今日は週末農業。

 5時30分から、草取り作業。9時過ぎより暑くなってきたが、朝書きながら、大半の草を抜く。疲れた。気持ち的には、止めたい気分になったが、何とか8割方の草を抜く。今週、草取りをしなければ、また草だらけになってしまう。疲れた。スイカの苗を新発見。どうしてせいちょうしたのだろうか。不思議ですね。トマトとなすに実が突出してきた。これからが楽しみである。ということは、草取りはまた今週末にまっているいうことですね。

(6月9日生まれの偉人)
◆山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1886年明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団レニングラードフィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。軍歌の作曲も多く手がけている。
 山田 耕筰については、今から、7年前、詩聖・北原白秋の記念館を訪ねたときに発見した。福岡県柳川市の白秋の生家にある。国民詩人・北原白秋は1885年(明治18年)生まれで1941年に57歳でこの世を去る。早稲田大学英文科予科に入学。同級生には若山牧水土岐善麿佐藤紅緑らがいて、牧水とは牛込の清致館という下宿に同宿した。これ以降、与謝野寛の新詩社に参加するなど頽廃的な感覚詩を次々に発表し、有望な新進詩人として活躍する。22歳の時には森欧外の観潮楼歌会に出席し、佐々木信綱、伊藤左千夫斉藤茂吉らと親交を結ぶ。26歳第二詩集「思ひ出」を刊行し、高い世評を得る。28歳では、処女歌集「桐の花」を出版する。彼は、「赤い鳥」「花咲か爺さん」「ほうほう蛍」などの童謡を生涯で1200編生み出している。その作曲を山田耕作が行い、このコンビも長く続いた。
 そういえば、今日疲れて横になっていたときに、ラジオで山田 耕筰生誕の話があり、童謡「赤い鳥」が耳元で流れていた。
◆柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年6月9日 - )は、ノンフィクション作家、評論家。航空機事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆している。