いよいよ6月。梅雨も本格化。

 いよいよ6月を迎える。今月こそみずからのペースを変えて仕事に臨みたいものである。梅雨も本格化。おれも若くない。定年への不安であろう。島耕作見たいにはいかない。自分自身への不安が自分のペースをモチベーションを下げているのだおうか。それとも将来への不安だろうか。それとも同じ仕事へのあくであろうか。他者への嫉妬であろうか。それらは妥当かもしれない。それらが入り混じって自分を襲っているのであろう。これらかの脱却は容易ではないかもしれない。こんな状態で過ごすのもどうかと思う。いずれにしても、自らを奮起して頑張っていこう。
 
 昨年の今頃は、消費税導入が話題になり、民主党分裂の危機を迎えていたようである。1年後を見ると、完全に分裂し、まさに、衰退の一途である。まさに「つわもの同士の夢のあと」と言う結果ですね。でも、これで我々はどれだけ振り回されたのでしょうか。政治はどうなるでしょうか。そして今、アベノミクスによろ外資の決算期の6月末に向けて悪魔のシナリオ(売り抜く資本主義)が近づいている。日本経済に希望があれば外資は株を保有するだろう。まさに、今月からが勝負。成長戦略次第ですね。そこに、外国人投資家が期待を持てる姿を描けるかが当面は大事。

(6月1日生まれの偉人)
◆西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち、天保14年5月4日(1843年6月1日) - 明治35年(1902年)7月18日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍および海軍軍人、政治家。元老。西郷隆盛の弟。隆盛を「大西郷」と称するのに対し、従道を「小西郷」と呼ぶ。なお、名前の読みとして「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家によると「じゅうどう」が正訓である。
 明治6年1873年)には兄の隆盛が征韓論をめぐり下野。薩摩藩出身者の多くが従うが従道は政府に留まる。明治7年(1874年)に陸軍中将となり、同年の台湾出兵では蕃地事務都督として軍勢を指揮。隆盛が明治10年(1877年)の西南戦争で反乱を起こした際、従道は兄・隆盛に加担せず、陸軍卿代行に就任し政府の留守を守った。以後は政府内で薩摩閥の重鎮として君臨した。西南戦争が終わった直後には近衛都督になり、大久保利通暗殺直後の明治11年(1877年)には参議となり、同年末には陸軍卿になった。明治15年(1882年)1月11日、黒田清隆が開拓長官を辞すると、参議・農商務卿兼務のまま開拓長官に任じられる。同年2月8日に開拓使が廃止されるまで、短期間ながら開拓使長官を務めた。明治17年1884年)の華族令制定に伴い、維新時の偉功によって伯爵を授けられる。海軍大臣、内務大臣などを歴任。明治25年(1892年)には元老として枢密顧問官に任じられる。同年、品川弥二郎とともに国民協会を設立。明治27年(1894年)に海軍大将となり、明治28年(1895年)には侯爵に陞爵。明治31年(1898年)に海軍軍人として初めて元帥の称号を受ける。

