが、これまで成果を上げることは出来なかった。
「メゾン・エ・オブジェ」に出展された七福タオルの製品は、早速各国の人間から高評価を受ける。円安による値引きが影響し、フランス、イタリアなどのバイヤー19件の契約にこぎつけることが出来た。
⑥ 円安どこまで?
5年間で円はドルに対して40%程度上昇。非常に厳しい円高の中での事業環境に置かれて、ようやく少し良い方向に動き出した。この後は、アベノミクスに従来とは違う考えを持っている企業に迫る。
⑦日本を“売る”男
ケネディ大統領暗殺事件が起こったアメリカ・テキサス州。取材班が向かったのは暗殺現場から程近くに建つビル。アメリカ・ダラスのヘイマン・キャピタル・マネジメントのカイル氏は、リーマンショックの二年前から、サブプライムローン空売りのファンドを設立した人物。このカイル氏の次のターゲットが日本国債で、日本国債の崩壊を予言し、日本国債”売り”ファンドを立ち上げた。カイル氏は、アベノミクスによるインフレ目標と大規模な財政出動が暴落を招くと話す。
日本国債の崩壊について解説。その他一般人は、国債暴落の根拠として、金利1パーセントの上昇で10兆円の国際利払い、債務が税収の24倍、経営赤字転落の可能性などをあげている。それに対して竹中氏は、今すぐそうならないという話や、税収が上がるなどの根拠を上げながら、その他一般人氏の根拠は極端な例で、アベノミクスのような政策をきちっとやれば財政再建は可能だとだと話した。
⑧未来予測 世界中の人が住みたい国に
竹中氏の未来予測を発表し、「世界中の人が住みたい国に」というフレーズをあげた。そして、私達が当たり前に思っている日常の習慣などは貴重なことで、目に見えない社会資本があるので、アベノミクスで財政が再建されれば世界の人が住みたい国になると総括した。また、円安になると、海外から人が来やすいという話もつけくわえた。
続いて、アベノミクスの成長戦略について、その他一般人やその他一般人らも参加する産業競争力会議で何を話し合うかを大浜氏が竹中氏に尋ねた。竹中氏は、お金より自由を与えることが大事だと話し、規制緩和を行うことで、ビジネスによって経済が大きくなると述べた。それに対して、出演者からは、脱落していく人もいるのではないかという意見や、どのぐらい自由にするのかはっきり見えないという意見などが出た。


山種美術館で今月27日まで開催されている同い年であり、終生ライバルであり続けた二人の画家の軌跡「生誕100周年高山辰夫・奥田元宋展」から
日本画の巨匠の二人は同じく1912年6月の生まれ。どちらも90代まで絵を描いた。日展。ライバル。
・高山辰夫は大分生まれ。松岡映丘に師事。ゴーギャンに系統。1975年日展理事長。1982年文化勲章。「命あるもの、なにをしたいのかを、絵の中に探している。」と語り、人間の内面的実像を追い続けた。「聖家族」を始め、家族のあり方を考え、哲学的なテーマに取り組んできた。
「自分が決めたことをやって、最後まで自分の旗をあげていければ良い」
「永遠ということ、それが掴めればと思う。永遠が無いはずはないと僕は思う。、、そのことが僕に絵を描かせているかもしれません。」
奥田元宋は広島生まれ。1977年日展理事長。1981年文化勲章。1981年69歳で歌会始の召人。「対象をありのまま描写するのではなく、心でとらえた姿を描く」ことに一生をささげ、展示されている「奥入瀬<秋>」などの風景画を描く。
「彩れる 秋写さんと山峡(やまかい)に 木葉時雨の音をききをり」。
日本画滅亡論を吹き飛ばしたいという意地があった」
「半心半眼」(心でとらえた姿を描く。ありのままを描写するのではない。写実と写意のバランス)
「絵は心」

 (1月21日生まれの偉人)
◆土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。
 旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)在学中から蛇床子の筆名で俳句や短歌を『ホトトギス』に投稿。卒業後に恩師・村上成之の紹介により伊藤左千夫を頼って上京し、短歌の指導を受け『アララギ』に参加。更に左千夫の好意により、第一高等学校文科を経て東京帝国大学(現・東京大学)に進学。東大在学中には芥川龍之介久米正雄らと第三次『新思潮』の同人に加わり、井出説太郎の筆名で小説・戯曲を書いた。1916年(大正5年)に文学部哲学科(心理学専攻)卒業。1917年に『アララギ』選者。長野県諏訪市松本市の女学校で教頭・校長を務める傍ら作歌活動を続け、法政大学予科教授の1925年に第一歌集『ふゆくさ』を出版。1930年には斎藤茂吉から『アララギ』の編集発行人を引き継ぎ、アララギ派の指導的存在となる。歌集『往還集』を発表し、歌人としての地位を確立する。さらに、『山谷集』・『六月風』・『少安集』などの歌集で内容を深める。
◆恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年1月21日 - 2011年7月23日)は、日本の経済学者、政治家。財政学。島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制・道州制を提唱。
◆稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年1月21日 - )は、日本の実業家。京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。公益財団法人 稲盛財団理事長。日本航空取締役名誉会長。1955年鹿児島大学工学部を卒業後、がいしメーカーの松風(しょうふう)工業を経て1958年退社。1959年、社員8人で京都セラミツク(現京セラ)を設立し、1966年に社長に就任。1969年、株式上場。ファインセラミックスの技術で成長する。1984年には第二電電(DDI)を設立(後にケイディディと合併し、今日のKDDIとなる)。その独特な経営管理手法は「アメーバ経営」と呼ばれる。企業家の育成にも力を注ぎ、1983年には若手経営者の勉強会「盛友塾(現・盛和塾)」を開塾。1984年には財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を創設した。1986年には京セラ会長に就任。1994年5月から1995年5月まで関西経済連合会副会長を務めた。1994年にはDDIポケット企画(現・ウィルコム)を設立。1997年には、京セラ・DDIの会長を退き、臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。 2005年、立命館小学校こども顧問委員に就任。母校の鹿児島大学に寄附し、稲盛会館を寄贈したほか、稲盛アカデミーへの援助を行なう。関西鹿児島県人会総連合会会長も務める。
 政治面では、民主党を支持し、同党元幹事長小沢一郎とは新進党時代からの仲であり、前原誠司の後援者であった。しかし、2011年2月8日、日本記者クラブで会見し、政権交代後の民主党の体たらくに落胆した、政権交代も民主主義の結果であるが、色んなことが起きて新たな政治体制もできあがるだろう、歳もとったので今後は党への支援には距離を置き静観すると述べた。2010年1月に日本航空代表取締役会長として日航再建に取り組むよう、鳩山由紀夫首相(当時)から要請され、2月1日から、日航の会長を無給で務め、見事にJALを建て直すことに成功した。