『野心のすすめ』(林真理子/講談社) から 、そして『アベノミクスの近未来 為替は金利は給料はどうなる?』(

◆4月に発売され、20万部を発行するほどのベストセラーとなっている作家・林真理子初の新書『野心のすすめ』(講談社)。「有名になりたい」「作家になりたい」「結婚したい」「子どもが欲しい」というあらゆる願望を叶えてきた林が、昨今“野心が足りない”と揶揄される若者たちへ「“高望み”で人生は変わる」と訴える人生論だ。
 いじめられた中学時代に、四十数戦全敗に終わった就職活動。“お金もなければコネも資格も美貌もない”どん底人生を自らの手で切り拓いてきた彼女の「野心力」はハンパなものではないが、そんななかでも、とくに「野心家すぎる!」と唸ってしまうのが、80年代に松田聖子を使った“早すぎるステマ”エピソードだ。当時、松田聖子の著書『青色のタペストリー』(CBSソニー出版)の構成を担当したという林。この本のなかで彼女は、松田聖子がさも話したように、「最近出た、林真理子さんの『ルンルンを買っておうちに帰ろう』っていうエッセイは、お仕事で一冊いただいたんですが、現代の女の人の気持ちがあんまりストレートに出ているんで、びっくりしてしまいました」と書き、「自分の本を宣伝」したというのだ。なんでも出版社の人に「書いちゃいなよ」と言われて「ついつい調子に乗ってしまった」そうで、「せこいことしたよなぁと今では恥ずかしく思って」いるとのこと。しかし、本人も原稿チェックをしていたはずで、それでもスルーした聖子に対して「さすがスター聖子、太っ腹ですよね」と綴っている。これが現代であれば、全力で「ステマだろ!」とツッコミを受けてもおかしくはないが、そんなせせこましい関係でも時代でもなかったのだろう。ともかく、「面白そうだと思ったことは、恥をかいてでも、とりあえずやってみる」ことが大事なようだ。
 「とにかく有名になりたくて仕方がない女の子でした」と過去を振り返るように、林といえば前出の『ルンルン〜』が売れてからは積極的にテレビに出演し、いまは真木よう子が出演しているフジテレビのキャンペーンガールを務めたことがあるほど。当然、「野心家だからさー」「あそこまで売り込めないよねー」などと悪口を言う人も多かったそうだが、そんな人々に対しては「成功した人を貶めようと負け惜しみを言う人間は、自分がどんなに卑しい顔をしているのか知らないのでしょう」とバッサリ。田舎者を馬鹿にし「恥ずかしいから目立ちたくない」と言うような東京人にも「そんな言い訳をしているだけで何者にもなれないのは、才能と努力が足りないだけではないでしょうか」と切り返す。野心を隠さない、悪口や陰口もものともしない。この「空気を読むなんてもってのほか!」というべき姿勢こそ、いまこの本がウケている理由なのだろう。
 「人は自覚的に“上”を目指していないと、“たまたま”とか“のんびり”では、より充実感のある人生を生きていくことはできないのです」と断言する本書。どうすれば野心をもつことができるか、そして野心をもつとどんないいことがあるのか……人生に行き詰まりを感じている人は、ぜひここで野心の達人・林真理子に習ってみてはいかがだろうか。
若者よ、写真を見よ、高望みせよ。「“高望み”で人生は変わる」。そんな帯の惹句(じゃっく)を、写真のインパクトが上回っている。若かりし著者の、射るような目を見よ。今どき、こんなふてぶてしい顔の若者がいるだろうか。これから何かを成そうとする顔、と言ってもいい。「とりあえず食べていける」世の中で、低め安定志向の若者が増えていることに、著者は警鐘を鳴らす。小説『下流の宴』にも通底する危機感だが、本書は著者初の人生論として、夢や志をどう実現させるのか、自身の例をもって解き明かす。
 「四十数戦全敗に終わった就職試験」「お金、コネ、資格、美貌…ないない尽くし」からの出発。身の程を知るのが美徳とされる日本社会で、野心を持ち努力し続けることは簡単ではない。それでも著者は言う。「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」
