まだまだ暑さも続くのでしょうか。夏本番だから仕方がないが。

◆今日は新潟県中越自身から6年目を迎える。二年前の東日本大震災といい、いつ地震が起きても当然のような日本列島である。今、参議院選挙ちゅうである。自身も原発も解決していないにも関わらず、話題の一つに憲法改正が上げられている。民主党の菅政権や野田政権の消費税増税政権交代の成果も出せず、日本が従来の政権に戻ってしまった。これkらの日本はどうなるのだろうか。

◆今日から、平常心から「挑戦」をキーワードに自分のために生きて行こう。職場との距離を置こう。所詮は友人ではない。好むと好まざるととでできた人間関係である。その中でいつの間にか埋没してしまったようである。上司として慕われているわけでなはない。管理職だから仕方なく、扱っているに過ぎない。対s化に1年そこそこで信頼間益ができるはずがない。一生懸命何かをしても喜ばれるわけではない。これが現実である。それなら自分のために活きて行こうじゃないか。余計な金は使いたくない。きづくにがおそいkまお知れない。成長していない自分の証し。これから半年余りで退職することになるが、職場の成果に挑戦しながら、職場との距離を置きながら、社員を利用して行こう。
 気分的には利用されているのかな。気分はかなり害している、いかに職場との距離感を置くかが課題かも。

◆敵地の首位攻防戦2連勝!7回打線爆発、8点奪い大逆転!
 阪神3―8巨人(16日・甲子園) 巨人は3点のビハインドを7回に一気にひっくり返し、打者12人、6安打3四球をからめて8点を奪う猛攻を見せて逆転勝ち。2位・阪神とのゲーム差を3・5と広げ、阪神戦4連勝とした。

◆『若者よ、君達の手で「森ゆうこ」や「山本太郎」に投票し流れを変えるのに参画したらどうか。』<2013-07-16 06:20 孫崎享のつぶやき>
    http://blog.goo.ne.jp/root41_1942/e/6e323d647f90acdd5aab15dd80abbb30?fm=rss
 今、若い世代の投票への関心が極度に低い。2012年の年齢別投票率を見てみたい。20代:37・89%、30代:50.10%、40代:59・38%、50代68.02%、60代:74・93%。確かに、自分一人が投票しようとしまいと大勢に影響がない。しかし、この考えの蓄積が20代の低比率となる。もしどの政党に投票しようと、政策に大きい影響がでないのならそれでもいい。首相がだれになろうと知ったことでないと言えるかもしれない。
 しかし、明らかに未来の選択に直結する。原発は今至る所で再稼働されようとしている。福島原発事故地震によって原発事故によって起こる事故の規模の大きさを示した。事故の処理如何によっては、関東地域での居住が出来ない可能性が示された。自民党は再稼働を行おうとしている。
 私は原発では次のようにツイッターした。
「13日日経“自民、原発再稼働問題で沈黙 争点回避。電力4社6原発、計12基に上る再稼働申請の第1弾が出そろった」、こういうのは「争点回避」ではなく、「争点隠し」と表現するのです。首相も自民党も、マスコミも原発再稼働の「争点隠し」に懸命です。TPPも国家主権入りも、企業の利益を確保することが優先される。TPPに入れば、多分、若い世代の人が年齢を重ねるにつれ、国民健康保険が実質的に崩壊していることを知るだろう。米国は年収3万5千ドル以下の人たちの30%は健康保険に入っていない。日々の生活費で、長期にお金を回すことなんて、考えられない。
 消費税の値上げ。
 消費税の値上げは国家財政の緊迫でどうしようもない政策ではない。1985年以降法人税所得税が下げられた。この減額した分は消費税5%より低い。今自民党企業減税を考えている。その分消費税で埋め合わせる。原発、TPP、消費税はどの政党が勝っても所詮原発再稼働しなければならないものではない。エネルギーはある。電力企業の利益確保を優先させるか否か、人命を尊重するかの選択である。TPPも入って利益はほとんどない。対米従属を繰り返しを重視するか、生命、健康、地域格差、所得格差の是正を優先するかの問題である。消費税増税問題は法人税を軽くするか、一般国民の税負担を重くしないかの選択である。
 若い方々へ。
 この選択は貴方たち世代に一番影響する。今の比較的豊かな生活環境を変える選択を今日本が起こそうとしている。黙って見過ごす手はない。14日ザクザク「自民優勢に暗雲 原発再稼働が参院選を直撃 新潟、東京で反対派が猛追。新潟反原発色の強い生活候補(森ゆうこ)が猛追、東京『反原発』一本で戦ってる山本太郎氏が伸びてる」投票が常に無駄になるわけでない。森ゆうこ山本太郎に投票して流れを変えるのに参画してはどうか。

