今日は夕方落語を聞く。そして、『「3本の矢」の中身と政策決定プロセスを固めることが重要だ』竹中平蔵氏は語る。

 今日は夕方、仕事帰りに落語を聞く。本日の噺家さんは古今亭志ん吉さん。32歳の若手落語家。古今亭志ん橋門下で亡志ん朝の孫弟子。『夢』や『たらちね』など古典落語を得意とする方である。久しぶりにガマの油売りの口上を聞く、二つ目であるが、場をみながら落語をする。32歳と若いが、将来に期待できる。

山本益博(料理評論家)は語る。
評論家には独自の観察眼が不可欠だが、それを磨いていくには場数しかないと思っている。マルコム・グラッドウェルの『天才』という本の中に、[1万時間の法則」という話が出ている。スティーブ・ジョブズビル・ゲイツビートルズといった成功者たちは皆、若い頃に寝る間も惜しんで1つのことに打ち込み、その総数が1万時間を超えた人だという。1日8時間を365日続ければ、2920時間。約3年半で1万時間に到達する。
このような圧倒的な努力の先に成功はあるのだろう。20代は、目標に向かっていくパッションと体力が最も旺盛な時期である。だからこそ、まずやりたいことを見つけ、脇目もふらず、1つのことに徹する。それはすぐには結果として出てこない。何十年後かにようやく返ってくるものだと思う。

(今日のオピニオン)
『「3本の矢」の中身と政策決定プロセスを固めることが重要だ』竹中平蔵氏は語る。<竹中平蔵の「経済政策ウオッチング」 2013年01月23日>より
 安倍政権の経済政策が成功するかどうかは、「3本の矢」とされる主要テーマの中身をしっかり固められるかどうかにかかっている。それにあわせて、政策決定プロセスの確立も重要だ。
○今後メディアの攻撃をどう切り抜けるか
 昨年12月26日に発足した安倍政権は、安倍晋三総理自身が言っているように「ロケットスタート」を切った。とりわけ金融政策に関して安倍総理が積極的な発言をし、それが市場に期待を生んで、期待が実際の政策を先取りする形となっている。
 安倍政権になり市場が動き始めたことによって、景気も動き始めた。景気とは「空気の景色」である。安倍政権に対する期待が高まって雰囲気が良くなり、景況感にも良い影響を及ぼしている。
 今のところ、安倍政権の打ち出している政策について、メディアもポジティブな報道が多い。しかし、国会が始まって野党の追及が強くなってくれば、メディアは一斉に政権を叩く報道姿勢に転じるだろう。
 過去の政権に対する報道パターンはまさにそうだった。政権を叩く風潮が強まった時に、どれだけ切り抜けられるかが安倍政権にとっては重要なポイントとなる。
○財政政策は期待と不安が半々
 その点で、いわゆるアベノミクス(安倍政権の経済政策)において重視されている「3本の矢(金融政策、財政政策、成長戦略)」に注目したい。この「3本の矢」の解釈をしっかりしたものにすることが必要だ。
 金融政策については、デフレこそが元凶であり、デフレを克服するためには大胆な金融政策が必要との安倍総理の主張がすでに色濃く出ている。「3本の矢」の中でも先行してかなり明確に動いているテーマである。
 政府と日銀は1月22日、デフレ脱却に向けて連携を強めるための共同声明を発表した。日銀は2%の物価上昇率目標を導入し、2014年から無期限の金融緩和を行う。この「1本目の矢」は、かなり期待できる状況にあると言える。
 続いて、財政政策については、短期的には柔軟な財政政策をやりながら、長期的にはしっかりと財政健全化をしなければならない。ところが現状では、短期的な財政政策はメニューとして出ているのだが、長期的な財政健全化の議論はまだ姿が見えない。
 もちろん、主要閣僚も財政健全化の必要性は認めている。問題は、どれくらい説得力のある財政健全化策を打ち出せるかだ。どういったスケジュールで財政健全化を進めるかは、非常に大きな政策判断が要求される。この「2本目の矢」は、期待と不安が半々といったところだろうか。
○規制を総ざらいにするための方法論が必要
 「3本目の矢」である成長戦略については、次のような二択がテーマとなってくる。経済を成長させようとする時、日本を含めて各国の例を見ると、必ず二通りの議論が出てくる。
 一つは、企業にもっと自由を与えれば成長できるというもので、規制改革などを促す構造改革路線だ。もう一つは、企業にもっとお金を与えるというもので、補助金や官民ファンドといった産業政策的発想である。
 日本がこのどちらを採るのかということについて、安倍政権は必ずしも明確ではない。「3本目の矢」についても、「2本目の矢」と同様、期待と不安が相半ばしている状況だ。この点については、私もメンバーに加わっている産業競争力会議(議長・安倍総理)で、しっかりと議論していかなければならないと考えている。
 個人的には、労働市場の規制改革を重視している。民主党政権では、労働市場の規制が非常に強くなった。企業は労働者を雇いにくくなり、海外へ出て行く流れが加速している。これを止めるためにも、労働者を雇いやすくする労働市場制度改革が急務だ。
 厄介なのは、規制というのはハタからは見えにくいということである。規制に困っている当事者でなければわからない制度が日本には山ほどある。どの規制を緩和するかという前に、まず規制を総ざらいにするための方法論から確立しなければならない。
○「いかに決めるか」という政策決定プロセスが重要
 いずれにしろ、構造改革も産業政策も、どちらも重要な政策であり、オール・オア・ナッシングというわけではない。両方やらなければならないのだが、軸足をどちらに置くかによって、成長戦略の成果は違ってくる。その意味で、構造改革か産業政策かというのは、重い選択と言える。
 これら「3本の矢」の解釈を強固なものにしなければ、政権発足直後のハネムーン期間を終えて批判的になるメディアに応じることは難しいだろう。
 たとえば財政政策について、バラマキだという批が必ず出てくる。批判に対して、しっかりした解釈の上に立って、口頭ではなく、実行で応えていくことができるかどうか。そこが、アベノミクスが良いアベノミクスになるか、偏ったアベノミクスになるかの分かれ目である。
 その際、どういう政策をやるかと同時に、「いかに決めるか」という政策決定プロセスが重要となる。民主党政権では経済財政諮問会議が休眠状態となり、「経済の司令塔」が不在となったことで政策決定プロセスが崩壊し、大きな混乱が生じた。
 新聞の解説などでは、安倍政権の政策決定プロセスについて、経済財政諮問会議をマクロ経済の司令塔、日本経済再生本部をミクロ経済の司令塔としている。経済再生本部の中でも、産業競争力会議が司令塔の中枢という位置づけである。
 ただ、現実にはマクロとミクロというのはそれほど区別できない。省庁の縦割りのように、こっちはマクロ、あっちはミクロとしないで、あくまで現実にそった経済論議をしていく必要がある。そのうえで最終的に政治が決断していくという新たな政策決定モデルを、安倍政権で構築していかなければならない。
○省庁とのせめぎ合いも「ロケットスタート」でやる必要がある
 小泉政権下の経済財政諮問会議も最初からうまく機能したわけではない。試行錯誤の末、制度が機能するようにしていったのだ。今回の安倍政権は、小泉政権とは置かれた状況が違うので、安倍政権なりの新しい枠組みをつくる覚悟が求められている。
 政策決定プロセスをめぐっては、すでに各省庁の間で主導権争いが始まっている。たとえば財政規律について、「国債、民主政権より削減」といった財務省を取材源とした記事が出たりしている。
 経済財政諮問会議で議論が行われる前の段階で、どうして財務省主体の記事が書かれてしまったのか。やや悪意的な解釈になるが、経済財政諮問会議には議論をリードさせないという意図が透けて見える。財務省が報道を通して議論を先行し、経済財政諮問会議を骨抜きにしようとしていると受け取られかねない。
 正しい政策決定プロセスを構築するために、経済財政諮問会議の民間議員は、きちんと発言してほしいと思う。省庁とのせめぎ合いも、「ロケットスタート」でやる必要がある。