 バブル崩壊後に社会に出た世代には、著者の欲望や価値観に正直、ズレを感じるかも。しかし野心こそが人生を、社会を活性化させる動力だと確信できる。著者も書いているように,野心というと,日本社会ではどこか悪いことのように言われています。しかし,そういうことを気にしていてはいけないということです。野心という言葉が悪ければ,「大志を抱け」と言い換えることもできます。勘違いしているのでは,と言われるくらいの大志をもって生きていけば,何とかなるという力強いメッセージは,ぜひ若者に届いてほしいところです。この本は,かなりの部分は女性に向けられています。安易に専業主婦になってしまって安定を得たと錯覚してしまっている人,あるいは仕事一筋に独身を通してやってきた女性などには辛辣な部分も含まれています。でも,著者は,そういう女性を軽蔑するというのではありません。他人はどうあれ,自分はそうなりたくはなく,どん欲に仕事の成功も恋も夫も子供も,そして良い暮らしもカネも名誉も得たいという「野心」をもち続けるのです。若いころどん底状態にいた林さんは、どんなことを考えていたのでしょうか。まずは、冒頭のこんな言葉から。<自分の身の程を知ることも大切ですが、ちょっとでもいいから、身の程よりも上を目指してみる。そうして初めて選択肢が増え、人生が上に広がっていくんです>一方で著者は、現在の日本人を憂いて、こんなことを言っています。<いま、「低め安定」の人々がいくらなんでも多すぎるのではないでしょうか>
もし、740円が惜しいと思うなら、著者のこんな言葉を。<せこい人にはせこい人生が待っている>時には思い切って自分に投資してみる、人生のどこかで思い切り努力してみる。
『野心のすすめ』という、いかにも林さんらしいタイトルがついていますが、中身も野心全開です。いじめられっ子だった山梨の中学時代、就職活動で四十数戦全敗の日々、売れっ子だった糸井重里さんを肴にクダを巻いていた三流コピーライター時代…。屈辱の履歴書と、そこから著者がどうやって這い上がったか、その軌跡を追った、じつに興味深い半生記です。
【ポイント】
1.自分を信じて挑戦を続ける
 私にはかつて、40社以上の会社から就職試験ですべて落とされ、アルバイトで食いつないだ貧乏時代がありました。お金はないし、男もいない、定職に就ける見込みも何もなかったけれど、常に自分の将来を見据えながら、自分を信じて挑戦を続けてきました。ですから私は、若い人たちが次のステップに進もうとして、一生懸命努力している姿を見るのが大好きです。駅のホームで、見るからに新入社員といったぎこちないスーツ姿の若者が、慣れない敬語を使いながら携帯電話の相手に一人でお辞儀していたり、必死で頑張っているのを見ると、思わず涙が出てきそうになる。「がんばれ、がんばれ」と声をかけたくなります。いまの自分はまずいなぁという状況なら、思い切って「河岸を変えてみる」こと。自分を信じるということは、他人が自分を褒めてくれた言葉を信じるということでもある。どんな仕事であれ立場であれ、何よりもの充足感を得られるのは、「自分の代わりがいない」という確信を、社会の中で得られる時ではないでしょうか。人生に手を抜いている人は、他人に嫉妬することさえできない。野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。本を読み始めると、自分はどれほど無知なんだろうとか、この分野を知らないのはまずいなぁとか、この先また別の本を読んでみたいなと思う。努力をする人にはいろいろなページが開いてくるんです。どん底時代をどういう心持ちで耐え抜いたかというと、「いまに見てろよ」っていうような不屈の精神ではないんです。「おかしいなぁ・・・・・・私、こんなんじゃないはずなんだけど」という「???」の思いでした。たとえ根拠が薄い自信でも、自分を信じる気持ちが、辛い局面にいる人を救ってくれるということはあると思います。(p88)
2.屈辱感は野心の入り口
 健全な野心を持つための第一歩は「現状認識」だと思います。いまの自分は果たして楽しい人生を送っているのか、楽しくないのか。自分に満足しているのか、満足していないのか。それを自覚するのはとても重要なことです。たとえば、冴えない大学だから就職で差別されたとか、有名な会社に入れなかったから合コンでモテなかったとか。第二、第三志望の大学にしか入れなかったとき、あるいは思うような仕事に就けなかったとき。そこで世の中のヒエラルキーの存在に身をもって気づく――。その屈辱感こそ野心の入りロなのです。二流や三流の人々というのは、自分たちだけで固まりがちなことです。私が三流コピーライターだった頃の話です。三流の仲間と新宿に呑みに行っては、当時から大スター的存在のコピーライターだった糸井重里さん(その後たいへんお世話になるのですが)を肴に、「糸井はさー」なんて呼び捨てにして、すっかり業界人ぶってクダを巻いていた時代がありました。ああ、分不相応なところに来てしまったんだな、と少し後悔したのと同時に、いつか絶対に帝国ホテルで一人前に扱われる人間になりたいと思う心が強く芽生えました。私は思います。「若いうちの惨めな思いは、買ってでも味わいなさい」と。こうして一流の面白い人たちに出会うと良いことは、自分もその一流の仲間に入りたい、この面白い人たちと一緒のところにずっといたい、と強く思うようになることです。(p53)
