自らへ送るアイデアマラソン復活。とうとう連続300日達成。

◆昨日から自らの再起動のたmにアイデアマラソンを復活した。そういえば、昨年の3月の自分のブログ『「志操堅固」と「メモを取れ」・・・今日のアイデアマラソン - 『知求見聞』』の言葉を自らに送ろう。(2012年3月1日 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120301/p1

◆今日から週末。また実家へ。介護と農業と言うより草取りですね。とうとう連続300日のブログ継続達成。通算472日目である、昨年10月からまもなく、10か月になる。債権ブログのしたに一年前の今日を紹介しているが、今月は今日で終了。まして8月・9月で本の数回である。いかに債権ブログを書いているのかがわかるし、まさに、自分の日記にもなっている感じである。今年より、来年の方が楽しみであろう。

(7月28日生まれの偉人)
◆前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、本名:前田 洋造(洋三とも)、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。
 父久治は秦野市(当時,大住郡大根村)の自由民権家。1904年上京,尾上柴舟の門に入り若山牧水らと車前草(しやぜんそう)社を結び,のち06年白日(はくじつ)社を創立。処女歌集《収穫》(1910)により自然主義歌人として牧水と併称された。11年,白日社から《詩歌》を創刊して,萩原朔太郎らに発表の場を与え,多くの詩人,歌人を育成した。《生くる日に》(1914)で外光派的歌風に転じ,《水源地帯》(1932)では自由律短歌を唱導,晩年,定型に復した。
◆山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年(明治20年)7月27日 - 1974年(昭和49年)1月11日)は、日本の小説家、劇作家、政治家である。本名は山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員、文化勲章受章者。戦後、貴族院勅選議員、参議院議員などを歴任した。
 1909年(明治42年)9月一高入学。同級だった近衛文麿とは生涯の親交を暖めた。1年の留年を経て一高を卒業し、東京帝国大学独文学科に入る。在学中から「新思潮」創刊に参加し、卒業後、1920年には戯曲『生命の冠』で文壇デビュー。真実を求めてたくましく生きる人々の姿を描いた。一高時代落第後に同級となった菊池寛芥川龍之介らとは文芸家協会を結成し、内務省の検閲を批判する一方、著作権の確立に尽力した。しかし昭和に入ると、1934年(昭和9年)に共産党との関係を疑われて一時逮捕されたり、『路傍の石』が連載中止に追い込まれたりし、日増しに軍部の圧迫を受けるようになった。1941年(昭和16年)には帝国芸術院会員に選ばれている。
 戦後は貴族院勅選議員に勅任され、国語国字問題に取り組んで「ふりがな廃止論」を展開したことでも知られる。憲法の口語化運動にも熱心に取り組んだ。1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙では全国区から出馬して9位で当選。参議院議員を一期6年間つとめて緑風会の中心人物となり、政治家としても名を残したが、積極的な創作活動は終生かわらなかった。1965年には政治家としては異色の文化勲章を受章している。東京都三鷹市には山本有三記念館がある。立川にある都立多摩図書館には山本有三文庫が所蔵されている。また栃木県栃木市には山本有三ふるさと記念館がある。命日の1月11日は、1月11日の数字の並びと有三の「三」の字にちなみ、一一一忌と呼ばれている。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120727