<昨年の今日>も空白である。


<2年半前のニュースから今どうなっているのでしょうか。>・・・無縁社会の衝撃
 12年連続で3万人をこえた自殺、最近さらに深刻化する児童虐待、そして若い世代に広がる孤独死。私たちは、こうした問題を別々の事柄として日々取材してきました。しかし、そこには、何か共通するものがあるのではないか、そう考えて、議論し、さらに取材を続けました。そして、見えてきたのが、家族、ふるさと、そして会社とのつながりが急速に切れている社会でした。私たちは、こうした社会を「無縁社会」と呼ぶことにしました。
50代の男性です。
「独り暮らしで退職後、社会とのつながりのない中年の男です。番組を見て、将来の自分を見ているようで、切ない気持ちになりました」
70代の女性です。
「今、自分は、一人でマンションの27階に住んでいます。ある程度、お金はあっても、人ごとではありません。本当に身につまされました」
60代女性です。
「今は、夫婦二人暮らしですが、一人になったらどうなるのか、考えさせられました」
このように、反響でもっとも多かったのが、「決して他人事ではない」という声でした。また、予想外だったのは、若い人たちからのたくさんの反響です。お一人紹介します。
30代の男性です。
「私も未だ独身です。不況の不安定社会の中、「結婚」までは踏み切れないのが、現状です。自分自身を養うのに精一杯です。」
無縁社会が、世代を超えて広がっている現実が見えてきました。こうしたみなさんの反響を受けて、私たちは今日、この問題を改めて考えていくことにしました。これから、2時間にわたってニュース企画やNHKスペシャルを改めてご覧頂き、有識者の方々とこの問題について、話し合っていきたいと思います。まずは、日本全体に広がる無縁社会の様々な現実を取材しましたニュースウォッチ9のシリーズからご覧頂きます。
無縁社会 今、何が起きているのか
直葬
亡くなった人に別れを告げる人生最後の弔いの場。そのかたちが今、大きく変わりつつあります。ネット上に掲載された葬儀の広告。通夜や告別式を行わず、ごく身近な肉親だけで火葬に立ち会う「直葬」。今、簡素な葬儀の形として急速に広がっています。
 千葉県に住む園崎城治さん夫婦です。去年92歳で亡くなった母親を直葬で送りました。火葬場にごく内輪の親族だけが集まる、静かな弔いでした。園崎さんは20年前、父親が亡くなった時には通夜や告別式を行いました。参列者は会社の友人や地元の人など100人近くに上りました。しかし、母親は認知症で長い間施設で暮らしていたこともあって友人や地元の人との付き合いもなく、葬儀に呼ぶ人はほとんどいませんでした。
園崎さんは、「母親を知っている人たちが集まるといっても、集まりようがないわけですから。母親もね、人前に出るのが嫌いだったり引っ込み思案ですから、誰にも挨拶しなくてすむ、顔見知りの仲間だけだったら、一番喜んだと思いますよ。」と話しています。
厳しい生活の中、一人孤独に亡くなり葬儀会社だけで直葬を行うケースも増えています。都内の葬儀会社です。葬儀の半分以上が直葬です。安置されている引き取り手のない遺骨。この会社によって直葬で送られた人たちです。葬儀会社が管理する倉庫です。78歳で亡くなった男性の直葬が行われようとしていました。男性は病院で息を引き取ったあと、保冷庫で安置されていました。辿り着いたのは都内の火葬場です。男性は3年前に脳梗塞を患って以来、生活保護を受けながら寝たきりの状態で病院を転々としていました。亡くなっても親族は見つからず、国と自治体がおよそ20万円の費用を負担し、直葬で送ることになりました。故人との最後の別れ。見送るのは葬儀会社の社員だけです。生前の男性を知る人の姿はありません。国と自治体が費用を負担し直葬で送られた人は、おととし1年間で9,000人あまり。この10年でおよそ2倍に増えています。
【結婚式に代理人
人生の新たな門出となる結婚式にも、無縁社会の影が広がっています。披露宴に代理人が出席するケースが増えているのです。
新婦の友人の席に座っていた5人の女性。実はまったくの赤の他人です。結婚式の代理出席サービスの業者から派遣された、いわゆる「サクラ」。依頼したのは新婦です。新郎には隠していました。
女性は、結婚する前、スーパーの店員など、非正規の職場を転々としていていました。このため同僚と深く付き合うことができなかったのです。友人が少ないことを夫に知られたくないと、女性は代理出席サービスの業者に頼んだのです。女性は、「あまり人が集まらないっていうのを彼にいうのも恥ずかしいというのもあったし、友人が少ないとかそういうふうに思ったり、心配するかなと思って。」と話しています。家族、友人、会社の同僚。人間関係を映し出す結婚式という場が変わり始めています。
【わが子を“置き去り”】
わが子を親が、「置き去り」にするケースも相次いでいます。おととし10月。親に捨てられた男の子がきていた服です。厚生労働省によると、親が子どもを置き去りにするケースは、1年間におよそ150件に上っています。なぜ、親が子を捨てるのか。全国の児童相談所にアンケート調査を行ったところ「生活の困窮」という答えが最も多く、全体の30%に上りました。