3.「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」
 やってみる価値がある、面白そうだと思ったことは、恥をかいてでも、とりあえずやってみる――正確にいうと、恥うんぬんを考える前に行動してしまっているわけですが。
 取り返しがつかない、という意昧では、やったこともやらなかったことも同じです。やってしまった過去を悔やむ心からはちゃんと血が出て、かさぶたができて治っていくけれど、やらなかった取り返しのつかなさを悔やむ心には、切り傷とはまた違う、内出血のような痛みが続きます。内側に留まったままの後悔はいかんともしがたいものです。
4.野心は「前輪」、努力は「後輪」
 一流の、業界で力を持つ人に食い込んで行くことも実力のうちですが、まずは食い込むための実力を自分がどんな形であれ発揮しなければなりません。
「今のままじゃだめだ。もっと成功したい」と願う野心は、自分が成長していくための原動力となりますが、一方で、その野心に見合った努力が必要になります。
 野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。
 前輪と後輪のどちらかだけでは車は進んで行けません。野心と努力、両方のバランスがうまく取れて進んでいるときこそ、健全な野心といえるのです。(p31)
5.自分に与えられた時間を思い描く
 野心を持つことができる人とは、どのような人なのでしょうか。それは、自分に与えられた時間はこれだけしかない、という考えが常に身に染み付いている人だと思います。私が最近の若い人を見ていてとても心配なのは、自分の将来を具体的に思い描く想像力が致命的に欠けているのではないかということです。時間の流れを見通すことができないので、永遠に自分が20代のままだと思っている。フリーターのまま、たとえば居酒屋の店員をずっとやって、結婚もできず、40代、50代になったときのことを全く想像していないのではないか、と。より具体的に言えば、「このまま一生ユニクロを着て、松屋で食べてればオッケーじゃん」という考え方です。せこい人にはせこい人生が待っている。
6. 野心をもつには妄想力がバネになる
 最近は欲のない人が増えているそうです。林さんは健全な野心をもつことをすすめています。野心をもつには妄想力がバネになるのだと言います。妄想力とは、想像力よりもさらに自分勝手で、自由な力。現実からは途轍もなく飛躍した夢物語を、脳内で展開させてみるのです。秘密の花園でこっそり花を育てるように。妄想は自分を引き上げてくれる力になります。作家であれば物語を書けるし、作家でなくたって、自分の人生のストーリーを紡ぎだせるようになる。(P176)
 妄想力を鍛えるためには読書がいいのだそうです。それに、読書って、ひとりでやっていて惨めに見えない、数少ない趣味でもあります。本を読む楽しみを知っているのと知らないのとでは、ひとりで過ごす時間の充実度が違ってくる。人が電車の中で携帯メールを打っている姿と、文庫本を読んでいる姿では、圧倒的に後者のほうが素敵ではありませんか。(P179)
7.自分に投資する
 もちろん、半径5メートルの中で暮らしていて、そこで職人的にひとつのものを極めていく生き方もあります。しかし、いろいろなところに出かけて行って、何かを観るために費やしてきたチケット代であるとか、さまざまな国や地方に行った旅行代金は、人としての魅力や人気を高めてくれるお金であると私は思います。
 最近は、若い人がみんな貯蓄に走っているらしいですね。先の見えにくい世の中だから気持ちはわかります。この浪費家の私だってようやく老後に備えて貯金をするようになったんですから。でも、たまには気前良く、観たいものを観に行ったり、自分に投資することは必要ではないでしょうか。せこい人にはせこい人生が待っているのです。
