今日は海の日。

◆今日は海の日である。まだまだ、暑さがこたえる。ちょうど1週間をすぎたこともある。朝4時半から、畑作業。いつもどおり、草取りからスタート。12時ぐらいまで畑作業。トウモロコシは全滅。白眉新にやられた。スイカの実が5つできていた。そのまわりだけ、草取りを行う。にお家気づかれてしまうことが心配。その間、朝食の準備、洗濯、部屋の掃除を行う。何もせず、応接間に座っている母。一人での生活だから仕方がないが、同じ半紙をなんどもする。同じことを何度も聞く。暑さのたまにイライラして4回目と答えてしまった。もう少し母親の見守りをして上げなければ。暑さが原因とはいえないな。情けない自分。もう少し親に優しくして会えgなければなるまい。反省。

◆『男・村田4打点!杉内が8勝!先勝で首位ターン決めた』
 阪神3―6巨人(15日・甲子園) 巨人が首位攻防戦の第1戦を快勝し、2位・阪神に2・5ゲーム差に広げた。連敗は3でストップ。前半戦の首位ターンを決めた。虎キラー・杉内が6回2/3、6安打3失点の粘投でチームトップタイの8勝目を挙げた。村田が先制の3点適時打、ダメ押しの11号ソロの4打点、猛打賞など全打席で出塁。5回には阿部が23号ソロ。6回途中からマシソン―山口とつなぎ、9回には西村が2死一、三塁のピンチを背負うも零封で逃げ切った。