一昨年、3歳の娘を施設に預けたまま失踪した40代の母親です。娘を出産してまもなく離婚。夫の残した多額の借金が生活を圧迫しました。親を頼りにしましたが、支援は受けられませんでした。近所付き合いもなく、相談できる人はいませんでした。一人きりで悩んだ末、娘に手紙を残して失踪したのです。手紙には、「悲しい思いをさせてごめんなさい。幸せになってください。ママは、心から祈っています。」と書きました。女性は、「もう、ほんとに気力が全部無くなったんですよ。もう私には、無理無理。もう無理って、思ったんですよね。かなりの罪悪感が…。だけど、食べさせられないのも事実で」と話しています。今、母親は生活保護を受け、施設にいる娘と定期的に面会し、再び一緒に暮らす日を目指しています。孤立しがちなひとり親世帯。その数は20歳未満の子どもを持つ世帯のおよそ10%に及んでいます。
無縁社会 今、何が起きているのか
【働き盛りが“ひきこもり”】
働き盛りの人が、突然、社会との接点を失ってしまうケースも増えています。41歳のこの男性は去年8月から自宅にひきこもっています。18年間、大手運送会社に勤め、27歳の若さで営業所長になるなど第一線で働いてきました。しかし、会社の業績が悪化すると男性は一般の事務員に降格されました。慣れない仕事でミスが相次ぎ、部下にまで叱責される日々でした。男性が、当時つけていた日記。「自分は信頼されていない」と心のうちを綴っていました。誰にも相談できず、ついに出社できなくなりました。男性は、「外に出るのがとてもこわい。毎日が孤独です。辞めたとき誰とも接点が無くなってしまった。いままで、会社という媒体を通じて、社会とつながっていたものですから、何をしていいのか。どうしたらいいか、わからない状況になっていますね。」と話しています。企業が社員の成果や効率を重視する傾向を強める中で、働き盛りのひきこもりが増えています。
【単身化】
私たちのすぐ近くにある無縁社会。それをさらに広げると懸念されているのが単身世帯の急増。「単身化」です。国の研究機関の推計よると、1980年に20%にも満たなかった単身世帯が、2030年には40%近くに上るとみられているのです。
 東京・葛飾区の都営高砂団地。ここでも単身化が進み、およそ900世帯のうち、ひとりで暮らす人は、すでに30%に上っています。この団地に暮らす水野由紀夫さん(仮名)、56歳です。今年の元旦もひとりで過ごしていました。30代の頃、結婚を考えたこともありました。しかしバブル経済が崩壊。タクシーの運転手をしていましたが、収入が年々減り、結婚をためらうようになったといいます。水野さんは「結婚する、家庭を守る、守れるわけがないよな、っていうのが一つにはあったでしょうね。収入がない者にとっては、かなり結婚が難しくなってきますよね。」と話しています。
 おととし体調を崩してタクシーの運転手をやめ、派遣の仕事をしていました。その仕事も半年前に失い、今は人と話をすることすらなくなりました。買い物の帰り道、水野さんが団地の一室の前で立ち止まりました。一人暮らしの男性が孤独死した部屋です。見つかった時には亡くなって一週間ほど経っていました。去年、胃けいれんで倒れ救急車を呼んだという水野さん。孤独死の不安を、急に感じるようになったといいます。「救急車呼べなかったら、うーって言いながら、死ぬのかな、と思いながらいくわけでしょ?それ、苦しいのはもちろんわかるけど客観的に見れば、悲しいですよね。すごい、自分でも」と胸の内を語っています。
 水野さんは、倒れてから始めたことがあります。夜、鍵はかけずにチェーンだけするようになったのです。何かあってもチェーンを切って、すぐに助け出してもらえるようにして眠ります。家族という絆をもたず仕事も失った今、再就職を焦っているのは、収入のためだけではないといいます。人とのつながりを失うことの意味を初めて感じています。水野さんは、「人とのつながりがなくなった時点で、昔はそれほど考えなかったけど存在がなくなったのと変わらないのかなって、今ちょっと、このところ深刻に考え過ぎちゃってあれだけど、思いますね。人とのつながりがなければ、存在しないのと一緒じゃないですか。そういう意味では、人とのつながりっていうのは、自分の存在の確認みたいなもんでしょうね」と話しています。
 無縁社会 なぜ広がっているのか
「人とつながりがないことは存在しないのといっしょではないか。」最後に紹介した男性のこの言葉。無縁社会の不安を象徴する言葉だったと思います。それでは一体なぜ、無縁社会が生まれたのか、まず一つは、家族の形態が変わってきたことです。かつての大家族から核家族となり、今や一人で暮らす人が急増する単身化の時代を迎えています。二つ目は、働き方の変化です。多くの会社で終身雇用が崩れ、リストラや非正規雇用といった不安定な働き方が広がったことで、会社との縁も希薄になっています。また、ライフスタイルの変化もあります。メールを一通、ご紹介いたします。
 40代の男性です。
「社会が便利になり、信頼関係を築くことが不要になった日本社会。無縁社会は、その便利になった日本社会の裏返しだと感じています」
 コンビニがどこにでもあり、一人暮らしをしていても、お金さえあれば、なに不自由なく暮らすことができる。ライフスタイルの変化は、人と人とのつながりも希薄にしているのです。こうしたことを背景に広がる無縁社会。それは人生の最期を迎える時に最も深刻な形となって現われてきます。それが、無縁死です。一人孤独に亡くなり引き取り手もない死のことです。NHKの調べでは、この無縁死、一昨年1年間で、3万2千人にのぼることが明らかになりました。この現実を浮き彫りにしたNHKスペシャル「無縁社会・無縁死3万2千人の衝撃」を続いてご覧ください。