アイデアを思いつくためには

◆企業は、消費者が新しい体験ができるような商品やサービス、画期的なアプリケーション、プロダクトデザイン、ストーリーや設定、ゲームシステム、PR戦略、物流の改善策を、生き残りをかけて探している。プレゼンテーションの論理展開、商品の特徴が一発でわかるような言い回し、思わず買いたくなるようなキャッチフレーズ、読み手が膝を打つような魅力的な文章、まだ誰も指摘していない社会現象とそのネーミング、「これは」と言われる気の利いた手土産、女の子に好印象を持たれる話題、誰も思いつかなかった起業。私は、いつでもどこでも「もっといいアイデアはないか」と頭の中で、問い続けている。アイデアがどんどん出てくる発想法を身につけられればいいのに。最近、アイデアノートが行き詰っている。ひらめきが少ないのかもしれない。しかし、思考や発想法には決まった「身につけ方」、カリキュラムのようなものはまったくない。では、思考法を身につけようと思うと、大事な点はなんだろうか。たまにはいつもの行動パターンを変えてみることがアイデアを生み出すものかもしれない。そこから、何かのひらめきがうまれるであろう。仕事に限らず、日ごろから、好奇心いっぱいで、頭をフル回転させているかの差であるかもしれない。
(1)常識を疑え
 固定観念を取り払ってゼロから考えるために、「なぜ?」「なんでそうなるの?」「それは誰が決めたの?」と、根本的な問いをする。決まりだから、みんなそうだからと考えず、何事も自分で考える。まず行動から「いつもと違ったやり方」をし、ルーチンを破る。
(2)新しいことを体験し、多様な情報に触れろ
 ふだん読まないような本や雑誌を買う、行ったことのない博物館に行く、知らない人や離れた世代と話す、知らない道を歩くなど、ランダムなインプットをして自分に刺激を与え、知識が意外な組み合わせを生む可能性を広げておく。非日常的な行動をとることも気づきの発見につながる。
(3)充分考えたら、忘れろ
 考えがこれ以上進まなくなったら、空を眺めたり、散歩したり、風呂に入ったり、昼寝したりして、意識的に考えないようにする。そうすることで、無意識下で思考が継続され、ある日(数十年後かもしれないけれど)アイデアとなって出てくる。思いめぐらせたものをノートにメモをしておくとよい。まさにアイデアノート。

 
(5月15日生まれの偉人)
◆市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年明治26年)5月15日 - 1981年(昭和56年)2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家(元参議院議員)。愛知県中島郡明地村(後の朝日村尾西市。現在は一宮市)生まれ。戦前と戦後にわたって、日本の婦人参政権運動(婦人運動)を主導した。1981年(昭和56年)2月に尾西市(現在の一宮市)の名誉市民となる。1981年(昭和56年)参議院永年在職議員表彰を受ける。
◆福田 蘭童(ふくだ らんどう、1905年5月15日 - 1976年10月8日)は音楽家。本名は石渡幸彦(さちひこ)。青木繁と福田たねの息子として茨城県真壁郡伊讃村(いさむら)川島(現在の筑西市)に生まれる(ただし正式な結婚ではなかったため出生届は、たねの末弟として提出されている)。福田家の援助により、茨城や栃木を転々として育つ。2歳で父と生別。その3年後、父が九州で他界する。
 尺八奏者として知られる傍ら、作曲家としても活躍。日本放送協会のラジオ番組「新諸国物語・笛吹き童子」のオープニングテーマ及び劇中曲を手がけるなど、ラジオ草創期においてその才能を発揮した。また、料理や釣りにも長じた趣味人として知られた。また映画音楽も手がけたが、1935年、映画撮影の為にロケ地の大島へ向かう途中、船上で出演女優の川崎弘子と肉体関係を持った。これが「レイプ」として世間の批判を浴びた。(この事件については松竹蒲田撮影所の当時の所長、城戸四郎に責任をとるように迫られ、妻と離婚して川崎弘子と結婚した)。なお、後にハナ肇とクレージーキャッツのメンバーとなる石橋エータローは、川崎との結婚のために離婚した元妻との間にできた子供である。
 昨年7月の「没後100年 青木繁展 よみがえる神話と芸術」がブリジストン美術館で開かれた。青木繁(1882-191年)の作品、「海の幸」は、私のイメージと比べると小さかった。それでもタテ70.2センチ、ヨコ182センチの横長の大作だが、昔教科書で見た鮮烈なイメージの大きさほどではなかった。しかし、荒削りの迫力にある絵には強いメッセージを受けた。老人、若人などが10人ほどおり、大きなサメを背負う人や棒でかつぐ人などが夕陽の落ちる波打ち際の浜辺で歩く姿が描かれている。一人だけ画面を向いている白い顔があり、これは恋人の福田たねであるという説がある。福田たねとの間に生まれた幸彦は、後の尺八奏者、随筆家である福田蘭童である。
◆瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年(大正11年)5月15日 - )は、日本の小説家、天台宗の尼僧。旧名は瀬戸内 晴美(せとうち はるみ)。僧位は僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。徳島県徳島市名誉市民の称号を取得。京都市名誉市民。元天台寺住職現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学学長。代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。近年[いつ?]では『源氏物語』に関連する著作が多い。これまでの著作により多くの文学賞を受賞した。
◆伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本人は名刺の肩書きに「強風下におけるマッチの正しい使い方評論家」という1項目を増やしてもいいと考えていた。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)だが、家庭では岳彦(たけひこ)と呼ばれて育ったため、本名・池内岳彦とされる場合もある。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。長男は池内万作(俳優)。次男は池内万平。ノーベル賞作家の大江健三郎は妹ゆかりと結婚したので義弟。ギタリストの荘村清志は従弟。料理通としても知られた。

 
 昨年の今日 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120515/p1