まもなく8月を迎える今週のスタート

小泉今日子さんが歌った『潮騒のメモリー』の反響が大きい。アキ(能年玲奈)とユイ(橋本愛)の地元ユニット『潮騒のメモリーズ』が地元の北鉄こと 「北三陸鉄道」の廃線問題を打開するべく“お座敷列車”イベントを盛り上げるシーンがあった。それが縁でアキが上京。
 昭和のメロディーを思い出す曲になっていて、なんとなく懐かしいですね。昭和世代のアイドルが歌っていたメロディーラインがいろいろ混ざっている感じで、作曲者のネライがスゴイと思います。潮騒のメモリーとはドラマの挿入歌となっている『潮騒のメモリー』は、春子が上京した2年後の1986年に大ヒットした同名映画の主題歌という設定です。ドラマでは、第7週に忠兵衛(蟹江敬三)が漁師を引退するという送別会の席で天野春子(小泉今日子)が初めて歌いました。ドラマ全体のテーマとなる一曲になりそう。ドラマの設定の年代である1986年のキーワードである。「タクシー」「17」「北」などのキーワードを盛り込んでいる。作曲者は、ドラマ全体の曲を担当する大友良英さんである。1980年代のヒット曲に聞こえつつ、ドラマの中で生かせるようにイメージして音楽家Sachiko Mさんと一緒に作ったそうである。ドラマだけでなく、これからも重要なキーとなる一曲になるそう。

 「潮騒のメモリー」(作詞工藤官九郎、作曲大友良英
  来てよ その火を 飛び越えて 砂に書いた アイ ミス ユー
  北へ帰るの 誰にも会わずに 低気圧に乗って 北へ向かうわ
  彼に伝えて 今でも好きだと ジョニーに伝えて 千円返して
  潮騒のメモリー 17才は寄せては返す 波のように 激しく
 
  来てよ その火を 飛び越えて 砂に書いた アイ ミス ユー
  来てよ タクシー捕まえて 波打ち際のマーメイド  早生まれのマーメイド

  置いて行くのね さよならも言わずに 再び会うための約束もしないで
  置いて行くのね ここも北なのに 寒さをこらえて波止場で待つわ
  潮騒のメモリー 私はギター 潮騒のメモリー 私はギター Aマイナーのアルペジオ 優しく