(1月29日生まれの偉人)
◆北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日は日本の医学者・細菌学者である。従二位・勲一等旭日大綬章・男爵・医学博士。初代伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)所長、日本医師会創立者、初代慶應義塾大学医学部長、初代北里研究所所長。「日本の細菌学の父」として知られ、門下生からはドンネル先生(ドイツ語で「雷おやじ」(der Donner)の意)との愛称で畏れられ、かつ親しまれていた。
◆吉野 作造(よしの さくぞう 1878年明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日)は、大正年間を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。宮城県尋常中学校(仙台一高),二高を経て,明治37(1904)年7月東京帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。大学院へ進み,42年2月東京帝大法科大学助教授となり、政治史担当。大正3(1914)年7月教授となる。13年2月東京帝大教授を辞職し,朝日新聞社に入るが,同社主催の講演および同紙掲載の論説が政府筋の忌諱にふれ,同年退社。東京帝大法学部非常勤講師となる。吉野の業績は3方面におよんでいる。第1は民本主義理論の形成である。それはデモクラシーの最大公約数を「人民の意思に基づく支配」に求、その意味の最小限デモクラシーとしての民本主義明治憲法下においても可能であることを論証した。それは普遍的にして日本的なデモクラシー論であった。第2の業績は中国革命史研究である。吉野は同時代の中国ナショナリズムの中に民本主義の台頭を見出し、中国革命の実証的研究と民本主義理論とを結びつけた。第3は明治文化研究である。これによって吉野は日本における民本主義の勃興の必然性を歴史的に実証しようとした。また民本主義論の立場から合法無産政党の成立に指導的役割を果たした。吉野は「民の声」を「神の声」として信じることができた本質的デモクラットであった。