8.悔しい気持ちをパワーに変える
 人に否定されたら、悔しい気持ちをパワーに変えてしまいましょう。凹んでいるだけでは、悪口を言った憎たらしい相手の思うツボではありませんか。「今に見てろよ、」と思う打たれ強さを意識的にでも持ちたいものです。
 当時の私も、こうなったら、林真理子の悪口を言うのはもう嫉妬にしかならないからみっともないよ、というところまで自分は上っていかなければならないと覚悟を決めました。その具体的な第一目標はやはり直木賞を取ること。実際に、直木賞候補になってから、「才能なんてこれっぽっちもない女」という悪口は少しずつ消えていったんです。ここで注意したいのは、やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる。想いがかなえられずもがき続けている不幸は本人には辛いですが、林さんからみると明るい爽快感があるのだそうです。それは「走っている不幸」だからだそうです。本当に恐ろしいのは何を欲しているか分からない「止まっている不幸」だといいます。それに比べると、何が欲しいかはハッキリとわかっている「走っている不幸」にはいつか出口が見えてくる。走ることを知っている人たちは、諦めるということも知っています。実際に、運が悪い人とは見切りが悪い人でもある。いまが楽しくないなら、何かを切り捨てることだって必要です。「新規まき直し」をして、生き方を変えることは運の強さにつながっていきます。(P181)

◆『アベノミクスの近未来 為替は金利は給料はどうなる?』(2013年6月6日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京カンブリア宮殿」から)
 アワーグラス銀座店(東京・中央区)はPATEK PHILIPPEやGIRARD-PERREGAUXなどの高級時計を扱っている。この店は今期に入って高額商品が売れていっているという。4月の売上は去年の2倍だった。高島屋日本橋店(東京・中央区)でも「いい雰囲気になってきた」という客が増えている。パーティードレスの売上は前年比3割増。日本人を突如高揚させたアベノミクスだが、5月に入って株価は乱高下。金利や為替も波乱含み。同志社大学大学院の浜矩子教授は「市場だけ舞い上がって実体経済には何の変化もない」と指摘。アベノミクスを転換点にするセブン&アイとスズキに密着。慶応大学教授の竹中平蔵岡野工業岡野雅行社長をゲストに権八 西麻布店(東京・港区)から放送。竹中平蔵氏が金融大臣だった2002年に小泉総理がブッシュ大統領を接待した頃も経済はどん底だった。竹中平蔵氏はアベノミクスについてそれ自体は評価すべきものだと語った。岡野工業(東京・墨田区)の岡野雅行社長は世界最細の注射針ナノパス34を開発したと紹介した。岡野雅行社長は株価について質問され「僕は株の方は眼中にない。モノを作る方で頭が一杯。だけど雰囲気はいい方向」とコメント。
 イメージワン(東京新宿)は、赤字続きの業績に関わらず今年2月より株価が大幅な高騰を続けている。イメージワンが手がけるのは医療用画像のファイリングシステムで、アベノミクスが成長戦略に位置づけた”医療分野”が影響している。今年の1月から3億円以上の利益を出したというデイトレーダーの男性は、やはり医療関連銘柄を売買している。ips細胞などバイオ関連がとくに活気づいており、企業の業績はほとんど確認しないという。アベノミクスで消費が動いているというスカイズ タワー&ガーデン(中央区)は湾岸エリアの高層マンション。最多価格帯が5500万円台のモデルルームが賑わっている。この活況は景気が良くなったからではなく金利上昇への不安から。販売する三井不動産レジデンシャルの担当者は「日本全体の景気が良くなる前に金利が上がるのは消費活動に影響が出てしまうのではないかと思う」と懸念。帝国データバンク・太宰俊郎さんによると、4月以降食品関連の中小企業の倒産が相次いでいるという。円安影響による食材輸入コストの高騰が、こうしたケースを生んでいる。岡野社長は近隣の町工場の状況について「暗いね。だけどいつの世の中でもいい所と悪い所と必ずある」と話した。竹中平蔵アベノミクスの理想のシナリオを解説。金融緩和と財政政策で円安・株価上昇が起こり、企業の業績改善や消費拡大。成長戦略によって雇用や賃金が増えるという好循環が生まれる。