◆『“世界一星がきれいな場所”で日の丸沸騰プロジェクト!』(2013年7月15日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京「日経スペシャル 未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜」より)
 南米アンデス山脈にある「サンペドロ・デ・アタカマ」へとやってきた。この街に観光客が押し寄せる理由は星空で、ここは天体観測の聖地だという。世界で一番の星空をカメラに収めようとやってきたのは、水野範和さん。夜になり水野さんが撮影を開始すると、その景色はカメラに写った。天の川の下には、大マゼラン雲がくっきりと見えていた。かつてこの地の人々は天の川の星でなく黒井部分を結んで星座にしたという。ことし3月に、日本人の集団やチリのピニェラ大統領が一箇所に集まった。ここでは日本が主導する天文学史上最大のプロジェクト「アルマ望遠鏡」プロジェクトが行われていた。
 きょうの沸騰ナビゲーターである、ノンフィクション作家で獨協大学の特任教授を務める山根一眞さんを紹介した。代表作である「」ではものづくりの最前線を取材し、12年前からは今回のプロジェクトを現地に乗り込み追い続けてきた。これまで最強とされてきた「ハッブル宇宙望遠鏡」は宇宙にある望遠鏡で、地上では見ることのできなかった星の姿を次々と明らかにした。こんどのプロジェクトでは、目に見えないものを撮ることを目的としたもの。 アルマ望遠鏡が作られているのは高さ5000mの場所である。こなきの沸騰キーワードは「日本が技術立国であるために」。2年前、電波望遠鏡アンデスを目指して出発した。神戸港に待っていた貨物船に乗せ、舟は出港。チリに到着すると、チリ政府協力の元パトカーが先導し大移動が始まった。電波望遠鏡は、アルマ望遠鏡基地に到着した。この場所は世界20の国と地域から300人が集結し、建設に従事している。望遠鏡が設置される標高5000mの場所は酸素が薄く作業が困難なため、多くはこの基地で行われる。5000mまで上げる前に、製造と性能確認が行われる。標高が高く、雨があまり降らないというこの場所は、天体観測に最適地だという。ことし4月、現地に向かい国立天文台の水野範和准教授と出会った。日本から運んできた望遠鏡を5000mへ運ぶという。運搬を翌日の控え、最後の調整を行う。最終調整には、三菱電機の技術者があたった。翌日には移動が始まり、“ムカデ”と呼ばれる特殊運搬車で望遠鏡が運ばれた。山頂に到着し、ムカデを操作して日本製最後となる16台目の望遠鏡の設置が完了した。アルマ望遠鏡は最終完成時には66台の望遠鏡で構成される。これらを18キロの敷地に並べ、ひとつの巨大レンズのように運用する。アルマ望遠鏡のプロジェクトは、20の国と地域が参加しそう予算は約1200億円となっている。66台の望遠鏡のうち16台が日本製。日・米・欧の協力でやると言いながら日本は行政改革で予算を出してもらえず、2年も遅れたという。2年遅れて参加したが、一番最初にアンテナを設置して完成したのは日本だった。それは、日本のものづくり技術がすごかったのだという。
 2011年7月、兵庫県高砂市の工場に、80社からなる中小企業の技術者たちがやってきた。彼らがアルマ望遠鏡を作り上げた。その現場は、困難の連続だったという。アルマ誕生の物語は、国立天文台から始まった。名誉教授で電波望遠鏡の世界的権威である石黒正人さんが、アルマの生みの親。野辺山宇宙電波観測所の建設に携わっていた30年前、石黒さんたちのチームはさらなる高性能望遠鏡計画を立ち上げる。しかし、アルマの桁違いの性能を実現する部品が世界中のどこにもなかった。石黒たちは部品を自分たちで製作をすることを考え、アンテナの開発・製造を担ったのは三菱電機だった。三菱電機は7年もの歳月をかけて、技術を開発した。岡山県岡山市にある創業60年の「オオタ」では、精密な医療機器の部品などを製造。オオタはアンテナ表面の鏡面パネルを担当しており、鏡面の凹凸は髪の太さの20分の1以下を保っている。金属加工には自信を持つ太田恵三社長だったが、当初は失敗の連続。たわまないように裏面を補強しても、アルミ板は波打ってしまったという。そこで、元製鉄技術者の福寿喜寿郎さんは、パネルを削る機械を見直して新型留め具を開発。様々な試行錯誤を重ねることで、髪の毛の20分の1以下の太さを叩きだした。国立天文台が開発した受信機は、サブミリ波での高精度観測を実現。最も精密な部分を作る時は、太さ0.04ミリの針を使って作業するのだという。これらは他の国が作れないため、全66台のアンテナ全部に日本の一番難しい受信機が入れられた。長野県・飯田市多摩川精機製は、1周を860万に分解して識別する角度センサーを開発。これはプリウスボーイング787にも搭載されており、日本の部品は身近な物に使われているという。アルマ望遠鏡の観測基地では、5000mにある望遠鏡群を遠隔操作。国立天文台チリ観測所の斎藤正雄さんは、世界から集まった科学者25人のリーダーを務めている。彼は東大から国立天文台に就職し、天体研究センターを経てアルマの観測リーダーに抜擢された。望遠鏡の完成が近付き、斎藤さんは新しい観測計画を提案。まだ解明されていない星の誕生の謎を、科学者みんなで解き明かそうと話した。それはここアルマでしか出来ない観測で、一行は早速試験観測を開始。ハッブル宇宙望遠鏡では見れない、「わし星雲」の黒い部分を見てみると、驚きの発見が見つかった。本格稼働を始めたアルマ望遠鏡が捉えた画像を解析したものを確認すると、これまで観測することができなかった一酸化炭素を捉えていて、たくさんの星が生まれる前兆を捉えていた。山根一眞は、アルマ望遠鏡がやろうとしていることは銀河誕生の謎の解明や、タンパク質の生まれる瞬間といった生命誕生の謎の解明だと解説した。山根一眞の未来予測は、「2055年に月で宇宙万博を開催!」。2005年の「愛・地球博」で愛知県館のプロデューサーだった山根は、50年後に宇宙で万博をやったらどうかなと思っていたと話し、光学望遠鏡や宇宙船が描かれた絵を紹介した。また、知らないこと・未知のことに挑戦するのは人類そのもので、それによって紹介した技術や日本のものづくりが進むことになると話した。


(7月15日生まれの偉人)
◆秋田 實(あきた みのる、1905年7月15日 - 1977年10月27日)は、日本の漫才作家。本名:林 広次(はやし ひろつぐ)。大阪府大阪市出身。無名時代にはペンネームは四季を捩った「春野仲明」「夏山茂」「夏輪篤」「冬賀北蔵」等を用いた。たまたま「婦人公論」に用いた「秋田實」の時評が評判がよかったのでそのままペンネームに用いるようになった。第二次大戦前より漫才の台本製作や寄席番組の構成等に関わり、現在の漫才の原型を作り若手を育てた、上方漫才を代表する漫才作家である。戦前から戦後の功績から「上方漫才の父」とも呼ばれる。

<昨年の今日>も空白です。