  来てよ その火を 飛び越えて 夜空に書いたアイムソーリー
 来てよその川乗り越えて 三途の川のマーメイド 友達少ないマーメイド

◆『日本の空を変えるか 格安航空LCC』(2013年7月29日放送 19:30 - 19:56 NHK総合クローズアップ現代」より)
 格安航空会社LCCが国内で本格的に就航してから1年。圧倒的な低価格だけでは生き残れないとされ、細やかなサービスなどが模索されている。あらゆる手段でコストを下げ、格安運賃で飛ぶことを売りにしているLCC。3社のLCCが相次いで就航し、33路線150便の空のネットワークが新たに生まれた。昨年度はLCCによって国内線の空の便の利用者を6年ぶりに8パーセントあまり増やす事に貢献したと見られている。しかし就航から1年、3社とも赤字だと見られており、集客力を高めていくのが大きな課題となっている。
 関西空港第2ターミナルは1日に最大26便が飛び立つ、日本最大のLCCの拠点だ。朝5時30分位には利用客のピークの時間帯を迎える。朝一番の沖縄への便に乗り込む人たち。多い日には園1割が日帰り客だという。デパートの店員の端本華子さんと美容室で働く三渕菜美さんは日帰りで那覇へ旅行。旅費は1人2万2千円で、大手航空会社の3分の1以下の旅費だという。LCCは価格を抑えるため、座席数を増やしている。また、機内サービスは全て有料。那覇空港に到着した二人は車で10分ほどの港へ向かい、そこから船に乗り無人島へ向かった。二人はそれから海で遊んだ。LCCの安さのお陰で、日帰りでも十分に満足できるという。LCCは1機の飛行時間の平均が1日およそ12時間。一方大手は6時間から8時間。LCCは運行の頻度を高めて一人あたりの料金を下げている。また、沖縄から仙台に向かうという人は、乗り継いでコストを抑えているといい、大手の半値以下に抑えた。鹿児島県日置出身の高木弘二さんは、LCCを使って度々里帰りするという。料金は関西から鹿児島まで往復で一万二千円と大手の3分の1の旅費だ。LCCが飛ぶ前、里帰りは2年に1度ほどだったが、今後は3ヶ月に1度は里帰りするつもりだという。LCCの安さは海外の旅行客も惹き付けている。台湾からの便が関西空港に到着すると、若者の姿が目立った。大学生の台湾からの旅行客はLCCの安さのお陰で日本に来ることが出来た。4人は大阪の道頓堀に向かい、お目当ての日本限定のいちごのスイーツを購入した。関西空港第二ターミナルに午後11時、LCCの沖縄からの最終便が到着した。日帰り旅行を終えた、端本華子さんと三渕菜美さんが戻ってきた。二人はまた行きたいとコメントした。
 早稲田大学教授の戸崎肇さんは、LCCの利用者が昨年度の利用者270万人だったことについて、まだまだ伸びるとし、全体的の需要は増えているとコメント。また、既存の航空会社は安定性があるため時間にうるさいビジネスマンは利用勝手はいいが、時間のある若い人を中心にLCCを利用していくのではないかと分析し、観光とビジネスの住み分けが起きて全体的なLCCに対する需要は伸びると述べた。また苦情が増えているという点については、乗る人が増えたからこその結果だとコメント。また、安全が確保できているのかという点については経営判断によるものがあり、利用者の理解も必要になると述べた。エアアジア・ジャパンは徹底したコスト削減で低コストを津給したが、搭乗率は平均で6割とLCCの採算ラインと言われる8割に届いていない。航空経営研究所の森崎和則さんは、エアアジアが伸び悩んでいることについて、安さだけでなくサービスの質も求める日本の利用者に質が合わなかったためと指摘。エアアジア・ジャパンの定時運航率は64パーセントと他のLCCと比べても遅れが目立った。さらに、航空券の予約画面では、日本の空港がどこにあるのか見づらく、説明が英語で表示される部分も目立つ。森崎さんは、使い勝手が悪いことや面倒くさいイメージを与えてしまうとなかなか回復させるのは難しいとコメントした。ANAホールディングスは先月エアアジアとの合弁を解消し、会見で自らの手で経営を立て直すこと発表した。清水信三グループ経営戦略部長は、エアアジアグループのやり方を全て日本のマーケットに持ち込むのは限界があると述べた。関西空港を拠点にするLCCピーチ・アビエーションの井上慎一CEOはできるだけコストを抑えながら乗客の満足度を高める方法を模索している。この会社の搭乗手続きを行うコーナーでは客室乗務員や訓練中のパイロットに兼務してもらい、案内係を置いている。また、搭乗の仕方も窓側の人からと工夫している。最近、映画などの動画を無料でスマートフォンに転送するサービスも始めたという。お客様のニーズをお伺いして改善していくのが直近の課題だと井上慎一CEOはコメントした。戸崎肇さんはサービスを充実させることは必ずしもコストの上昇にはつながらないとし、安さとサービスの両立がLCCの生き残る道であるとコメント。また、LCCの発展が日本の観光立国への発展へとつながるとし、地方自治体もLCCにしっかりとお客さんを乗せる協力をするべきだとコメントした。

(7月29日生まれの偉人)
◆重光 葵(しげみつ まもる、1887年(明治20年)7月29日 - 1957年(昭和32年)1月26日)は、第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。まれに、「しげみつあおい」と読み間違えられることがある。第二次世界大戦中に外務大臣を務め、終戦時に政府全権として降伏文書に調印した。戦後は東京裁判で有期禁錮の判決を受けたが、赦免されて政界に復帰し、再び外務大臣となって日本の国際連合加盟に尽力した。貴族院勅選議員、衆議院議員(戦後)当選3回。
 <湯河原町にある重光葵記念館の資料から>
 彼は大分県杵築出身。湯河原の別邸で逝去。69歳。平和の調停者。「志四海」(向陽)という額があった。四海を志す。志が全世界を覆う。志を全世界に及ぼす。この言葉を外交方針とした。1929年上海領事。1931年駐華公使(満州事変)。1932年右脚切断(上海事変停戦協定・爆弾)。1933年外務次官(46歳・広田外相)。1936年駐ソ大使。1939年駐英大使(日独伊三国同盟の危険性)。1941年駐華大使。1943年外務大臣(東条内閣・小磯内閣・終戦木戸幸一内大臣と話し合う)。1945年外務大臣(東久邇内閣・日本全権としてミズリー号上で降伏調印)。戦犯になる。1952年改進党総裁。1954年日本民主党副総裁、鳩山内閣副総理・外務大臣。1956年日ソ交渉(不調)、国連加盟総会演説(「日本は東西の架け橋になる」)。1957年死去。