◆『ようこそ!ニッポンの“新玄関口”へ』(2013年7月16日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京 ガイアの夜明け
 先月世界遺産に認定された富士山。世界中からも多くの観光客がつめかけ、日本の観光の新しい名所がひとつ誕生したが、5つある登山口のひとつ静岡県御殿場市はその恩恵をうけていない。そこで御殿場市では外国人観光客に御殿場の登山口をPRするための活動も開始。御殿場からの登山ルートの最大の魅力は5合目から6合目の間にある大砂走りというルート。下山時にはスリリングなスピード感を体験できるが、下地が砂のため御殿場駅前には8月10日から18日限定で、足洗い場も設置。山開きから最初の週末となった7日には宣伝の効果が多くの人が大砂走りを使い下山。富士山コミュニティの関谷さんは「御殿場口を使って下山した人が、御殿場を訪れることが楽しみになるようにしたい」と展望を語った。
 西日本の経済の中心地大阪。大阪城USJ通天閣などの観光スポットはあるが、地元の人はあまり大阪には観光で見るべきスポットはないと嘆く。そんな大阪を何とかしようと橋下大阪市長肝いりで始まったのが大阪観光局というプロジェクト。ここは府と市さらに経済団体が共同出資して設立した団体で、外国人観光客を増やすための活動を行なっている。初代局長の加納國雄氏は、95年から2012年まで香港政府観光局で外国人観光客誘致を担当し、観光大使ジャッキー・チェンとともに観光客増加に手腕を振るってきた人物。アベノミクス効果による円安で日本政府観光局の調べでは今年に入り外国人観光客数が増加。この追い風に乗り遅れまいと目をつけたのが、玄関口の関西国際空港だった。加納さんはここに関空レディースという集団を派遣し、アンケート調査を実施し、外国人観光客の詳細情報を収集。その結果大阪を素通りする人が多いことが判明。3年後に現在の2倍の外国人観光客増加を目指す加納氏。外国人とひとくくりにするのではなく、国や地域ごとに担当チームを分け、文化や習慣が違う人に細やかな対応ができるように組織を作った。東南アジアの担当者は外国メディアを使って大阪を宣伝してもらおうと考えていた。
 6月2日、シンガポールのテレビクルーが大阪を訪れ、30分の旅番組を3本制作。リポーターは現地の人気タレントウクレレガールズ。担当の今中さんは彼女たちをアメリカ村大阪城に案内。TVクルーからは街の名前の由来などの質問があったら、このような外国人が気になることをすかさずチェック。6月19日マレーシアの首都クアラルンプールに今中さんの姿はあった。東南アジアから大阪に観光客を呼びこもうと考える今中さんの前に立ちはだかったのはとあるマークだった…。6月19日マレーシアの首都クアラルンプールに大阪観光局の東南アジア担当今中さんの姿はあった。この直前日本政府は東南アジア向けのビザ発給の緩和策を発表し、今中さんにとっては追い風となっていた。現地にあるJTBを訪れた今中さんは、大阪をPRした観光ガイドブックをおいてもらうこととした。続いて市内のホテルで行われた、関西地域振興財団マレーシア商談会にも出席。ここにはライバル都市も多く参加しており、ここでいかに大阪を売り込むかが正念場だったが、ここで話題となったのがイスラム教徒にとって欠かせないハラルフードの存在。このハラルに対応しなくては、イスラム教徒を大阪に呼び込むことは難しいことが判明した。
 大阪観光局の加納局長は休みの日には自らの足で大阪をめぐり新しい観光スポットを発見しようとしていた。この日は天神橋筋商店街を歩きさらにその先へと進んだ。この日の目的地は北区にある中崎町。この一体は戦火や戦後の再開発からも逃れ古い町並みが残っている地域。3年ほど前から若者たちが古い家屋をリフォームしカフェや雑貨店などを営んでいたがまだ大阪以外ではあまり知られていない場所。加納局長は難波駅にある外国人向けの観光案内所でも、積極的に中崎町を勧めるように指示していた。観光資源が少ないという大阪で、この先外国人観光客をどのように取り込むつもりなのか?加納局長は「食文化や伝統文化など観光資源はたくさんある」として大阪人しかしらなくていいではなくて、世界とシェアしていくことが重要であると語った。
 クルーズ船での旅が世界的で人気に。昨年クルーズ船が停泊した港トップ3は神戸港博多港、横浜港となっている。外国籍のクルーズ船の寄港回数は2011年こそ震災の影響で減少したが、昨年は過去最高を記録。そんなクルーズ船で旅する外国人観光客を取り込もうと、ある港町が動き出した。鳥取県境港市は、水木しげるのふるさととしても知られ、3年前には「ゲゲゲの女房」でブームとなり年間370万人もの観光客がつめかけていたが、いまは閑散とした状態に。もう一度観光客を呼び戻そうと立ち上がったのは境港管理組合。事務局長の小倉さんは境港を東アジアとのゲートウェイと思っていると語り、クルーズ船の誘致に乗り出した。港も最大13万トンの船の接岸が可能となるような工事が行われた。6月5日に韓国のクルーズ船コスタ・ビクトリア号が寄港。乗客たちは港からバスに乗り込みオプションツアーへと出発。水木しげるロードを歩き鬼太郎日本で人気のマンガキャラクターだとの説明など受けたが、水木しげるロードで一番人気だったのが薬局で、胃腸薬の売れ行きが絶好調。境港管理組合の調査ではクルーズ船の観光客は寄港地で1人平均約1万円を使うと言われており、そこから行くと約2000万円の経済効果があったと計算できる。昼時になると観光客は「御食事処 弓ヶ浜」へと移動し食事。ここで観光客に用意されたのは店の看板メニュー「かにトロ丼」だった。本来は別盛にされた具材をご飯の上にのせて食べる方式だが、説明不足で多くの客がご飯と具材を別々に食べてしまった。クルーズ船を誘致して、外国人観光客増加を目指す境港市。クルーズ船の寄港から数日後、観光客が昼食をとった「御食事処弓ヶ浜」には「かにトロ丼」の食べ方がわからなかったとのクレームが届いていた。今後は観光客一人一人に、その国の言葉で食べ方を説明した紙を用意することとなった。一方境港管理組合では、クルーズ船誘致のリーダーである小倉さんが、世界最大の豪華客船の誘致に乗り出していて、この客船を受け入れられるように港の工事をすぐにでも始めようとしていた。さらに松江城、大山、ミシュラン社の旅行ガイドで庭園が3つ星を獲得した足立美術館以外の観光地の開拓を目指すこととなった。新観光地開拓を任された関さんは、まず食事をできる場所を探すことに。車で15分ほどの頃にある松江市の美保関を訪れた関さんは、老舗旅館で有形文化財にも指定されている美保館で外国人観光客に食事をして貰いたいと考えていた。続いて安来市にある安来節演芸館へと向かい見学した。東アジアを旅するクルーズ船の拠点となっている上海。境港管理組合の小倉さんと関さんは、ここに拠点を置くロイヤルカリビアン社のツアー責任者と交渉を行なうことに。しかし高級デパートをがあるかと求める責任者にたいして、「20分くらいのところにイオンがあります」としか答えられないなど、交渉相手の反応は今ひとつ。それでも一度視察に来てもらう約束をとりつけた。7月7日、境港にはアメリカのクルーズ船が寄港。街の人も外国人観光客相手に奮闘した。7月7日。境港市アメリカのクルーズ船、サン・プリンセス号が寄港。この日は伝統芸能の大量太鼓で世界各国の1500人の乗客を出迎え、観光客は7時間のツアーへ。足立美術館の庭園や水木しげるロードをめぐったが、街のお店の方たちもだいぶ外国人観光客への対応に慣れた様子。観光を終え港に戻った観光客たちはみな満足した様子だった。
→→日本を訪れる外国人観光客は増えているが、世界的に見るとまだまだ上位には程遠い。有名観光地に頼るだけでなく、新たな観光資源の開発や、急増するアジアの中間層を狙うといった取り組みが求められている。