竹中平蔵は雇用と賃金が消費が重要だと話した。金融緩和の効果が出るまで1年〜2年かかるが、その間に期待が腰折れしないように好循環を作れるかが重要。村上龍アベノミクスについて「失敗や違う結果になるとさらなる絶望に変わってしまったらこわい」と懸念。竹中平蔵は金融政策の効果が出る前の来年4月に消費税引き上げをやると駆け込みが起き、駆け込みの反動で来年度の経済運営は厳しい可能性があると指摘。竹中平蔵アベノミクス最悪のシナリオを解説。金融緩和をしながら財政再建ができなければ、円が暴落し国債の信用が暴落して大変なことが起きる。岡野雅行は最悪のシナリオについて「儲かってるから関係ない」と言い、法人税を安くしてほしいと話した。
 都内に住む30代女性は、この半年ほとんど動かしていなかった株投資で360万円儲かったという。しかし日々の生活は相変わらず安さ重視で、「消費に使う気にはまだならない」と話した。デフレの勝ち組であるニトリは今年に入っても売り上げ好調で、来店した客も「デフレになれてしまった」と話す。一方、セブン&アイ千代田区)は脱デフレとして、高級プライベートブランドのセブンゴールドシリーズを打ち出し「金の食パン」などが大ヒットした。 村上龍セブン&アイHD・鈴木会長にインタビュー。鈴木氏は「ものが豊富なほど心理的要因が大きい。良い物をほしいとするお客さんにもっと焦点を合わせていいのでは」、「来年からの消費税増税が一番心配。実際に支払う税金自体ではなく気持ちの面での影響が大きい」「新しいものをみんな待っている」などと話した。アベノミクスの恩恵を最も受けたのはトヨタ豊田章男アベノミクスで円安になりトヨタの利益は1兆3208億円と271%増。お膝元の愛知・刈谷市では下請け企業のデンソーがあり、町には2次・3次の下請けが並ぶ。下請け企業は海外から買う原料コストが急上昇し円安が逆風になっている。トヨタは円安で利益が増えるが下請け企業は円安になるほど利益が減る。インドネシアジャカルタ郊外にある下請け企業「三恵」の工場は従業員280人で自動車運転席付近のプラスチック部品を作っている。元々静岡県の会社だったが2006年にジャカルタに拠点を作った。付近には静岡から進出した下請け企業がいくつもある。その理由はスズキが1976年からインドネシアで四輪車の生産を開始したため。スズキの海外戦略は「売る国で作る」でスズキの海外生産比率は64%。村上龍アベノミクスについてスズキ・鈴木修社長にインタビュー。海外生産の姿勢がコストカットという視線から、現地生産で国同士が互いに助け合おうという方向にきたのでは、とした。村上の”円安で国内回帰するか”との問いに、「日本だけのことを考えるのではなく、アジア全体のグローバル視点で利益を分配せねば」、“輸出立国としての今後について”は「地球規模の経済が回り始めた、これまでのやり方は通用しない」などと答えた。
 アベノミクスは成長産業を生み出せるかどうかが命運を握っているといわれるが、村上龍は成長産業を生み出そうという考えについて、お上に頼らない連中がいっぱい出てくるのが理想だと語った。茨城・つくば市のみずほの村市場では、生産農家が自由に値段を決めるルールの元、強気の価格で販売していた。それでも商品は飛ぶように売れていて、現在は水戸などで4店舗を拡大していた。アベノミクスが成長産業と位置づけた農業について長谷川久夫社長は、自ら責任を取っていくことは農業界ばかりじゃなく全ての業界に求められることだと語った。小池栄子の国が成長産業を生み出せるのか?という質問に対し、竹中平蔵はそうは思わずどの産業が発展するかは役人や学者では決められないとした。また岡野雅行は、人の出来ないものをできないとダメで、人に真似されるようなものをやっていては何時まで経ってもダメだとした。スズキの鈴木修会長とアベノミクスについてトークアベノミクスへの懸念があるかという村上龍の質問に鈴木修は、何をやっても懸念はあるがその懸念があるからといって立ち止まってはダメので、まずはやってみると話した。村上龍の編集後記を紹介。アベノミクスは期待感の醸成に成功したが、今のところは期待以外に何もなく期待の行方に注目しているとした。

(6月6日生まれの偉人)
◆新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。
 旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)・無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)・電機学校(現在の東京電機大学の母体)卒業。妻ていは作家。次男正彦は数学者・エッセイスト。長女の咲子も、家族を書いた小説を発表している。
 中央気象台(現在の気象庁)に勤める役人であったが、1951年(39歳)に「強力伝」で懸賞小説に当選する。その作品が1956年の44歳のときに直木賞を受賞する。その後、二足の草鞋を履き続けるが、1963年から65年にかけて富士山気象レーダー建設責任者(測器課長)となり成功させる。66年に54歳で退職し、その後14年間にわたり作品を発表し続ける。「富士山頂」「芙蓉の人」「孤高の人」「八甲田山死の彷徨」「栄光の岸壁」「アラスカ物語」「武田信玄」などの作品がある。役人として仕事をしながら、44歳で作家となり、その後10年間は役人作家として二足の草鞋を履き、54歳から作家として一本立ちしている。作家としては遅咲きの人である。
 この新田次郎が、小説家として自分の誕生の過程を64歳のときに誠実に書いた本「小説に書けなかった自伝」(新潮社1976年刊)から文章を抜き書きしてみた。
・役所では言動に慎み、小説のことを噯気(おくび)にも出さないようにするし、仕事の方も人一倍熱心に勤めていた。以来十年間私は役人作家としても座を守っていた。
・退庁時刻が午後五時。国電に乗って吉祥寺の自宅へ帰るのが午後六時過ぎ、食事をして、七時のニュースを聞くと、自分の部屋に引きこんで十一時までみっちりと書いた。四時間以上書くことはできなかった。床に入ると、すぐ寝入ってしまった。
・午後五時になって解放されたときは、ほっとした。ああこれから明朝までは自分の時間だと思うと嬉しくてたまらなかった。
・四十を過ぎて作家になったのだから、なにか特徴のある作家としての存在を認められないかぎり、必ず脱落してしまうだろう。ではいったいなにを主軸に書いて行くべきかというのが、私に取って大きな課題だった。
。役所から帰って来て、食事して、七時にニュースを聞いて、いざ二階への階段を登るとき、<戦いだ、戦いだ>とよくいったものだ。七時から十一時までは原稿用紙に向かったままで階下に降りて来ることはなかった。
・課長の佐貫さんには、いちいちことわって出て行った。隠すことはよくないと思ったから、なんでも話した。私の小説が載った雑誌は必ず何冊か買って課員に回覧することにした。課員に対して私の夜の仕事を認めて貰うためだった。
・当時私は短編長編に限らずすべての小説を書くに当って次のような作業順序によっていた。1.資料の蒐集 2.解読、整理 3.小説構成表 4.執筆。小説構成表というのは、筋書きをグラフ化したもので、横軸(時間軸)に相当するものが頁数になり、縦軸には、人物、場所、現象などに適当なディメンションを与えて設定した。人物の相違は色で書き分けた。
・私は小説を書き始めて二十年以上になるが、たったの一度も原稿を遅らせたことはなかった。これは、約束を履行するために安全率を掛けた仕事をやっていたことを示す以外の何ものでもない。
・私は、引受けたからには納期は絶対に守るべきだとういう信念を押し通した。このためには無理な仕事ははじめから引受けないことにした。一ヶ月に最低一週間の余裕を常に保持するようにつとめていた。
直木賞受賞以来の自分自身の心の動きと、読者の評価を勘案すると、山を舞台とした小説(山岳小説)を大事にしなければならないことがはっきりして来た。読者が私に求めるものがなんであるかが、おおよそ分かりかけたような気がした。
・小説は書き始めてから十年、気象庁の仕事は三十年だった。この三十年間、自分の能力を思う存分使ったということは一度もなかった。
・作家として一本立ちできるぞと青空に向かって叫びたい気持ちになった。小説を書き出してから十六年経っていた。
本因坊 秀策(ほんいんぼう しゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日) - 文久2年8月10日(1862年9月3日))は江戸時代の囲碁棋士備後国因島(現・広島県尾道市因島外浦町)出身で俗姓は桑原。幼名は虎次郎。法名は日量。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120606