(7月16日生まれの偉人)
広瀬武夫(ひろせ たけお、旧字体:廣荑武夫、慶応4年5月27日(1868年7月16日) - 明治37年(1904年)3月27日)は、明治の大日本帝国海軍軍人。特に戦前は「軍神」として神格化された。兄の勝比古も海軍軍人である。
 明治27年(1894年)の日清戦争に従軍し、同28年(1895年)には大尉に昇進。明治30年(1897年)にロシアへ留学してロシア語などを学び、貴族社会と交友する。旅順港などの軍事施設も見学する。その後ロシア駐在武官となり、明治33年(1900年)に少佐昇進。明治35年(1902年)に帰国する。明治37年(1904年)より始まった日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事する。3月27日、第2回の閉塞作戦において閉塞船福井丸を指揮していたが、敵駆逐艦の魚雷を受けた。撤退時に広瀬は、自爆用の爆薬に点火するため船倉に行った部下の杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)がそのまま戻ってこないことに気付いた。広瀬は杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り、船内を3度も捜索したが、彼の姿は見つからなかった。やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。36歳だった。即日中佐に昇進した。5日後、遺体は福井丸の船首付近に浮かんでいるのを発見され、ロシア軍により埋葬された。日本初の「軍神」となり、出身地の大分県竹田市には昭和10年(1935年)に岡田啓介(当時の内閣総理大臣)らと地元の黒川健士ほか数百名の手により広瀬を祀る広瀬神社が創建された。また文部省唱歌の題材にもなる。また、直撃を受けたさい、近くにいた兵のそばを飛び散った肉片がかすめていった。その痕跡がくっきりと残った兵の帽子が靖国神社遊就館に奉納されており、時折展示されている。秋山真之の海軍の友人であり、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中ででも秋山真之とのかかわりやロシアでの恋等が描かれている。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120716
 昨年は 7月16日が月曜日であり、「海の日」であった。まさに昨日のタイトルと同じであった。ちょうど一年前に異動し、頑張って行こうという決意がそこにあった。一年経つと人の気持ちは変わるものである。自分も変ったかな。

<本の紹介>
・私の昭和史(上) - 二・二六事件異聞 (中公文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4122057612
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4167105764